ラモーンズを聴いていると、やっぱりこのバンドが一番正しいな、と思えてくる。
なにが正しいんだかわからないが、なによりも正しきロック・バンドの姿のように思えてくるのだ。
彼らは今に至る”パンク・ロック”という音楽スタイルを創り上げた張本人である。
セックス・ピストルズもグリーン・デイもブルー・ハーツも、ラモーンズがいなければこの世に存在しなかったかもしれない。U2のボノも2001年のMTVアワードで「ラモーンズが存在しなかったらU2も存在しなかっただろう」と語っている。
わたしも自身も、ラモーンズがいなければもっとちがう生き方をしていたのかもしれない。
わたしはパンクの神様に魂を売ったのだ。ゴロー・ラモーンになってしまったのだ。
それと引きかえになにを手にしたのかと言うと、たぶん、まあアレだろうな。
ニューヨーク・パンクの象徴だったラモーンズは、1976年にアルバム『ラモーンズの激情』でデビューし、1995年の14枚目のアルバム『アディオス・アミーゴス〜さらば友よ〜』を最後に解散した。
約20年の活動期間だから決して短くはなかったが、その間一切ブレることなくラモーンズであり続け、刺激的なスピード感と良質の「歌」を併せ持つ最高のロックンロールを創造し続けた。
活動末期のアルバムも決してパワーダウンすることなく、充実した創造力を見せつけ、やはり別格であることを示したものだ。
ここではそんなラモーンズの数々の名曲の中から、わたしが愛する【名曲ベストテン】を選んでみたいと思う。
Beat on the Brat (1976)
1stアルバム『ラモーンズの激情』に収録された、ジョーイが書いた曲。
「ガキを殴ってやれ、野球のバットで殴ってやれ、オー・イェー」と連呼する、たった4つのコードでできた、ナンセンスでユーモアあふれるいかにもラモーンズらしい曲だ。最初に聴いた時は衝撃を受けたな。
Outsider (1983)
7枚目のアルバム『サブタレニアン・ジャングル』収録曲。
ディー・ディーが書いた曲で、ドイツで育ち、貧困に苦しみ、少年院に入り、ドラッグに溺れた経験を持つ彼自身の「社会からの疎外感」を歌った歌。疾走感のある曲だが、どこか哀愁が漂っているところが好きだ。
ブリッジの部分はディー・ディーがリード・ヴォーカルをとっている。
Rockaway Beach (1977)
3rdアルバム『ロケット・トゥ・ロシア』収録曲で、ディー・ディーが書いた曲。
ラモーンズの原点は彼らがティーンエイジャーの頃に親しんだ、60年代のサーフ・ミュージックやバブルガム・ポップだ。この曲はそんな彼らの、原点回帰的な曲と言えるだろう。
この曲は全米66位と、全キャリアの中でもチャート最高位となるヒット・シングルになった。
Pet Sematary (1989)
11枚目のアルバム『ブレイン・ドレイン』収録曲で、スティーヴン・キング原作のホラー映画『ペット・セメタリー』の主題歌だ。
もともとスティーヴン・キングがラモーンズの大ファンで、自宅の近くで公演があった際に自宅にメンバーを招待したという。
キングが自著『ペット・セメタリー』が映画化される予定なので、曲を使わせて欲しいと頼むと、ディー・ディーはそれならと言って、原作本を持って地下に1時間ほどこもり、曲を書いて戻ってきたという
パンク・スタイルではない異色の曲調だけれども、「おれをペットの墓地に埋めないでくれ。こんな人生はもう二度とゴメンだ」と歌う、ホラー風ながらユーモアもたっぷりな曲だ。
The KKK Took My Baby Away (1981)
6枚目のアルバム『プレザント・ドリームス』収録曲。ジョーイが書いた曲で「僕の彼女がKKKに連れて行かれちゃった」と歌われる。
実はジョーイとジョニーは何年にもわたってまったく口をきかなかったほど仲が悪かったのだけれども、もともとジョーイがリベラル左派で、ジョニーが保守右派という真逆の政治思想を持つぐらい考え方の違う二人だったうえに、決定的になったのはジョーイが好きだった女の子をジョニーが奪ったことだったという。
この曲は保守右派のジョニーをKKKになぞらえて歌っているということらしい。
Bonzo Goes To Bitburg (1985)
9枚目のアルバム『アニマル・ボーイ』収録曲。
この曲は2003年の映画『スクール・オブ・ロック』で使用された。バンドマンが金のためにニセ教師になって小学生たちにロックを教えるというコメディ映画だ。
