『女たち』(1978)
The Rolling Stones
1977年2月にトロントのクラブ、エル・モカンボでシークレット・ライヴを行うためにカナダ入りしたキースは、いつものようにしこたま打ち込んでホテルで泥のように眠っていた。
そこへカナダの騎馬警察隊が部屋に踏み込み、ヘロインを発見し、意識を失っている者は逮捕できないという法律があることから、文字通り平手をぶちかまして叩き起こしてキースを逮捕したのだった。またその量が尋常じゃない量だったため、所持容疑の上に売人としての容疑まで加えられた。カナダの法律では実刑は免れず、悪くすれば終身刑という窮地に陥ったのだった。
千ドルの保釈金を払って保釈されたものの、その後裁判は2年の長きに及んだ。弁護士たちは終身刑は免れたとしても、7年程度の実刑は避けられないと考えていた。アルバム『女たち』の制作はそんな状況で行われた。
70年代の前半にジミー・ミラーをプロデュースに迎えて制作されたアルバム群は、ルーツ・ミュージックを掘り下げながらストーンズ独自の音楽性を追求・創造したが、74年以降、ミックとキースによる〈グリマー・ツインズ〉のプロデュースになってからは、その時々の最新流行のロック・ポップスのシーンを見据えながら、そのスタイルを取り入れたり、対抗したりする形でアルバムの音楽性に反映させていった印象だ。
74年の『イッツ・オンリー・ロックンロール』にはグラム・ロックの流行に対して、その元祖としての気概が感じられたし、76年の『ブラック・アンド・ブルー』はファンクやレゲエやAORといったコンテンポラリーなブラック・ミュージックをストーンズ流に昇華してみせた。
そしてこの『女たち』でも、当時世界的な流行となったディスコ・ビートを取り入れた「ミス・ユー」や、ロンドンを燃え上がらせたパンク・ムーヴメントに対抗するようなハイ・テンション、ハイ・スピードのロックンロールが3曲収録され、他にも小洒落たR&B風の「ビースト・オブ・バーデン」や、カントリー風の「ファー・アウェイ・アイズ」、そしてポスト・パンクとも言える「シャッタード」まで、バラエティーに富んだアルバムとなった。
SIDE A
1. ミス・ユー Miss You
2. ホエン・ジ・ウィップ・カムズ・ダウン When the Whip Comes Down
3. ジャスト・マイ・イマジネーション Just My Imagination (テンプテーションズのカバー)
4. サム・ガールズ Some Girls
5. ライズ Lies
SIDE B
1. ファー・アウェイ・アイズ Far Away Eyes
2. リスペクタブル Respectable
3. ビフォー・ゼイ・メイク・ミー・ラン Before They Make Me Run
4. ビースト・オブ・バーデン Beast of Burden
5. シャッタード Shattered
本作はロン・ウッドが初めて全曲で参加したアルバムとなり、またミックもA面の全曲とB-2でギターを弾き、3本のギターが絡み合うサウンドとなっている。キースのギターの音色も、リバーヴ/エコーをかけて、これまでのものより明るく軽やかな印象に変わっていて、それがアルバム全体の明るいトーンに繋がっている。
シングルは「ミス・ユー/ファー・アウェイ・アイズ」が全米1位・全英3位、「ビースト・オブ・バーデン」が全米7位、「リスペクタブル/ホエン・ジ・ウィップ・カムズダウン」というパンクに対抗したみたいなシングルが全英23位、そして「シャッタード/エヴリシング・イズ・ターニング・トゥ・ゴールド」が全米27位と、久しぶりにシングル・ヒットも多く生まれた。
当時、パンク陣営からは「オールド・ロック」の烙印を押され批判に晒されたストーンズだったが、しかしその渦中にリリースされた本作は全米1位、全英2位、700万枚を売り上げる大ヒットとなり、底力を見せつけた。現在でも、本作はストーンズ史上最も売れたアルバムとなっている。
本作でわたしが特に好きな3曲を挙げるとしたら、「シャッタード」「ジャスト・マイ・イマジネーション」「ビフォー・ゼイ・メイク・ミー・ラン」だ。
パンク風のストレートなロックンロール、A2、A5、B2あたりは、実はわたしはあまり好きではない。なにか「手練れの大人が作ってみせた」感があって、パンクのあの情熱的で切迫した刹那的な魅力とは根本的に違うのだ。アルバム自体は良くできた名盤と言えるが、わたしは正直、このあたりのアルバムから「全曲好き」とは言えなくなってくる。
本作が1978年6月9日にリリースされ、その4ヶ月後の10月には、トロントでキースの裁判が開かれた。
ストーンズはその結果次第では後に控えているツアーは中止、さらに活動停止に追いやられるか、新しいギタリストを探すか、最悪の場合解散も有り得るかという窮地に追い詰められていた。しかし、意外にも状況はキースに有利に動き始めた。
カナダの騎馬警察と検察による逮捕から告発までには多くの違法性があったことが次第にわかり、でっち上げの罪でキースを無理やり売人として重罪にしようという企みにも綻びが見え始めた。裁判所は連日「キースを釈放しろ」と書いたプラカードを掲げてシュプレヒコールをする数百人の人々に取り囲まれ、世間の耳目を集めた。
さらにこの時期、カナダのトルドー首相の夫人であるマーガレットが、グルーピーよろしくストーンズの滞在先のホテルを連日ウロウロするのが目撃され、あろうことかメンバー全員と寝たというスキャンダルが世界中のプレスに取り上げられた。政権は批判を浴び、崩壊しかかっていた。キースは2002年のインタビューで以下のように語っている。
カナダ政府としては、「一刻も早くこのトラブルメイカーどもを国外追放しなきゃ」ってことで、裁判官に「とにかく何でもいいから理由をつけてあのクソ野郎どもを追い出せ!って通告したんだと思うよ。(rockin’on BOOKS vol.4『THE ROLLING STONES』)
判決は結局有罪だったものの、そこで信じられないようなことが判事の口から述べられた。
被告は投獄せず、治療に取り組めるよう条件付きで釈放する、その条件は、「目の不自由な人々のためにコンサートを開くこと」だった。
その奇跡のような温情判決は1人の天使によってもたらされたものだった。キースはその事情を以下のように語っている。
長年のあいだに言い渡されたなかでいちばん気の利いた判決だったな。それと、これはストーンズを追いかけてツアーのあらゆる会場に駆けつけていた目の見えない少女、リタのおかげでもあった。
目が見えないのに、リタはヒッチハイクで俺たちのショーに来た。あの娘はまったく恐れを知らなかった。あの娘の話は楽屋で聞いていたし、暗闇で親指を立ててヒッチハイクしているのかと思うとたまらなくなった。俺はあの子をトラックの運転手たちに紹介して、安全に車が拾えるようにし、食べ物ももらえるように手を打ったんだ。俺が逮捕されたとき、リタは苦労の末に判事の家にたどり着いてこの話をしてくれた。判事が目の不自由な人たちのためにコンサートを開くってアイデアにたどり着いたのはそういうわけだ。わが盲目の天使、リタ。(『ライフ』キース・リチャーズ著 棚橋志行訳)
これはストーンズの全エピソードの中でも、わたしが最も好きなものだ。
(Goro)