⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️
The Rolling Stones
“Beggars Banquet” (1968)
方向性を見失い迷走していたストーンズは、デビュー以来初となる外部プロデューサー、ジミー・ミラーを招聘し、起死回生のシングル「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」の大ヒットで復活の端緒をつけた。
そして引き続きジミー・ミラーのプロデュースでその8ヶ月後の1968年12月にリリースしたアルバム『べガーズ・バンケット』は、まさにストーンズの完全復活を遂げた大傑作となった。
いや、復活というよりは”生まれ変わった”といった方がしっくりくるかもしれない。前作までとはまるで別のバンドのようだ。こんなアルバムはストーンズはもちろんのこと、どんなロックバンドも作ったことがなかった。まるで突然変異で生まれた怪物のようなアルバムだった。
ルーツ・ミュージックの深遠な歴史と、1968年という燃え盛るようなカウンター・カルチャーの時代が時空を超えて繋がり、あえて汚い音で作られた、リアルな凶々しさにヒリヒリする、強烈な匂いを放つ音楽だ。こんな物凄いアルバムは他になかった。
【オリジナルLP収録曲】
SIDE A
1. 悪魔を憐れむ歌
2. ノー・エクスペクテーションズ
3. ディア・ドクター
4. パラシュート・ウーマン
5. ジグソー・パズル
SIDE B
1. ストリート・ファイティング・マン
2. 放蕩むすこ (ロバート・ウィルキンスのカバー)
3. ストレイ・キャット・ブルース
4. ファクトリー・ガール
5. 地の塩
ストーンズの数ある名曲の中でもとくに異様な凄味を放つのがA1「悪魔を憐れむ歌」だ。ミックの、初めは紳士的なフリをした悪魔が徐々にその正体を現していくようなヴォーカルが凄い。まるでこの世のものではないなにかにとり憑かれたかのようだ。エンディングで奇声を上げているのはもはやわれわれの知っているミックではない。
そしてキースも、残忍な悪魔が鎌を振り回すように、おそろしく暴力的で切れ味の鋭いギターソロを放つ。わたしはこれ以上に凶暴なギターソロを他に知らない。もちろんこのキースも、なにか得体のしれないものに憑かれているかのようだ。
B1「ストリート・ファイティング・マン」もまた、ストーンズの代表曲のひとつとなった名曲だ。暴力的で不穏な響きの、危険極まりないロックンロールである。
キースによれば、この曲にはエレキギターを使っていないと言う。アコギで弾いた音をカセットに録って、最大音量で再生したものをマイクで拾って何度も重ね、「ギターにギターを混ぜてすりつぶして」使ったそうだ。
その二つの大名曲は別格として、それ以外でわたしが最も好きな曲をこのアルバムから選ぶとしたら、最後を飾る「地の塩」だ。
「地の塩」とは、この世で最も大切なものを指す、聖書に出てくる言葉だ。 ここでは、社会の底辺に生まれ、重労働に従事して生きている貧しい人々、この社会を支えている人々のことを指している。この歌は社会の底辺で、それでも真摯に生きていく人々に対する共感とリスペクトに溢れている。
キースのヨレヨレで、ヘロヘロなヴォーカルがまたいい。それはまさに、貧しき労働者が仕事の愚痴をこぼすための安酒場で、ギターを取り出して歌いだしたかのようだ。
「ストレイ・キャット・ブルース」のような陰惨な横顔もこれまでのストーンズは見せたことがなかった。15歳の少女をベッドに誘い「おまえのママは、おまえがこんな声を出すなんて知らないだろうな」と嗤う、現代なら完全にアウトな歌詞が、兇悪で血なまぐさいサウンドに乗せて歌われる、禍々しいブルースである。ミックのヴォーカルはまるで、頭のネジの外れたサイコパスのようだ。
前作『サタニック・マジェスティーズ』までのストーンズは迷走に迷走を重ねていた。 それはストーンズだけではなく、多くのブリティッシュ・ビートのバンドも同様だった。ビートルズの成功を後追いし、サイケやコンセプト・アルバムなどの実験的な試みをしながら、いつしか迷路の袋小路に突き当たっていた。
しかしストーンズは、逆走するようにしてその迷路から脱出した。米国のブルースやカントリー、フォークといったルーツ・ミュージックへと立ち帰り、それまでのブリティッシュ・ビートのアルバムとはまったく違うものを創りあげたのだ。そもそもブルース・バンドとして登場したストーンズに必要だったのは、”進化”ではなく、”深化”だったのだ。
きっとジミー・ミラーがいなければこんなアルバムにはならなかっただろう。ソングライティングの著しい成長ももちろんだし、ミックのヴォーカルもキースのギターもこれまでにない一面を見せるようになる。いろんな偶然と奇跡がいっぺんに舞い降りてきたとも言える。キースは自伝でこう語っている。
この時期、なんであんなうまく事が運んだのかはわからない。タイミングかもしれない。自分たちの原点はどこかとか、自分たちに火をつけるのは何かとか、べつだん深く考えていたわけじゃなかった。(中略)やる必要のあることだった。アメリカの黒人音楽と白人音楽のミックスには大いに探求の余地があったしな。(『ライフ』キース・リチャーズ著 棚橋志行訳)
この時期にカントリーを取り入れて新しいスタイルを作り出したバンドはいくつもあったが、結局いちばん成功したのはストーンズではなかったかとわたしは思う。 ストーンズはこのブルースとカントリーのツインエンジンで、70年代もロックシーンのトップを走り続けたのだ。
さらにキースはアルバムについてこうも語っている。
アルバム一枚におけるロックンロールの割合は『べガーズ・バンケットくらいで充分だ。「悪魔を憐む歌」や「ストリート・ファイティング・マン」を別にすれば『べガーズ・バンケット』にロックンロールがあるとは言いがたい。「ストレイ・キャット・ブルース」には多少ファンクなところがあるが、あとはみんなフォークソングだ。
純粋なロックンロールなんて、俺たちにしてみりゃ面白くなかったのさ。(中略)ジミーがプロデュースした一連の作品はガツンと強烈なものだけじゃないってことだ。ヘヴィ・メタルじゃない。まさしく音楽だったんだ。(『ライフ』キース・リチャーズ著 棚橋志行訳)
もしもストーンズがロックンロール一辺倒のバンドだったら、わたしは彼らのファンになることもなかっただろう。そんなバンドならきっと、60年代のどこかでとっくに行き詰まり、終わっていたに違いないからだ。
↓ ストーンズの数ある名曲の中でもとくに異様な凄味を持つ「悪魔を憐れむ歌」。
↓ 暴力的で不穏な響きの、危険極まりないロックンロール「ストリート・ファイティング・マン」。
(Goro)