1981
米国のスペースシャトルが初めて宇宙を飛び、英国のチャールズ皇太子とダイアナ妃が結婚し、日本ではクリスタル族やなめネコが流行した、なんとなく人類が浮かれ気分だったこの年、わたしは当時15歳で、ロック・シーンにも電子化の波が押し寄せていた。
シンセがピコピコ、フワフワ、電子ドラムがパシャンパシャン、、という無機的なサウンドが幅を利かせた80年代は、ロック史の中でも特異な時代だったと言えるだろう。
シンセも使い方次第だし、成功例ももちろんあるが、やはりロックとシンセはあんまり相性の良いものではないとわたしは思っている。ダンスミュージックと電子楽器はすごく相性がいいのだが。
そもそもアツアツが売りのロックに、シンセや電子ドラムといった無機的な音が入るとどうしても温度が下がってしまうし、本革でない合成皮革のような、どうしたって安っぽく聴こえてしまうのだ。だから80年代サウンドの流行は、ロックにとっては苦笑いの時代だったとわたしは思っている。
60年代、70年代と頑張ってきた大物アーティストたちも、生き残りをかけて80年代サウンドを導入したものの、そのほとんどの結果はやはり苦笑いであり、中には黒歴史となっているものも多い。
逆に80年代サウンドを極めて栄華を誇ったアーティストたちは、しかし90年代までにもれなく消えていった。
ロックにとって電子サウンドの導入というのは諸刃の剣のようなものだったのだ。
ただし、それほど特異なサウンドだったからこそ、他の時代のロックでは聴けないような奇抜な面白さがあるとも言える。今の若者たちが聴いてどう思うのか知りたいところでもある。
以下はそんな電子サウンドの合成ロックの時代を象徴するものと、そんな時代にもかろうじて存在した天然モノも織り交ぜての、10組10曲を選んでみました。
Journey – Don’t Stop Believin
サンフランシスコ出身のジャーニーは、当時の日本でもものすごく人気があった。
この曲は、1,000万枚以上を売り上げて世界的なメガヒットを記録した7枚目のアルバム『エスケイプ』からのシングルで、全米9位のヒットとなった。
また、この曲は2009年にアメリカのTVドラマ『glee/グリー』で使用され、全米4位のリバイバルヒットとなっている。なのでやっぱり、時代を超えて普遍的な魅力を持つ真の名曲なのだ。
Kim Carnes – Bette Davis Eyes
この年の全米年間チャートの1位となったのが、カリフォルニア出身のキム・カーンズが放ったこの曲。原曲はジャッキー・デシャノンが75年にリリースしたアルバム『ニュー・アレンジメント』収録曲だ。
いかにも80年代サウンドというきらびやかで人工的なサウンドと、カーンズのいかにも人間臭い苦労の皺が刻まれたような温かいハスキー・ボイスの取り合わせの妙が印象的だ。
Daryl Hall & John Oates – Private Eyes
1972年にデビューしたフィラデルフィア出身の2人組で、ブルー・アイド・ソウルの代表格として知られ、70年代にも数々のオリジナリティあふれるヒット曲を飛ばしている。
80年代になるとさらに時流にハマり、この曲で全米1位を獲得した。
日本の80年代を象徴する洋楽番組『ベストヒットUSA』(1981~89)では最多の登場も果たした彼らは、まさにザ・80年代ポップスだ。
The Human League – Don’t You Want Me
シンセサイザーとシーケンサーとヴォーカルだけの、いかにも80年代的な英国のシンセ・ポップ・ユニット、ヒューマン・リーグの3rdアルバム『デアー』からのシングルで、全英1位の大ヒットとなった。無機的なサウンドとその割には妙に熱い歌がミスマッチ風で面白い。
Soft Cell – Tainted Love
こちらも英国のシンセ・ポップ・ユニットで、マーク・アーモンド(ヴォーカル)とデイヴ・ボール(シンセ)による、いかにもな80年代ニュー・ウェイヴ・サウンド。
この曲はカバー・ソングで、原曲はグロリア・ジョーンズが1964年に発表してまったくヒットしなかった曲だったが、ソフト・セルのバージョンは全英1位、全米8位という大ヒットとなった。
Japan – The Art of Parties
ジャパンというバンド名と、デヴィッド・シルヴィアンという超美形ヴォーカルの存在によって日本ではデビュー当時から人気バンドとなり、初来日でいきなり武道館公演というビッグな扱いだったが、本国イギリスではまったく売れていなかった。
ようやく本国でも注目され始めたのがシンセ・ポップへと移行した79年頃だったが、この5枚目のアルバム『錻力の太鼓(Tin Drum)』はそのシンセ・ポップを極めて内容充実の名盤となった。この曲はそのオープニング・トラックだ。しかしこのアルバムを最後に翌年、ジャパンは解散してしまう。
動画でギターを弾いている日本人は、当時ライヴ・メンバーとして参加していた一風堂の土屋昌巳。
Hanoi Rocks – Tragedy
フィンランド出身のバンド、ハノイ・ロックスの1stアルバム『白夜のバイオレンス(Bangkok Shocks, Saigon Shakes, Hanoi Rocks)』のオープニング・トラック。
見た目そのままに、グラム・ロックにハード・ロック系要素を加えたような、バッド・ボーイズ・ロックンロールの草分け的な存在として、後のL.A.メタルなどにも多大な影響を与えたバンドだ。本国に次いで、特に日本で人気が高かった。
Stray Cats – Runaway Boys
ストレイ・キャッツはニューヨーク出身のバンドだったが、イギリスでデビューした。
彼らは50年代のロカビリー・ミュージックを新鮮かつ本格的なアプローチで復活させ、ネオ・ロカビリー・ブームの火付け役となった。
彼らはまずその見た目がめちゃくちゃカッコ良いけれども、音楽がまったくそのイメージを裏切らないのが凄い。
Joan Jett & the Blackhearts – I Love Rock ‘n Roll
ガールズ・ロックの草分け的存在、ザ・ランナウェイズのギタリストだったジョーン・ジェットが、ランナウェイズ解散後に結成したバンドの、全米1位となった大ヒット曲。イギリスのバンド、ジ・アローズが1975年に発表した曲のカバーだ。
それにしてもこの時代の曲って、ハンドクラップが多いな。
Black Flag – TV Party
ブラック・フラッグは1978年にデビューした、カリフォルニアのハードコア・パンク・バンドで、この曲は名盤1st『ダメージド』収録曲。
80年代の米国アンダーグラウンド・シーンは、まさにこの「黒旗」を先頭にして、始まったと言えるだろう。
ハードコア的なサウンドとポップなメロディが融合した、原始的でありながらも新種のロックは、そのまま90年代のオルタナティヴ・ロックまで引き継がれて、開花することになる。
選んだ10曲がぶっ続けで聴けるYouTubeのプレイリストを作成しましたので、ご利用ください。
♪YouTubeプレイリスト⇒ ヒストリー・オブ・ロック 1981【猫も杓子もシンセの80年代サウンド】Greatest 10 Songs
ぜひお楽しみください。
(by goro)