1980s
パンク・ムーヴメントの嵐が吹き荒れた後に今度は”ニュー・ウェーヴ”という大波が襲うところから始まった80年代のロック・シーンは、電子楽器の普及も手伝って、それまでとは違うサウンドへと変化していく。
電子楽器の流行はもちろん当時のリスナーがそれを好んだからだが、新たなサウンドを求めて実験精神から使うものもあれば、商業主義的に需要に迎合するために導入したものもあった。流行に乗っかって電子楽器を導入したもののもともとの音楽性とうまく融け合わずず、非常にダサい結果となったものも多くあった。本来のロックの味や熱量が見事に失われていた。それは生き残るために仕方なかったのかもしれないけれども。
また、バグルスが「ビデオがラジオスターを殺す」と予言した通りに、MTVの開局によってミュージック・ビデオが大きな商業的成功をもたらすようにもなり、ヴィジュアルが重要視されたり、MVの製作費も莫大なものになり、ロックの在り方も大きく変わっていった。
一方で、その頃から台頭してきた英米のインディペンデント・レーベルでは商業的とは言えない音楽性のアーティストたちが自由に細々と活動していたが、やがてカレッジ・ラジオなどを中心に若者たちの支持を得、オルタナティヴ・ロックの世界を形成していく。それは90年代に大きく花開き、大逆転現象を引き起こすことになる。
『バック・イン・ブラック』(1980)
AC/DC “Back In Black”
全世界で5,000万枚を超えるメガ・セールスを記録した、バンドの代表作だ。
前任のヴォーカリスト、ボン・スコットが33歳で急逝し、新ヴォーカリストのブライアン・ジョンソンを迎えてわずか5か月後にリリースされた。
喪中のような真っ黒なジャケットに、鐘の音から始まるアルバムだが、演奏は喪中どころか圧倒的な原始のエネルギーが迸る、野人たちの狂乱の疾走である。
『リメイン・イン・ライト』(1980)
Talking Heads “Remain In Light”
パンク・ムーヴメントは終わったものの、その熱も冷めやらぬまま”新しい波”を牽引したトーキング・ヘッズは、すでにこの4枚目のアルバムで他の追随を許さないとんでもない境地に到達している。
ブライアン・イーノをプロデューサーに迎え、アフリカン・ビートを取り入れた本作は、クールなファンク、陶酔に誘うミニマル・ミュージックのようでもあり、超絶的にカッコいい。
最先端の前衛ポップでありながら、NYパンク出身らしいダークな部分も見え隠れするのがまたいい。
『シンクロニシティー』(1983)
The Police “Synchronicity”
ポリスの最後のアルバムとなった5作目であり、彼らの最高傑作と評されることの多い名盤だ。
耳新しい実験的なサウンドでありながらポップな聴きやすさは失わない理想的な内容で、17週連続全米1位と大ヒットを記録し、「見つめていたい」「キング・オブ・ペイン」「アラウンド・ユア・フィンガー」などのシングル・ヒットも生まれた。
バンドは最高到達点に達し、もうこれ以上はないというところでの納得の解散だった。
『パープル・レイン』(1984)
Prince “Purple Rain”
「ビートに抱かれて」「レッツ・ゴー・クレイジー」といった、前衛とポップを両立させた奇跡のような世界的ヒットを含む、プリンスの代表作。
多くのロック・アーティストが失敗の限りを尽くしたシンセサイザーという悪魔の楽器を余裕で使いこなし、80年代を象徴するサウンドを創り上げ、過去のロックの象徴とも言えるエレキギターの超絶プレイと見事に融合させたプリンスは、まさにこの時代の救世主のような天才だった。
『クイーン・イズ・デッド』(1986)
The Smiths “The Queen Is Dead”
強烈なタイトルの「クイーン・イズ・デッド」「ビッグマウス・ストライクス・アゲイン」「ゼア・イズ・ア・ライト」など代表曲を多数含むザ・スミスの最高傑作となった3rdアルバムだ。
