1986
ハレー彗星が76年振りに大接近したこの年、米国ではスペースシャトル・チャレンジャー号が打ち上げ時に爆発するという悲劇が起き、ソビエト連邦ではチェルノブイリ原発が史上最悪の原発事故を起こし、日本ではバブル好景気が始まり、たけし軍団が講談社のフライデー編集部を襲撃するという事件が起きた。
80年代も後半になると、シンセ漬けロックの氾濫にもやや翳りが見え始めた。反体制的で過激なヒップホップの影響や、邪悪で暴力的なスラッシュ・メタルなど、ヘヴィな音楽が目立ち始めた。そして、ロックのストロング・スタイルと言える、バンド・サウンドへの回帰も始まっていた。
今回の10曲を選んでから気づいたのだが、リック・ルービンのプロデュース作品が3曲もあった。デフ・ジャム・レコードの創始者でもあるこの名プロデューサーは、この年わずか23歳にして、Run-DMC『ライジング・ヘル』、ビースティ・ボーイズ『ライセンス・トゥ・イル』、スレイヤー『レイン・イン・ブラッド』という、現在もなお聴き継がれている歴史的名盤を3作も同時に世に送り出すという天才ぶりを発揮した。
他にもこの年は、ピーター・ガブリエル『So』をプロデュースしたダニエル・ラノワや、ボン・ジョヴィという怪物(いろんな意味で)を創り上げたブルース・フェアバーンなど、鬼才プロデューサーの活躍が目立った年でもあった。
そんな、ロックシーンがややシリアスな空気を取り戻し始めた1986年を象徴する名曲、10組10曲を選んでみました。
Run DMC and Aerosmith – Walk This Way
米NYのヒップホップ・グループ、RUN DMCによる、エアロスミスの1975年のヒット曲のカバーだ。
名プロデューサー、リック・ルービンのアイデアによるエアロスミスとのコラボは、MVそのままに、ヒップホップとロックの壁が破られた、歴史的共演となった。
このコラボの大ヒットをきっかけに、80年代は低迷していたエアロスミスの奇跡の復活劇にもつながった。
Beastie Boys – (You Gotta) Fight For Your Right (To Party)
デビュー前はハードコア・パンク・バンドとして活動していたビースティ・ボーイズは、これまたリック・ルービンの手腕によって、ヒップホップとハードロックとパンクを自由に行き来するような画期的な名盤1st『ライセンス・トゥ・イル』でデビューした。
ヒップホップのアルバムとして史上初めて全米1位を獲得し、この曲も全米7位と大ヒットした。
Georgia Satellites – Keep Your Hands To Yourself
80年代のキラキラポップやピコピコロックやキレキレダンスにうんざりしていたロック好きたちがこの年、待ってましたとばかりに一斉に飛びついたのがこのジョージア・サテライツだった。
まったく流行と無関係な米国南部の土の匂いがするストロング・スタイルのロックンロールで全米2位の大ヒットとなった。
Metallica – Master of Puppets
L.A.のスラッシュ・メタル・バンド、メタリカの3rdアルバム『メタル・マスター(Master of Puppets)』のタイトル曲で、薬物依存の恐怖が歌われている。
狂暴なスピード感、強靭なグルーヴ、しかしどこか美しいメロディも兼ね備えたこの名盤を象徴する、タイトル曲だ。
しかしこの直後、メタリカのメンバーを乗せたツアーバスが事故を起こし、異常天才ベーシスト、クリフ・バートンが死去してしまう。
Slayer – Angel of Death
メタリカと並ぶスラッシュ・メタルの二大巨頭、スレイヤーの3rd『レイン・イン・ブラッド』のオープニング・トラック。
このアルバムもリック・ルービンのプロデュースによる名盤だが、すべてをなぎ倒し、すべてを破壊して突進する竜巻のような猛烈なサウンドがとにかく物凄い。
実在したナチスの医師ヨーゼフ・メンゲレによるアウシュヴィッツのユダヤ人強制収容所の人体実験について歌われたこの曲は論争を巻き起こし、ジャケットの過激さも手伝って、コロムビアは発売を拒否し、ゲフィン・レコードからリリースされることになった。
Bon Jovi – Livin’ On A Prayer
米ニュージャージー出身のボン・ジョヴィは、ウルトラ・ポピュラー・ロックの更なる進化を遂げた第二世代と言えるだろう。
ブルース・フェアバーンによるプロデュースの、その80年代的なシンセサウンドをふんだんに使ってハード・ロックを飾り立て、徹底的にポップにしたスタイルは画期的であり、その派手なビジュアルも手伝って、新しいロックスター像を提示してロックのリスナーの裾野を一気に拡げた。日本でも、洋楽アーティストの中では別格的なほどの人気だった。
この曲は3rd『ワイルド・イン・ザ・ストリーツ(Slippery When Wet)』からのシングルで、全米1位の大ヒットとなり、アルバムは3,000万枚を超える世界的ヒットとなった。
Peter Gabriel – Sledgehammer
元プログレのカルト的なアーティストだったピーター・ガブリエルを、一気に世界的な人気ポップスターへと変えた5thアルバム『So』からのシングルで、全米1位、全英4位の大ヒットとなった。
大ヒットの背景にはポップでキャッチーな曲の良さ以外にも、大いなる手間暇とお金をかけてふざけにふざけたMVがMTVでヘビロテになり、話題となったことが大きかった。
The The – Heartland
フロントマンのマット・ジョンソン以外はメンバーも固定していなかった、ジョンソンのソロ・プロジェクトのような、英ロンドンのバンド。
この曲は3rd『インフェクテッド』からのシングルで、アレンジも美しい名曲だが「ここ(イギリス)はアメリカの51番目の州だ」という歌詞のためにイギリスでは放送禁止措置を受けた。
個人的にはジャケが嫌すぎて永らく避けてきたが、あらためて聴いてみればジャケの印象とは真逆の、繊細で知性的で美しい音楽だ。だいぶジャケで損してはいまいか。あと、センスのない冗談みたいなバンド名と。
The Smiths – The Queen Is Dead
ザ・スミスの最高傑作と言える3rdアルバム『クイーン・イズ・デッド』のタイトル曲。
モリッシーは独特の浮遊感のある声で自由にそして吐き捨てるように歌い、ジョニー・マーは攻撃的で躍動感のあるリズムギターでバンドのグルーヴを生み出す。スミスの楽曲の中でも特にアグレッシヴで、恐るべきタイトルも含めて強烈な曲だ。
Primal Scream – Velocity Girl
ボビー・ギレスピーの「Leave me alone!(ほっといてくれ!)」という孤独な魂の叫びが炸裂するこの曲は、プライマル・スクリームの2ndシングルのB面に収録された。
1分半ぐらいであっという間に終わってしまうこの曲はしかし、打ち上げられた一瞬の曳光弾のように、90年代の方角を鮮やかに照らした名曲だった。
選んだ10曲がぶっ続けで聴けるYouTubeのプレイリストを作成しましたので、ご利用ください。
♪YouTubeプレイリスト⇒ ヒストリー・オブ・ロック 1986【80年代シンセ漬けサウンドの終焉】Greatest 10 Songs
ぜひお楽しみください。
(by goro)