1959
前年に、エルヴィス・プレスリー、リトル・リチャード、ジェリー・リー・ルイスがシーンから去ってしまうと、栄華を誇ったロックンロールの人気にも翳りが見え始めた。
そして、さらに決定的な出来事が起こる。
1959年2月3日未明、ツアー中のバディ・ホリー、リッチー・ヴァレンス、ビッグ・ボッパーの3人が乗った小型飛行機が、吹雪の中で方向を見失い、アイオワ州のトウモロコシ畑に墜落した。パイロットを含む4人全員が即死、ビッグ・ボッパーは28歳、バディ・ホリーは22歳、リッチー・ヴァレンスは17歳だった。
この日の悲劇は後にドン・マクリーンの「アメリカン・パイ」によって歌われることになる。歌の中ではこの日のことを「音楽が死んだ日(The Day the Music Died)」と歌っている。
そして12月には、ロックンロールの創造者と言っても過言ではないチャック・ベリーが、メキシコで出会った14歳の少女を連れ回し売春を強要していた疑いで逮捕され、懲役4年の実刑となって収監されたのだった(本人は無実を主張している)。
さらにこの翌年、エディ・コクランまでもがこの世を去ってしまう。これで第一期ロックンロール黄金時代は完全に終わりを告げた。
この年において注目に値する10曲を以下に選んでみたが、ほぼロックンロールは無いに等しい。神の仕業だか悪魔の仕業だか知らないが、あの人々を熱狂に導く驚異の音楽は、殲滅され、一掃されてしまったのだ。
残ったのは甘ったるいポップスや、ファミリー向けのユーモア・ソング、野蛮なロックンロールから牙や棘や爪を全部もぎ取った、ロックンロールを模したぬいぐるみみたいな可愛らしいもの。そしてR&Bとカントリー。
自分で選んでおいてこう言うのもなんだけれども、この《ヒストリー・オブ・ロック》のシリーズ中でも、この年を代表すべき10曲がこれほどイマイチな年は二度とないかもしれない。まるで二軍戦みたいな層の薄いラインナップであることは否めない。
それも仕方がない。ロックの歴史を見て(聴いて)いくためのシリーズなのに、その主役であるはずのロックンロールが早々と消えてしまったのだから。
「ぬいぐるみなんか興味ねーよ!」と言われる生粋のロックファンの方もいるかと思うけれど、ここから4回分だけは我慢してほしい。
実際、当時のロックンロール好きの若者たちは、およそ4年ほども退屈な〈ロックンロール空白時代〉を過ごしたのだ。
Ritchie Valens – Donna
リーチー・ヴァレンスの死後にリリースされたシングルで、全米2位の大ヒットとなったバラード・ナンバーだ。彼の高校の同級生でもある恋人、ドナ・ルドウィグのために書いた曲で、彼の生涯を描いた映画『ラ★バンバ』では、公衆電話から電話越しのドナに向けてこの歌を歌うロマンチックなシーンがある。
Eddie Cochran – Somethin´Else
当時はあまりヒットはしなかったようだけれど、コクランの曲としては3本の指に入る代表曲として知られている。ロカビリー・スタイルではあるが、スピード感があって、パワフルで、後のパンクのスタイルにも近似性を感じる。
1978年にシド・ヴィシャスによるカバーが全英3位のヒットとなったり、パンクスに愛されたのもよくわかる。
George Jones – White Lightning
「最も優れたカントリー・シンガー」とも評されたジョージ・ジョーンズが、初めてカントリー・チャート1位を獲得した大ヒット曲。
この曲はカントリーというよりほとんどロックンロールだが、この曲を書いたのが、バディ・ホリー、リッチー・ヴァレンスと共に飛行機事故で世を去った、ビッグ・ボッパーである。
このシングルは飛行機事故の6日後に発売された。
Neil Sedaka – One Way Ticket (To The Blues)
米ニューヨーク出身、当時20歳のニール・セダカの、日本でのみ大ヒットした曲。
本国ではシングル「おお!キャロル」のB面として発表されたが、なぜか日本ではA面とB面を入れ替え、この曲が大ヒットした。しかもシンガー・ソングライターの彼には珍しく、他人が書いた曲である。平尾昌晃や山下敬二郎、雪村いづみなどが日本語でカバーした。
歌い出しの「チュー・チュー・トレイン…」というフレーズは有名で、今ならまあ「チュー・チュー・トレイン」と言えばEXILEが浮かぶのだろうが、われわれ以上の世代なら「チュー・チュー・トレイン」と言えばこの曲のことなのだ。
Connie Francis – Lipstick On Your Collar
当時21歳のコニー・フランシスは、「女性初のロックンロール歌手」とも言われている。まあ当時はロックンロールと言ってもいろいろなものが含まれていたのだろう。
この曲は全米5位の大ヒットとなった。日本でも森山加代子や伊東ゆかり、小泉今日子などが日本語でカバーしてヒットしている。
The Everly Brothers – (‘Til) I Kissed You
兄のドン・エヴァリーが書いた曲で、全米4位の大ヒットとなった。きわめてシンプルながらなんだか不思議な魅力のある曲だ。ビートルズが彼らに影響を受けたというのもわかる気がする。
James Brown-Try me
デビュー曲「プリーズ・プリーズ・プリーズ」はヒットしたものの、続く9枚のシングルはまったく売れず、キング・レコードから解雇寸前だったJBを救ったのがこの曲。
3年ぶりのヒットとなり、R&Bチャートで1位、全米チャートにも初めて登場した(48位)。
JBの甘い声が楽しめる、ポップで聴きやすいバラード・ソングだ。
The Coasters – Poison Ivy
L.A.出身のR&Bヴォーカル・グルーブ、ザ・コースターズは1957年から59年にかけて大ヒットを連発した。この曲もR&Bチャート1位、全米7位の大ヒットとなった。
コースターズはブリティッシュ・ビート・バンドたちに人気があったが、この曲もローリング・ストーンズ、ホリーズ、デイヴ・クラーク・ファィヴ、マンフレッド・マンなどにカバーされた人気曲だ。
Ray Charles – What’d I Say
彼の伝記映画『レイ/Ray』でも描かれているが、ある長丁場のライヴで、当時の持ち歌を歌いきってもまだ時間が余り、即興で作ったのがこの曲だった。
会場で大盛り上りとなったため、すぐにレコード化することになり、全米6位の大ヒットとなった。レイ・チャールズの最もよく知られた代表曲のひとつだ。
Chuck Berry – Memphis Tennessee
この曲はチャック・ベリーが最高の詩人でもあることを証明した名曲だ。
男が電話の交換手に、メンフィスにいるマリーにつないでくれ、と切々と頼む言葉だけでできている歌詞だが、許されない恋で離れ離れになった彼女への想いを歌ってるのかと思いきや、最後の予想を裏切るオチにグッとくる。気になる方は下の過去記事を参照してね。
選んだ10曲がぶっ続けで聴けるYouTubeのプレイリストを作成しましたので、ご利用ください。
♪YouTubeプレイリスト⇒ヒストリー・オブ・ロック 1959【音楽が死んだ日】Greatest 10 Songs
ぜひお楽しみください。
(by goro).