
Yellow Magic Orchestra
Technopolis (1978)
1979年9月にリリースされた2ndアルバム『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』のオープニング・トラックで、YMOが日本でリリースした初めてのシングル・レコードにもなった曲。オリコン・チャート9位のヒットとなった。
富士フイルムのカセットテープのCMにも使用され、CMにはYMOの3人も出演していた。
そして、当時中学1年生のわたしが、初めて聴いたYMOの曲でもあった。
そりゃもう、どえらい衝撃だった。
と言っても、当時のわたしはテレビやラジオで歌謡曲を楽しむ程度だったので、ピコピコチャカチャカいう電子音が面白く、派手でわかりやすい曲調のカッコ良さにいかにも少年らしくシビれたのだと思う。
YMOは、小・中学生にも大人気だったのだ。
当時、日本で最初に大ヒットしたコンピューター・ゲーム「スペース・インベーダー」の大ブームの最中だったため、あのゲーム音を連想させるようなサウンドだったのも子供人気に影響したように思う。YMOのサウンドは「テクノ・ポップ」と呼ばれるようになり、当時の日本の一大テクノ・ブームを牽引した。
ずっと後になってわたしも、それ以前に海外にはクラフトワークやブライアン・イーノなどの先駆者たちがいたことを知った。
もともとは現代音楽から始まったシンセサイザーやコンピューターを使った電子音楽は、難解で実験的で、なにかデジタル機械が発達すればするほど暗黒の世の中になっていくディストピア的イメージが根底にあるかのような、どこかシリアスで暗くて非人間的な音楽のイメージがあったけれど、YMOはそれまでのものとは180度違う、明るくて大衆的でポップな電子音楽を作り上げたのだった。
そもそもの発端は、細野晴臣が坂本龍一と高橋幸宏を自宅に招き、おにぎりを食べながら「シンセサイザーとディスコ・ビートの組み合わせで世界中で売れる」というアイデアを披露して、2人の賛同を得てYMOが結成されたという。
さらにこの「テクノポリス」や「ライディーン」ではさらなる商業的な成功を求めて、「筒美京平や都倉俊一がYMOに曲を書いたらどうなるか」というイメージで作られたという。だれもやってないことをやってやろうというパイオニア精神や、コンピューターに合わせて演奏するという高度な技術を持ち合わせながら、同時にバカ売れする方法を考えていたのがYMOだったのだ。
それも含めてとにかくカッコ良かったのだ。そのカッコ良さは中学生のわたしにも伝わった。
「テクノポリス」「ライディーン」などの路線はバンドの思惑通り大ヒットし、それらが収録された2ndアルバム『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』は1979年のオリコン・チャートの年間1位となり、100万枚以上を売り上げる特大ヒットとなる。
動画は『夜のヒットスタジオ』出演時のもの。細野晴臣の火のついてないくわえタバコがカッコ良すぎて笑える。
(Goro)