Band Aid
Do They Know It’s Christmas? (1984)
イギリス・アイルランドのロック&ポップスのスターたちが集結した、80年代に流行したチャリティー・プロジェクトの先駆となったシングルだ。この企画の世界的な話題と成功は音楽業界に大きな影響を与え、後に続々とチャリティー・プロジェクトが立ち上げられることになる。
当時のエチオピアで起きていた、数百万人が餓死するという壊滅的な飢饉の報道を見てショックを受けたブームタウン・ラッツのボブ・ゲルドフが「音楽で何かできることはないか?」と考え、友人のウルトラヴォックスのミッジ・ユーロに相談を持ちかけたのがことの始まりだった。共に企画の発起人となり、二人で曲を書き、ロック・ポップス界のスターたちにノー・ギャラでの参加を募って、レコーディングが行われた。
参加したバンド・アーティストは以下の通り。
ブームタウン・ラッツ
ミッジ・ユーロ、クリス・クロス(ウルトラヴォックス)
スパンダー・バレエ
フィル・コリンズ
デュラン・デュラン
ポール・ヤング
ヘヴン17
マリリン
バナナラマ
ジョディ・ワトリー
ボノ、アダム(U2)
ポール・ウェラー
クール&ザ・ギャング
ジョージ・マイケル
フランシス・ロッシ、リック・パーフィット(ステイタス・クォー)
ボーイ・ジョージ、ジョン・モス(カルチャー・クラブ)
スティング
ホリー・ジョンソン(フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド)
ビッグ・カントリー
そして、プロデューサーを務めたのが元バグルスのトレヴァー・ホーンだ。
当時のイギリスのロック・ポップス界の錚々たる面々が一堂に会したことは、イギリスはもちろん、世界的にも話題となった。今までにそんなレコードが作られたことはなかったし、その様子を映し出したPVもまた、前代未聞の豪華共演の映像として大いに注目を集めた。
日本でも大きな話題となった。現在と違って、当時はビデオもインターネットもなく、洋楽アーティストの動画を見る機会というのがほとんどなかったのである。レコードを全部持っていて何年もファンを名乗りながら、しかしそのアーティストの動いている姿を一度も見たことがない、ということがごくあたりまえのことだった。
そんな時代に、人気スターたちが一堂に会して動いている姿を見るだけでも興奮し、感動したものだった。MTVという新しいメディアが注目を集めていた時代だったからこその、タイムリーな手法が見事にハマって世界的大ヒットにつながったのは間違いないだろう。
ミュージシャンたちによるチャリティー・プロジェクトに対しては当時から、偽善だのなんだのと、批判は常に付きまとった。
それについてわたしはあまり深い事情は知らないけれども、偽善だろうが売名だろうが自己満足だろうが、人は自身の考えや感情や都合に従って、できることをやればいいと思っている。
人気スターたちは自ら募金するだけでなく、あえて客寄せパンダになって世界中の人々から募金を募ることができる。それが偽善だろうが売名だろうが、結局われわれのようなただの一般人が街頭で募金箱を抱えて立つのとは比べ物にならないほどの集金力があるのは歴然とした事実である。
しかもこのプロジェクトは一度きりで終わらず、事務局も常設され、チャリティ・コンサートやレコードの出版が繰り返し行われ、集められた金額は累計で270億円にも達するそうだ。
当時のエチオピアでは、飢えで死にかけている子どもたちの数に対して食糧の絶対量があまりに少なく、看護士は毎日、救う子供と見捨てる子供を選別しなければならなかったという。まさに地獄だ。必要なのは議論などではなく、食糧だけだ。
この歌の歌詞の一部にも批判が集まった。
それはU2のボノが歌う一節で「Well tonight thanks God it’s them instead of you” (それ(飢餓の犠牲者)が君ではなく彼らだったことを神に感謝しよう)」という歌詞だ。
これはボブ・ゲルドフが書いた詞で、共作者のミッジは「あまりにひどすぎる」と反対し、ボノも歌うことに抵抗を示したが、しかしボブは上辺だけの言葉ではなく、本音も入れたいんだと彼らを説得し、そのまま歌われることになったという。
レコーディングは1984年11月下旬にたった1日で行われ、2週間後の12月7日にはシングルが店頭に並んだ。イギリスでは空前の売上を記録し、世界13カ国でもチャートの1位を獲得し、1989年までに1,200万枚を売り上げた。
↓ 懐かしい顔ぶれが勢揃いの楽しいPV。スティングもボノもポール・ウェラーもみんな若いな。
(Goro)