1978
この年の1月、セックス・ピストルズのアメリカツアー中、トラブル続出で嫌気がさしたジョニー・ロットンがバンドの脱退を宣言し、事実上の解散となった。
主人公を失ったパンク・ムーヴメントは一気に沈静化し、クラッシュやジャムなど音楽的な成長を遂げて変貌していった一部のバンドを除いて、表舞台からは徐々に姿を消し、パンクはアンダーグラウンド化していった。
次はどこへ向かうべきかをそれぞれが手探りしながら、パンクの精神は堅持したままで、それまでのシンプルなロックンロールスタイルのパンク・ロックからの脱皮を図り、レゲエやダブの手法を取り入れたり、暗黒系の世界観や虚無的な作風、ビートの解体や電子楽器の導入、ハードコアやノイズ系などの非音楽的な方向性などが、”ポスト・パンク”と呼ばれた試行錯誤だったのだと思う。過渡期と言えばそうなのだが、それはまた実験精神に溢れた時代でもあり、新たな種がロック・シーンに撒かれた時代だったのだ。
一方の表舞台では、映画『サタデー・ナイト・フィーバー』が世界的なヒットとなり、一大ディスコ・ブームが訪れ、地球がディスコ・ビートに揺れた年でもあった。
それはロックにも大きな影響を与え、ディスコ・ビートを取り入れたヒット曲も次々に生まれた。
またハード・ロックにも、良い意味で大衆的な資質の新しい世代が台頭し、ロック・シーンは派手で賑やかなメインストリームと実験的傾向の強いオルタナティヴの二極化がますます際立っていった。
以下はそんな二極化も始まった1978年を象徴する名曲10組10曲です。
The Police – Roxanne
時代はパンク・ムーヴメント真っただ中だったので、ポリスもちょっとパンクのふりをしてデビューした。レゲエというパンクの嗜好性と重なる要素はあったものの、しかし実のところは超実力派であり、パンクで一括りにされるようなタマじゃない、独創的なバンドだった。この曲は2ndシングルとして発表された曲で、全英12位、全米32位のヒットとなり、彼らの出世作となった。
Buzzcocks – Ever Fallen In Love?
英マンチェスター出身のバズコックスは、フロントマンのピート・シェリーがロンドンで見たセックス・ピストルズに衝撃を受け、ピストルズを地元のライヴハウスに招聘したり、自らもバンドを結成し、自主制作でレコードを作り、販売ルートの確保まで自分たちで行った、D.I.Y.精神に溢れた、パンク・ロックのお手本のようなバンドだった。この曲は彼らの6枚目のシングルで、全英12位まで上がった代表曲だ。
Siouxsie And The Banshees – Hong Kong Garden
スージー&ザ・バンシーズは、セックス・ピストルズの”親衛隊”だったスージー・スーが結成したバンドだ。ただし音楽的にはパンクというよりは、その後の暗黒系ニューウェイヴの先駆者と言えるだろう。この曲は彼らのデビュー曲で、全英7位まで上がるヒットとなった。
Gang of Four – Damaged Goods
イングランド出身のギャング・オブ・フォーは、パンクの次の展開、いわゆる”ポスト・パンク”の代表格と知られる。キレの良いギターが特長だが、これはギターのアンディ・ギルがドクター・フィールグッドの初期メンバー、ウィルコ・ジョンソンの影響を受けまくったものだ。この曲は彼らの超クールな1stシングル。
Dire Straits – Sultans of Swing
まるでボブ・ディランそっくりの歌い方だが、ダイアー・ストレイツはれっきとしたイギリスのバンドだ。この曲は彼らのデビュー・シングルで、いきなり全米4位の大ヒットとなった
マーク・ノップラーがピックなしで器用に弾くストラトキャスターの音色が実に快い、良い感じだ。歴代最高のストラト弾きのひとりと言っても過言ではないだろう。
Rod Stewart – Da Ya Think I’m Sexy?
映画『サタデー・ナイト・フィーバー』の大ヒットで、世界的なディスコブームとなると、大物ロック・アーティストたちも次々とディスコ・ビートを取り入れた楽曲をリリースした。古くからのファンには否定的な反応が多かったものの、実際にはディスコ・ビートを取り入れた楽曲はことごとくヒットし、キャリア最大のヒットとなることもしばしばだった。ディスコ・ビートは禁断のドーピング薬のようなものだったのだ。そして中でもこの曲は、全米1位、全英1位と特大のヒットとなった。
Blondie – Heart of Glass
マンハッタンのライヴハウスでパンクの巣窟だった〈CBGB〉出身の彼らは、そのこだわりのなさとポップセンスでいち早く世界的な成功を手にしたバンドだった。この曲はディスコ・ビートを取り入れて、見事全米1位、全英1位を獲得した彼らの代表曲だ。
The Cars – My Best Friend’s Girl
米ボストン出身のカーズの1stアルバム『錯乱のドライヴ』からのシングルで、全米35位、全英3位と、本国よりもイギリスで圧倒的に支持された曲だった。スタイリッシュなソングライティングとタイトな演奏はたしかにどことなく欧風の感じである。ライヴではレコードの再現性の高いその実力が高く評価されていた。
Cheap Trick – Surrender
彼らの3rdアルバム『天国の罠』からのシングル。当時の彼らは本国アメリカではまったく売れていなかったが、日本では音楽雑誌の表紙を飾るなど人気が高く、日本武道館でコンサートを行うほどだった。本国でもブレイクするのは翌年に日本の企画盤『at武道館』が逆輸入され、高い評価を得たためだった。チープ・トリックはまさに、日本の少年少女たちの慧眼に見い出されたバンドだったのだ。
Van Halen – You Really Got Me
キンクスの1964年のヒット曲のカバーで、ヴァン・ヘイレンのデビュー・シングルとなった。全米36位。作者のレイ・デイヴィスが「オリジナルよりいい」と評した、狂暴かつ爽快なカバーは、まったく新しいギター・ヒーローの登場を告げるものだった。
選んだ10曲がぶっ続けで聴けるYouTubeのプレイリストを作成しましたので、ご利用ください。
♪YouTubeプレイリスト⇒ ヒストリー・オブ・ロック 1978【ポスト・パンクとディスコ・ビート】Greatest 10 Songs
ぜひお楽しみください。
(by goro)