1959年に米ミシガン州デトロイトに設立された〈モータウン・レコード〉は、黒人アーティストを専門に扱いながら「白人にもR&Bを理解してほしい」というコンセプトの独立系レコード・レーベルだった。
スモーキー・ロビンソンや、ホーランド=ドジャー=ホーランド(3人組のソングライター・チーム)などの天才的な作家が屋台骨を支え、レーベルのコンセプトに沿った新しいスタイルの革新的なポップスが生まれた。まだ人種差別の色濃い時代において、黒人からも白人からも(そしてわれわれ黄色人種からも)支持されて大ヒットを連発し、デトロイトの工場地帯になぞらえて、”ヒット曲製造工場”とも呼ばれた。
このモータウンの革新的なスタイルは、ブリティッシュ・ビート・バンドたちなどロックの世界にも大きな影響を与えた。ロック・バンドたちは次々とモータウンの曲をカバーし、そのサウンドを取り入れたりもした。
以下は、ロックの歴史にも大きな影響を与えた、60年代のモータウンを代表する名曲、10組10曲を選んでみました。
Smokey Robinson & Miracles – The Tracks of My Tears
モータウン・レコードの契約第1号となったのがスモーキー・ロビンソン率いるザ・ミラクルズだった。この曲は彼らの代表曲で、わたしもこの曲がいちばん好きだ。
2021年の米ローリング・ストーン誌の記事《最も偉大なモータウン・ソング100》において第1位に選ばれている。
The Marvelettes – Please Mr. Postman
ザ・マーヴェレッツの1stシングルで、全米1位の大ヒットとなった。モータウンにとってもこれが最初の全米1位だった。
2年後にビートルズがこの曲をカバーしたが、これが世界にモータウンの名前を知らしめることになったという。
The Contours – Do You Love Me
モータウンではやや異色な、熱くて、パワフルで、やんちゃな印象のグループだ。1961年にデビューし、3枚目のシングルとなるこの「ドゥ・ユー・ラヴ・ミー」でR&Bチャート1位に輝いた。わたしはジョニー・サンダース&ハートブレイカーズの最高のカバーでこの曲を知った。
Martha Reeves & The Vandellas – Dancing In The Street
グループを組むまではモータウンの社内で秘書として働いていたというマーサ・リーヴスのダイナミックな歌声がカッコいい。全米2位の大ヒットとなった。彼女たちのもうひとつの代表曲「ヒート・ウェイヴ」と同様に、これもまたロック・アーティストによるカバーが多い曲だ。
The Supremes – Baby Love
スターだらけのモータウンの中でもさらに別格的な世界的人気を誇ったのが、モータウンの稼ぎ頭と言ってもいい、このシュープリームスだ。
この曲は1964年に、5曲連続で全米1位を獲得するという怒涛の快進撃を続けていた頃の代表曲。ダイアナ・ロスの声の可愛いこと!
Mary Wells – My Guy
その特徴あるチャーミングなハスキー・ヴォイスでアイドル的人気も高かったメアリー・ウェルズの全米1位となった代表曲。スモーキー・ロビンソン作の名曲だ。
The Temptations – My Girl
モータウンの男性アーティストの中でわたしがいちばん好きなのがこのテンプテーションズ。この曲もスモーキー・ロビンソンの作。自身がメアリー・ウェルズに書いた「マイ・ガイ」のアンサー・ソングとして書いた曲だ。
テンプスにとって初の全米1位となった代表曲。間奏のストリングスの美しさは神がかり的だ。
The Four Tops – I Can’t Help Myself
チェス・レコードで鳴かず飛ばずだったフォー・トップスがモータウンに移籍した途端、全米1位の大ヒットとなったのがこの曲。曲を書いたのはシュープリームスの一連のヒット曲を書いたソングライター・チーム、ホーランド=ドジャー=ホーランドだ。
Stevie Wonder – A Place in the Sun
11歳でモータウンからデビューし、当時は”リトル・スティーヴィー・ワンダー”と名乗っていた天才少年の、16歳のときのヒット曲。全米9位となった。
Marvin Gaye – I Heard It Through The Grapevine
モータウンのソングライター兼プロデューサーのノーマン・ホットフィールド作で、ミラクルズやグラディス・ナイト&ザ・ピップスも録音したが、中でも大ヒットしたのがこのマーヴィン・ゲイのバージョンで、7週連続で全米1位となっている。ロック・ファンにはC.C.R.によるカバーもよく知られている。
以上、60年代の“ヒット曲製造工場”モータウン【必聴名曲10組10曲】でした。
(by goro)