ジャニス・ジョプリン『パール』(1971)【最強ロック名盤500】#164

⭐️⭐️⭐️⭐️

【最強ロック名盤500】#164
Janis Joplin
“Pearl” (1971)

このLPレコードをG-大将に借りて聴いたのが、わたしにとってのジャニスとの出会いだ。わたしをロックの沼に引き摺り込んだG-大将のことは昔からこのブログを読んでいる方ならわかるだろうけれども、わからない人はwikiででも調べてくれ。ないかもしれないけど。

わたしはこのアルバムの1曲目の「ジャニスの祈り」を聴いて、もう30秒以内にはジャニスを好きになった。それまで聴いた中でいちばん凄い女性ヴォーカルだと思った。

というのはわたしがまだたったの18歳ぐらいだった頃の話だ。しかしそれ以来たくさんロックを聴いてきたけれども、いまだにジャニスを超えるような女性ロックヴォーカリストを聴いたことはない。

本作はジャニスの急死から3ヶ月後の1971年1月にリリースされた。ジャニスの通算4枚目のアルバムであり、最後のアルバムとなった。

【オリジナルLP収録曲】

SIDE A

1 ジャニスの祈り
2 クライ・ベイビー
3 寂しく待つ私
4 ハーフ・ムーン
5 生きながらブルースに葬られ

SIDE B

1 マイ・ベイビー
2 ミー・アンド・ボビー・マギー
3 ベンツが欲しい
4 トラスト・ミー
5 愛は生きているうちに

レコーディングは1970年の夏に開始されたが、ジャニスの急死によって突然終了することとなった。A5「生きながらブルースに葬られ」だけがまだジャニスの歌入れが終わっていなかったが、そのままバックトラックだけが収録された。

ジャニス自身が書いた曲はA1「ジャニスの祈り」とB3「ベンツが欲しい」の2曲だ。
「ジャニスの祈り」はシングル・カットはされなかったが、彼女の代表曲としてよく知られている。「ベンツが欲しい」はアカペラで歌われているのが逆に魅力的なトラックとなったが、これを録音したのが死の3日前であり、彼女の生前最後の録音となった。

アルバムから「ミー・アンド・ボビー・マギー」がシングル・カットされると、全米1位の大ヒットとなった。この曲はカントリー系のシンガー・ソングライター、クリス・クリストファーソンが前年に自身の1stアルバムに収録した曲のカバーだった。アコースティックギターもジャニス自身が弾いている。

シングルがトップ10入りしたことがなかったジャニスにとって、全米1位の大ヒットは本人がそれを聞いたらさぞかし大喜びしたはずだった。わたしも、ジャニスの全楽曲の中でもこの曲がいちばん好きだ。

2016年の映画『ジャニス リトル・ガール・ブルー』を見たことがある。
今でも真っ先に思い出すエピソードが、集団生活をしていたバンドのメンバーたちが語った「ジャニスが男を連れ込んでヤッてる時の声がとにかくものすごかった」というもので、それはもう、さもありなんという感じである。とてつもないエネルギーを内に秘め、いったんスイッチが入ると爆発的な表現をする、いかにもジャニスらしいエピソードだと思った。

1970年10月4日の夕方、ジャニスがスタジオに現れないため、プロデューサーがマネージャーにホテルに見に行ってくれと頼んだ。マネージャーはホテルの部屋を訪ねると、ジャニスが小銭を握りしめたままベッドの横の床に倒れて冷たくなっているのを発見した。その時点で死後18時間が経っていたという。死因はアルコールとヘロインによるオーバードーズということだった。地上最強の女性ロック・ヴォーカリストは、27歳でこの世を去った。

彼女が遺した名盤『パール』は、全米で9週連続1位の大ヒットとなった。

↓ ジャニス自身によって書かれた代表曲「ジャニスの祈り」。

↓ 全米1位の大ヒットとなった「ミー・アンド・ボビー・マギー」。

(Goro)

created by Rinker
ソニーミュージックエンタテインメント
¥1,370 (2024/12/26 10:15:16時点 Amazon調べ-詳細)
created by Rinker
Legacy
¥3,594 (2024/12/26 10:15:17時点 Amazon調べ-詳細)

コメント

  1. G-大将 より:

    確かにこのアルバムを持ってgoroの部屋へ出かけて行ったのを覚えている。銭も何もねぇのに月に1枚か2枚無理して買っていたアルバムの中でも衝撃的な1枚だった。しかし、君が一人暮らしを始めたのは80年代になってからだろ?10年以上遡って探し回って手に入れたアルバムを喜々として聴きまくるおさらいを怠らない我らのこの姿勢こそが、後に沼ると言う言葉を生み出したのだ。カントリーマーム・チョコまみれの沼ったパッケージになにがしか愛を感じる。

  2. Goro より:

    憶えてましたか。40年前のことでも昨日のことのように話すG-大将らしいです。

    わたしが沼に引き摺り込まれていった始まりが、あの頃でした。

    確かに、カントリー・マアムもよく食べてたな(笑)

    安くて強くて辛い酒のつまみにして。