
Radiohead
Fake Plastic Trees (1995)
レディオヘッドのデビュー・シングル「クリープ」のインパクトはもの凄いものがあったけれども、しかしあの頃はまだ、あの時代にたくさんいた、轟音ギターを鳴らすバンドのひとつぐらいに思っていた。シューゲイザーをちょっとだけ進化させたような。
その後、続々と出てきた当時の一発屋みたいなバンドや零発屋のバンドたちが風のように消えていく中、おいおい様子が変だぞ、レディオヘッドってこんなんだったっけ?? とわたしが慌てたのは、この曲を聴いたときだった。
この曲は彼らの2ndアルバム『ベンズ』に収録された曲だ。シングルカットされたものの、あんまり売れなかったらしい。
そりゃそうだろうと思うほど、暗くて地味な曲だけど、しかしなぜかわたしの胸の奥の奥へグサリと突き刺さってきた。わたしがレディオヘッドに対して本気になったきっかけがこの曲だったのだ。
タイトルが示す通り、この曲は現代社会における「人工的(フェイク)なもの」への違和感や虚無感を歌っているという。MVにもスーパーマーケットが出てくるけれども、一見、美しく豊かに見えても、中身は空っぽな消費社会のことを言っているらしい。
レコーディング当時、トム・ヨークは自分の歌声に自信が持てず、バンドは2ndアルバムの制作に行き詰まっていた。そのとき、人に薦められてジェフ・バックリィのライヴを観に行ったトムは、その感情をむき出しにした歌声に衝撃を受け、その熱量のままにスタジオに戻り、一気にこの曲を歌い上げ、そのまま感極まって泣き崩れた、という逸話がある。そのときのテイクがそのまま使われているという。
わたしは、ただただこの曲のなにかに心を奪われてしまう。きっとそのトム・ヨークの魂の叫びのようなものも伝わっているのだろう。曲の後半で、「ウワーアーーアーー」と絶叫するところなど、いつ聴いても鳥肌が立つようだ。
ロックにしてはあまりに弱々しく、おそろしく内向きで、華やかなカッコ良さなど微塵もない。
八方塞がりの切実さ、その苦しみの呻き声だけが響く、静かなる虚無の地獄みたいな世界を覗いた気がする曲だ。
このとき、レディオヘッドが、ロックの次の扉に手をかけた気がしたものだ。
(Goro)