USA for Africa
We Are The World (1985)
ポップス史上、最もよく知られ、セールス的にも成功したコラボ曲ってなんだろうと考えていたら、この曲に思い至った。認知度も、セールスも、そのインパクトの大きさも、後にも先にもこれ以上のものはあるまい。
このプロジェクトは、前年にイギリスで大きな話題となったチャリティー企画〈バンド・エイド〉に触発されて(バナナ・ボートで有名な)ハリー・ベラフォンテが発案し、ライオネル・リッチー、クインシー・ジョーンズ、マイケル・ジャクソンなどが中心となって、当時深刻化していたアフリカの飢餓救済のためのチャリティー・プロジェクトのアメリカ版として立ち上げられたものだった。
イギリスの企画を真似たとはいえ、やはりアメリカ軍の顔触れの豪華さはイギリス軍とはケタ違いだった。ポップス界のレジェンドから、ソウル・R&Bのスーパースター、カントリー界の大御所、フォークの神様にロック界のボス、旬のポップ・アイコンまで、幅広いジャンルのアーティストが一堂に会した様はそれだけで圧巻だった。
先日の「バンド・エイド」の記事でも書いたが、当時の日本ではそもそも、洋楽アーティストの映像を見ること自体が貴重だった。有名アーティストたちが一堂に会して動いている映像を見るだけで、ちょっとした感動を覚えたものだ。
1985年当時、この顔触れの中で最も注目を集めていたのは、「スリラー」が大ヒットしたマイケル・ジャクソンや、旬のシンディ・ローパー、そしてブルース・スプリングスティーンだろう。わたしも、動いているスプリングスティーンを見るのが目的で見ていたようなものだった。
アルバム『ボーン・イン・ザ・USA』が世界的なヒットを記録していた頃で、まさに当時のロック・シーンの台風の目のような存在だった。この曲でも彼が歌うパートがやや多めに取られているのはそのせいだろう。わたしの記憶では、当時のお昼の番組『笑っていいとも!』でこの「ウィー・アー・ザ・ワールド」の話題になったときに、タモリがスプリングスティーンの「ウィアーザウォォ~~」という歌い方をマネをして笑わせていたのを今でも憶えている。
今あらためてMVを見てみると、スプリングスティーンのこの歌い方は正解だったのかどうか、よくわからない。ディランは正解だ。
シンディ・ローパーは可愛らしく、このどことなくピリピリした空気を和ませている。ダイアナ・ロスの声の素晴らしさは、あらためて鳥肌モノだ。あ、ビリー・ジョエルもいたんだなあ。
このシングルは全米はもちろん、世界各国でチャート1位になり(日本では小泉今日子の「常夏娘」に阻まれて2位だったが)全世界で2,000万枚以上を売り上げ、80年代で最も売れたレコードとなった。アルバム・ビデオの売り上げも含め、総額6500万ドル(当時のレートで約160億円)の寄付金が集まり、大成功を収めた。
参加アーティストは以下の通り。
クインシー・ジョーンズ(指揮)
シンガー (歌唱順)
ライオネル・リッチー
スティービー・ワンダー
ポール・サイモン
ケニーロジャース
ジェームス・イングラム
ティナ・ターナー
ビリー・ジョエル
マイケル・ジャクソン
ダイアナ・ロス
ディオンヌ・ワーウィック
ウィリー・ネルソン
アル・ジャロウ
ブルース・スプリングスティーン
ケニー・ロギンス
スティーヴ・ペリー
ダリル・ホール
ヒューイ・ルイス
シンディ・ローパー
キム・カーンズ
ボブ・ディラン
レイ・チャールズ
コーラス (アルファベット順)
ダン・エイクロイド
ハリー・ベラフォンテ
リンジー・バッキンガム
マリオ・チポリーナ
ジョニー・コーラ
シーラ・E
ボブ・ゲルドフ
ビル・ギブソン
クリス・ヘイズ
ショーン・ホッパー
ジャッキー・ジャクソン
ラトーヤ・ジャクソン
マーロン・ジャクソン
ランディ・ジャクソン
ティト・ジャクソン
ウェイロン・ジェニングス
ベット・ミドラー
ジョン・オーツ
ジェフリー・オズボーン
ポインター・シスターズ
スモーキー・ロビンソン
実はプリンスも参加予定だったのだが、当時の恋人だったシーラEにソロ・パートが与えられなかったことで機嫌を損ね、当日何度も電話して説得したが結局来なかった、と伝えられている(シーラ談)。
(Goro)