シンセサイザー頼みのポップロックが溢れた80年代のイギリスで数少ない、人間の喜怒哀楽をストレートに感じる誠実な音楽に聴こえたのがこのザ・スミスだった。だからこそ、30年以上が経過した現在でも色褪せず、リアリティもそのままに聴くことができる。
『ヨシュア・トゥリー』(1987)
U2 “The Joshua Tree”
全世界で2,500万枚を売り上げ、U2最大のヒット作となった名盤。
軽薄で安っぽい電子音が溢れる80年代サウンドが苦手でリアルタイムのロックを聴かなかった当時のわたしがめずらしく耳を奪われたのが、このアルバムから生まれたヒット曲「ホエア・ザ・ストリーツ・ハヴ・ノー・ネイム」や「アイ・スティル・ハヴント・ファウンド・ホワット・アイム・ルッキング・フォー」、「ウィズ・オア・ウィズアウト・ユー」などだった。
アルバムはわたしの苦手な80年代サウンドではなかったし、壮大なスケールの、ロックの世界を超えてしまったかのような圧倒的な作品だった。
『アペタイト・フォー・ディストラクション』(1987)
Guns N’ Roses “Appetite for Destruction”
「ウェルカム・トゥ・ザ・ジャングル」(全米7位)と「スウィート・チャイルド・オブ・マイン」(全米1位)、さらに翌1989年に「パラダイス・シティ」(全米5位)と言った、極めてとっつきやすいハード・ロックの名曲を含む、デビュー作にして2,800万枚以上を売り上げた代表作。
いきなり完成度の高い楽曲と演奏力、華のある見た目、事欠かないバッド・ボーイ・エピソードは時代にうまくハマり、世界的な注目を一瞬にして集め、爆発的な人気を得たた。
90年代に入るとオルタナティヴ・ロック勢の台頭で彼らの存在感は霞んでしまったが、60年代末にレッド・ツェッペリンの登場から始まったハード・ロックの歴史のトリを飾った、最後のハード・ロック・バンドだったと言えるだろう。
『デイドリーム・ネイション』(1988)
Sonic Youth “Daydream Nation”
アナログ盤は2枚組LPとして発表された、ソニック・ユースのインディーズ時代の最後を飾る集大成的な5thアルバム。彼らの最高傑作に挙げられることも多い名盤だ。
メジャー移籍後の、ややポップでインテリジェントでクールなカッコ良さの印象の彼らとは違う、熱々でアグレッシヴで疾走感が凄い、聴いていると血が滾るような、そして恍惚としてくるような、大パンク・アルバムである。
『バグ』(1988)
Dinosaur Jr. “Bug”
閉塞停滞したロック・シーンをあっけらかんと正面突破するかの如く、ジャズマスターによる安っぽい音のイントロの「フリーク・シーン」で豪快にスタートする、ダイナソーJrの名盤3rd。
ギター・ロックの復活を高らかに告げる、名前の通り恐竜の咆哮のようなJ・マスシスのギター・プレイが圧巻。絶対に爆音で聴くべきアルバム。
『石と薔薇』(1989)
The Stone Roses “The Stone Roses”
80年代の最後を飾ったのがこのストーン・ローゼスのデビュー盤だった。
英国ギター・ロックの復活を告げた作品であり、ダンス・ビートとギター・ロックを融合させた革新的作品でもあった。そして、インディーズがメジャーを超え、オルタナティヴ・ロック時代の幕開けを告げた歴史的傑作でもあった。
「憧れられたい」「メイド・オブ・ストーン」「シー・バングス・ザ・ドラム」「僕の復活」など、ほぼすべてが名曲という、滅多にないぐらいの名盤だ。
以上、1980年代の【必聴名盤10選】でした。
軽薄で安っぽい電子楽器に汚染された80年代ロックの中から、しかしそれを見事に使いこなした傑作や、逆に電子楽器や流行なんて完全無視した熱い王道ロックから選んだつもりです。
さて、最終回の次回はオルタナティヴ・ロックがメインストリームの産業ロックを駆逐し、シーンが再び熱く燃え上がった90年代ロックの必聴名盤10選です。乞うご期待。
(Goro)