ヒストリー・オブ・ロック 1961【東海岸にはフォーク・ブームが】Greatest 10 Songs

First Lady of Folk-1958-61

1961

ジョン・F・ケネディが史上最年少の43歳で第35代合衆国大統領に就任し、ソ連は世界初の有人宇宙飛行を成功させて世界を驚かせたこの年は、新しい風が吹きはじめた時代だった。

アメリカ東海岸にはニューヨークを中心に”フォーク・ミュージック・リヴァイヴァル”とも呼ばれる、フォーク・ブームが到来していた。

“フォーク・ミュージック”とはもともと民謡や伝承曲のことで、アコースティック・ギターやバンジョーなどで伴奏しながら歌われたが、その伝統的スタイルでトピカル・ソング(時事的な内容の歌)やプロテスト・ソング、反戦歌なども歌われるようになり、政治や社会問題などへの意識が高まりつつあった若者たちの注目を集めた。

この年、キングストン・トリオやザ・ハイウェイメンなどのフォーク・グループがチャートの上位に昇り、後にフォークの女王と呼ばれることになるジョーン・バエズがデビューした。
ちなみに、後にフォークの王様となって世界的な人気を得るあの男のほうは、ようやく故郷のミネソタから出てきてニューヨークをウロウロしている頃であり、まだデビューには至っていなかった。

フォーク・ミュージックは日本でも人気が高まり、すでにこの頃から《うたごえ喫茶》なるものも出現し、後の一大フォーク・ムーヴメントの下地が作られていった。

ベン・E・キング/スタンド・バイ・ミー
Ben E. King – Stand By Me

Don't Play That Song

前年にドリフターズを脱退してソロ・シンガーとなったベン・E・キングの自作曲で、全米4位の大ヒットとなった。

1986年のアメリカ映画『スタンド・バイ・ミー』では主題曲に使われ、多くの人の心を揺さぶり、リヴァイヴァル・ヒットも果たした。映画の影響もあって、未だにこの曲を聴くと涙腺がゆるんでくるという人も多いだろう。わたしはとくに間奏のストリングスのところでいつもグッと来てしまう。

Ben E. King – Stand By Me (HQ Video Remastered In 1080p)

デル・シャノン/悲しき街角
Del Shannon – Runaway

Runaway with Del Shannon

ミネソタ州出身のシンガー・ソングライター、デル・シャノンのデビュー・シングルで、いきなり全米1位の大ヒットとなった。

マイナー・キーから始まって途中でメジャーへ転調する気持ち良さが特長のこの曲は、日本でも大ヒットした。同年に飯田久彦が日本語でカバーしたが、これもヒットした。

Del Shannon – Runaway (HQ STUDIO/1961)

ザ・マーヴェレッツ/プリーズ・ミスター・ポストマン
The Marvelettes – Please Mr. Postman

Please Mr Postman

デトロイトの新興レーベル、モータウン・レコードからデビューしたザ・マーヴェレッツの1stシングルで、全米1位の大ヒットとなった。モータウンにとってもこれが最初の全米1位だった。

後にビートルズがこの曲をカバーしたが、これがイギリス人に”モータウン”の名前を知らしめることになったという。

1975年にはカーペンターズによるカバーが再び全米1位に輝いている。

The Marvelettes – Please Mister Postman

ロイ・オービソン/クライング
Roy Orbison – Crying

クライング(紙ジャケット仕様)

ロイ・オービソンの超人的な歌唱力を存分に生かした名バラードだ。実体験に基づく失恋の歌で、「男だって泣きたいときはあるんだ」と歌い、全米2位の大ヒットを記録した。

1978年にはドン・マクリーンがカバーし、全英1位のヒットを記録している。

Roy Orbison – Crying (Monument Concert 1965)

エタ・ジェイムズ/アット・ラスト
Etta James – At Last

At Last! (+Bonus) [12 inch Analog]

前年にL.A.のモダン・レコードからシカゴのチェス・レコード傘下のアルゴへと移籍し、その再デビュー・アルバムに収録された曲。米R&Bチャート2位のヒットとなり、彼女の代表曲として知られている。

原曲はグレン・ミラー楽団が演奏したミュージカル映画の楽曲だが、エタの情熱的な名唱はブルース色が濃いのが魅力だ。

At Last (Remastered)

ジミー・リード/ブライト・ライツ・ビッグ・シティ
Jimmy Reed – Bright Lights, Big City

Jimmy Reed at Carnegie Hall

ミシシッピ州出身のブルース・マン、ジミー・リードの代表曲。
同じシカゴでチェス・レコードのライバルとなっていたレーベル、ヴィージェイ・レコードの看板スターだったのがこのジミー・リードで、1953年から65年まで、多くのヒット曲を生んだ。

肩の力の抜けたような緩い歌い方と演奏がいい。間奏のハーモニカがまたいい。

Bright Lights, Big City

レイ・チャールズ/旅立てジャック
Ray Charles – Hit the Road Jack

Ray Charles Greatest Hits [Explicit]

「我が心のジョージア」に続いて2曲目の全米1位を獲得した大ヒット曲。甲斐性の無い男についに愛想を尽かし「出て行け!」とブチ切れる女と、普段は遊び回ってるくせに立場が悪くなると許しを乞うろくでなし男の掛け合いがユーモラスな曲だ。

怒気を含んだコーラスがリアルで面白いが、コーラス・ガールの中には実際にレイ・チャールズに弄ばれてブチ切れていた女性もいたらしい。

Hit the Road Jack

キングストン・トリオ/花はどこへ行った
The Kingston Trio – Where have all the flowers gone?

Where Have All The Flowers Gone

アメリカン・フォークの父とも呼ばれたピート・シーガーが1956年に発表した反戦歌だが、キングストン・トリオのこのカバーによって、世界的に知られるようになった。

日本でもデューク・エイセスや園まりが日本語でカバーし、後のフォーク・ブームでも最も有名な反戦歌として日本のフォーク・シンガーたちに歌い継がれた。

Where have all the flowers gone -The kingston trio(lyrics)

ハイウェイメン/漕げよマイケル
The Highwaymen – Michael

The Highwaymen

原曲はサウスカロライナ州のセントヘレナ島で南北戦争中に作られたという、ゴスペルである。それをコネチカット州の学生だった5人組、ハイウェイメンが編曲し、デビュー・シングルとしてリリースした。

正直、わたしにはこれのどこがそれほど人を惹きつけたのかよくわからないのだけれども、全米1位、全英1位となり、全米年間チャートでも3位となるほどの特大ヒットとなった。
日本のフォーク・ブームの時代にも日本語で歌われていた。

The Highwaymen "Michael, Row The Boat Ashore" on The Ed Sullivan Show

ジョーン・バエズ/朝日のあたる家
Joan Baez – House of Rising Sun

Joan Baez

ジョーン・バエズのデビュー・アルバム『ジョーン・バエズ』収録曲。バエズは前年の《ニューポート・フォーク・フェスティヴァル》に出演して、当時19歳の可憐な容姿と美しい歌声で観客を魅了し、ブレイクした。

この曲は、不幸な運命に翻弄されて娼館に流れ着いた女性の哀しみを歌った伝承曲だ。後にアニマルズによるR&B風のカバーが大ヒットして世界的に有名になった。

House of the Rising Sun

選んだ10曲がぶっ続けで聴けるYouTubeのプレイリストを作成しましたので、ご利用ください。

♪YouTubeプレイリスト⇒ヒストリー・オブ・ロック 1961【東海岸にはフォーク・ブームが】Greatest 10 Songs

ぜひお楽しみください。

(by goro)