米ジョージア州出身のオーティス・レディングは、同郷のリトル・リチャードに憧れて歌手を志し、1962年、21歳の時にソロ・デビューする。
魂から情熱が迸るような歌声による彼のソウル・ミュージックは、ソウル界に革命を起こし、ロック界にも多大な影響を与え、黒人・白人を問わず支持された。
オーティスが敬愛してやまなかったサム・クックから引き継いだその精神性と音楽性は、〈サザン・ソウル〉あるいは〈ディープ・ソウル〉と呼ばれる、ソウル・ミュージックの中でも最もディープな一派を生み出した。
黄人のわたしは、ちょうど30歳ぐらいのときにオーティス・レディングを聴き始めた。
それまでのわたしはほぼ白人のロックしか聴いていなかったので、レコードやCDのラックなんかは、目が痛くなるぐらい真っ白に輝いていて、たまに黒い影があったとしても、ジミヘンかチャック・ベリーぐらいのものだった。
そんなわたしがオーティスを聴いてハマってしまった。
オーティスの声ももちろんいいけれど、わたしはあのサウンドにもシビれた。あの、メンフィスのスタックス・スタジオのとびっきりの名手たちによる演奏だ。ロックを聴き慣れたわたしの耳には、それは異質のサウンドに聴こえた。なんだこれは、と思ったものだ。
ヘヴィ級のベースが振動し、ギターがキラキラと火花のように音を立てる。ドラムは時に力強く、時に優しいリズムを刻み、少し眠たげな馬のようにホーンがいななく。バラードを歌うオーティスは闇の中でずっとなにかを探すように、手探りしながらさまよっている。そんなイメージだった。
ノスタルジックでもあり、情熱的でもあり、苦悩しているようにも、生命を謳歌しているようにも聴こえた。
オーティスにハマったわたしは、その後さらにソウル・ミュージックを聴き進め、2〜3年はどっぷりその世界に浸かって真っ黒け焦げになっていたものだった。
残念ながらオーティスはデビューからわずか5年、飛行機の墜落事故により26歳で世を去った。たったの26歳だったとは思えないほど、良い意味で老成した深い音楽を彼は遺した。
以下は、これから初めてオーティス・レディングを聴く方のためにわたしがお薦めしたい至極の5曲だ。バラードに偏ってしまったが、まあしかしオーティスの本領はバラードにあるとわたしは思っているので、それもやむを得ないところだ。
These Arms of Mine
オーティスのデビュー・シングルであり、〈ディープ・ソウル〉が誕生した瞬間だった。全米85位、R&Bチャート20位。
わずか21歳という、少年に毛の生えたような若者の作とは思えないほど深い味わいのある、胸に沁みる美しいバラードだ。
RCサクセションの名曲「スロー・バラード」を聴くといつも、カー・ラジオから流れて来たのはこの曲だったのではないかな、などと想像してしまう。
That’s How Strong My Love Is
「おれの愛はなんて強いんだろう!」と、自分で自分の愛の強さに感嘆している、いかにもオーティスらしい代表曲。全米74位。R&Bチャート18位。
明るい曲調のバラードで、なんだか生きる意欲が湧いてくるような、何度聴いてもグッとくる、感動的な名曲だ。
Respect
恋人に対して、「もう少しおれに敬意を持って接してほしい、おれが欲しいものは敬意だけなんだ」と歌う、アップテンポの快活な名曲。米R&Bチャート4位、そしてポップチャートでも35位のヒットとなり、白人リスナーにも受け入れられるきっかけとなった。
しかし1967年にアレサ・フランクリンがカバーしたバージョンは、原曲を上回る全米1位の大ヒットとなった。そのため、どちらかというとこの曲は現在でも、オーティスよりもアレサの代表曲としてよく知られている。
I’ve Been Loving You Too Long
名盤『オーティス・ブルー』収録の、オーティスの〈泣き節〉が激しく炸裂する、ドラマチックな名バラードだ。全米21位。R&Bチャート2位。
67年に出演したモンタレー・ポップ・フェスティヴァルで披露した映像を見たことがあるが、ロックを聴きに来ていた白人の若者たちのハートを一撃でつかんだという伝説も納得である。
(Sittin’ On) The Dock of the Bay
この曲をレコーディングしたわずか3日後に、オーティスとバンドメンバー、スタッフが乗った自家用飛行機が湖に墜落し、オーティスは還らぬ人となった。
寂しげで、疲れ切ったように歌われるこの穏やかな名曲は、それまでのオーティスのイメージと違い、泣き節やシャウトも無いのに、心を揺さぶる歌になっている。
当時のロックやフォークを意識した、オーティスの新しい一歩であると同時に、ソウル・ミュージックの新たな扉を開くような画期的な名曲だった。
オーティスの死後、シングルで発売され、彼にとっては初めての全米1位となった。
オーティスが開け放った扉のおかげで、ロックリスナーもソウルの世界に入っていきやすくなり、その魅力を知った人も増えたに違いない。わたしもそのひとりだ。
(Goro)