下の動画は実際の映画のシーンだ。ニセ教師によるロックの授業の様子を、実際のロックスターたちの映像を交えながら、この曲に乗せて見せている。
ロック好きならこれを見て胸が熱くならない人はいないだろう。
I Wanna Be Sedated (1978)
4枚目のアルバム『ロード・トゥ・ルーイン』収録曲。ジョーイが書いた曲だ。
当時、バンドは猛烈なスケジュールで世界を回っていて、心身ともに限界だったという。「もう限界だ、眠らせてくれ」「もう何も考えたくない、全部どうでもいい」と歌っている。
そんな過酷な状況でもユーモアを忘れないラモーンズは、まるでポップ・アートのようにクールだった。
Sheena Is a Punk Rocker
1977年5月にリリースされたシングルで、全米81位と、レコードが売れないことを悩んでいた彼らにとって、念願のトップ100に入った記念すべき曲。よほど嬉しかったのか、すでに出ていた2ndアルバム『リーヴ・ホーム』に急遽追加し、さらには3rd『ロケット・トゥ・ロシア』にも収録した。
いかにもラモーンズらしい、ラウドでスピード感あふれるパンク・スタイルに、60年代のキャンディ・ポップのようなメロディを乗せた、ラモーンズの神髄のようなナンバーだ。
Blitzkrieg Bop (1976)
ラモーンズのデビュー・シングルであり、史上最高のロックンロール・アルバム『ラモーンズの激情』のオープニングを飾る代表曲である。ラウドでクールでスピード感あふれる、彼らの魅力が凝縮された曲だ。
「ヘイ!ホー!レッツゴー!」の掛け声は、革命を告げる合図なんだそうだ。
たしかに、彼らがロックに革命を起こしたことに間違いはない。
Do You Remember Rock ‘N’ Roll Radio? (1980)
5枚目のアルバム『エンド・オブ・ザ・センチュリー』のオープニング・トラックだ。
このパンク・ロックらしからぬ、深いエコーの加工は、”ウォール・オブ・サウンド”で知られるフィル・スペクターのプロデュースによるものだ。
このオーバー・プロデュースには賛否両論あるかと思うけれども、わたしはラモーンズのポップ・センスを引き出して強調したことは良かったと思っている。
小学生の頃からラジオで歌謡曲に親しみ、さらには洋楽を知ったわたしにとっては、この曲の歌詞にも胸が熱くなる。大好きな曲だ。
ラモーンズをワンパターンでつまらないと思うとしたら、お寿司が全部同じに見えるのと同じぐらい気の毒な方だ。残念ながら、ラモーンズとそしてわたしのブログに縁のない方だろう。
彼らはワンパターンではない。ブレないだけである。そして実はかなりのメロディメーカーでもある。だから全然飽きないのだ。一生聴いていられる。
残念なことに、ラモーンズのオリジナル・メンバーは全員、すでにこの世にいない。
彼らはそのロックンロールのスピード感そのままに、人生まで一気に駆け抜けてしまった。
2001年、ヴォーカルのジョーイ・ラモーンがリンパ腺癌により49歳で死去。
2002年、ベースのディー・ディー・ラモーンがヘロインのオーバードーズにより、同じく49歳で死去。
2004年、ギターのジョニー・ラモーンが前立腺癌により、55歳で死去。
2014年、ドラムのトミー・ラモーンが胆のう癌により62歳で死去。
ラモーンズは、70年代に一度は廃れかけた「ロックンロール」という音楽を、救世主のように復活させた。
そしてその使命を終えたときに彼らはステージから降り、あっという間にこの世から去っていったのだ。
まるでロックンロールを復活させるためだけにこの世に舞い降りたような4人に、わたしは永遠の感謝とリスペクトを誓おう。
(Goro)
コメント
KKK、ボンゾあたり出るところがこのサイトに期待してるところだったのでうれしい
ランキングです!
トムウエイツのカバー「大人になんてなるものか」(タイトルの邦訳もグッド!)も大好きです。解散してから後追いで聞きましたが時代に合わせつつも、芯がしっかりしているバンドですよね。
サカモトさん、いつもありがとうございます!
「KKK、ボンゾあたり出るところがこのサイトに期待してるところ」というのが嬉しいですね。わたしの好きな傾向を完全に読み取ってくれてると思います(笑)
今回はあえてカバーを外したランキングにしましたが、初期の「レッツ・ダンス」や「ドゥ・ユー・ウォナ・ダンス」をはじめ、ラモーンズはカバーもいいですよね!