Alice Cooper
I’m Eighteen (1970)
「僕は18歳、でもなにが欲しいのかわからない。なんて言っていいかわからない。毎日混乱してる」と、大人でも子供でもない年齢に戸惑っている少年の気持ちを歌った歌だ。
1971年3月発表のメジャー・デビュー・アルバム『エイティーン(Love It to Death)』からのシングルで、全米21位と、アリス・クーパーにとって初めてのヒット曲となった。
エイティーンの頃なんて青春真っただ中の、無邪気で楽しかった思い出ばかり、という人も多いだろう。
でもわたしは自分がエイティーンの頃のことなんて、できれば思い出したくないグライダ。思い出すだけで顔から火が出るような恥ずかしさと今さらどうにもならない後悔の思いが沸き上がって来て、布団にもぐってワァーーーーーッなどと叫びたくなるのだ。
何年か前の話、知人の店で飲んでいると、偶然、昔の知り合いであるN氏に三十数年ぶりに会った。N氏はわたしより2つ年上で、バイト先の先輩だった。
バイト先は喫茶店で、彼はフロアで、わたしは厨房で働いていた。そのときわたしはそろそろ18歳になろうかという年齢で、将来はミュージシャンか小説家にでもなるつもりでいたので、そんな喫茶店の仕事に本気の興味や真剣な気持ちはカケラもなかった。
しかし、どんな仕事であれ真剣に取り組めないような人間が、ミュージシャンや小説家になんかなれるはずがないということを理解するまでにはまだ十年以上の年月が必要だったのだ。
久しぶりに会ったN氏は「暗かったよなぁ、おまえは」と言った。昔からそうだけど、言いにくいことをわりと平気で言う人だ。そしてこう続けた「自分の悪いところを全部世の中のせいにしてたもんなあ」。
まあ、その通りなのだろう。でもなかなかこうストレートに言う人もめずらしい。でも本当に、まったくその通りだったと思う。
若いころなんて本当になにも知らないし、なにもできないし、なにひとつうまくいかなかった。
わたしは人より少し早めに社会に出たけれども、しかしその社会においては、自分はまだ小学2年生と変わらないぐらい役に立たない存在であることをそろそろ無意識に実感していたのだろうと思う。
わたしはそんな「社会」あるいは「世の中」というものが気にくわなかったのだ。
だからわたしは、わたしに対して厳しく、冷たく当たる「社会」あるいは「世の中」というやつを無視してやることにしたのだった。
自意識過剰な自己チューの若者は、「現実に目を向けない」という必殺技だけを身につけている。この技さえあれば、どこまででも間違った方向に進むことができるのである。
「悪いのは世の中であり、わたしたちではない。わたしたちが不幸なのは世の中のせいである」
都合の良いことに、当時はこのようなありがたいお言葉がそこら中にあふれてもいたのだ。
当時聴いていた反骨心旺盛なフォークやロック、そして戦争世代を時代遅れと見做し、新しい世代である自分たちの感受性をアピールする流行りの文学作品なども、わたしをその気にさせるのに充分だった。
反骨心はもてはやされ、革新という言葉は魅力的であり、反体制という看板は真の正義と同義語のように思えた。
あ。アリス・クーパーの「エイティーン」の話でしたね。
ごめんなさい。いつもの悪いクセで、脱線すると止まらなくなってしまう。
まあいいや、続けよう。
「悪いのは世の中であり、わたしたちではない。わたしたちが不幸なのは世の中のせいである」今から思えば、こんな言葉は胡散臭い新興宗教やあるいは過激派の言い分となんら変わらない。
わたしは現実をできるだけ見たくないために音楽や読書に耽り、その中でそんな言葉を見つけては世の中に対する不安や怯えを一瞬だけ忘れ、ホッとしていたのだろう。
N氏らと一緒に働いていた喫茶店をわたしは、ある日オーナーに一方的に不満をぶちまけて辞めた(いやオーナーのほうこそわたしに対して山のような不満があったに違いないのだが)。
次の仕事のことなどなにも考えていなかったので、さてなにをしたらいいものかと実家の県営団地の三畳の自室にこもって悩み、下手糞なギターを弾いたり、もちろん彼女なんていないし、ときどき母親には叱られるし、仕方なく仕事を探し、やがて地元の映画館に就職が決まるまでが、わたしの「エイティーン」だった。もちろん、面白いエピソードなんてひとつもない。あの頃のわたしは、わたしより楽しそうな毎日を送っている、すべての同世代を憎んでいた。
あれから40年。
あたりまえだが、40年もあれば人はちゃんと変わるものだ。
本や音楽の中に答えを探して現実逃避し、むりやり自己正当化していた少年は、今や、現実の世界の隅から隅までが愛おしいただのおっさんとなった。
自分の仕事に集中し、愛すべき同僚たちがいる会社でお互いのために働き、自分が住む地域のことを知り、生まれたこの国の言語や風土や文化の素晴らしさを知り、今のこの時代の良いところも悪いところも理解できるようになり、そして今に連なる歴史を重く受け止めるようにもなった。
わたしは頭がイマイチ良くないので、ちょっと人より気づくのが遅かったようだが、世の中も人生も、まったく悪いものではない。嫌なことも辛いことももちろんあるけれども、自分さえその気になれば、それ以上の喜びや、かけがえのない幸福に溢れていることに気づくだろう。
現在エイティーン中の若者たちにはまだわからないかもしれない。
でもまだわからないでいるのも、それはそれでいい。人生の醍醐味はいろんなことがわからなかったりわかったりすることだ。
わからない謎は、人生が進むにつれ、次第に解けてくる。
その謎が解けるたびに、小説や映画などとはくらべものにならないほどの、静かだけれど深い、魂を震わすような感動の嵐が、これでもかというほど、何度も何度も君を襲うのである。
(Goro)
コメント
Goroさんご無沙汰しております、前に何度かコメントさせていただいたkonnichiwa2000です。その後も色々ありましたが何とか頑張ってます。
Goroさんの文章は一見淡々としているように見えてその実、独特のリズムと美意識が漲っていて、まるで心地のよい音楽に身を委ねているかのように言葉がすとんと胸の奥に落ちてきます。今回のエントリも美しい…
こんな文章が書けるようになりたいなあと毎回思いながら、紹介されているバンドを聴きなおしたり買いなおしたり。今はそれが何よりの楽しみです。いつもありがとうございます。
konnichiwa2000さん、過分なお褒めのお言葉、ありがとうございます!
決してうまく書けているとは思いませんが、「読みやすく」「わかりやすく」は常に心がけて、声を出して読みながら、違和感なくスラスラ読めるか確認したりはしております。
ブログを始めた当初は、わたしの周囲のロック好きの友人たちだけが読者でしたので、読みやすく、わかりやすくないと読み続けてもらえないと思いながら書いてきたということはあります。まあ、すぐに調子に乗ってフザけたり、毒を吐いたりするのもその当時からの名残でしょうけれども(笑)
konnichiwa2000の今回のコメントで、ちゃんと全部伝わってるんだなと、感動するような想いです。
ただ文字を選んで並べただけなのに、ホントに微妙なニュアンスまで他人に伝えることができる「日本語」という偉大な言語がただただ愛おしく思えます。