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Iggy and The Stooges
“Raw Power” (1973)
映画ではたまに、凶悪な内容にも関わらず心の奥底が震えてしまう強烈な体験が忘れられず、ついまた見返し、あるいはそれと同傾向の作品を無意識に探してしまうという種類のものがあるけれども、本作はそれに似ている。
1stアルバム『ザ・ストゥージズ』も2ndアルバム『ファン・ハウス』もまったく売れなかったストゥージズは、エレクトラ・レコードから契約を解除された。フロントマンのイギー・ポップはヘロインに溺れ、ストゥージズは1971年に解散した。
その年、イギーはニューヨークのレストランでデヴィッド・ボウイに遭遇する。二人は意気投合し、「プロのミュージシャンで、ストゥージズの音楽を深く理解し、評価している人に初めて出会った」とイギーは後に回想している。
ソロ・アーティストとしてコロムビアと契約したイギーは英ロンドンに拠点を移し、末期のストゥージズに2ndギタリストとして迎えたジェームス・ウィリアムソンと共に曲を作り、デモを録音した。作業が順調に進行すると、元ストゥージズのギタリスト、ロン・アシュトンとドラマーのスコット・アシュトンの兄弟を呼び寄せ、ベーシストがいなかったためロンをベースに転向させた。
1972年2月にロンドンのスタジオで彼らはレコーディングを開始し、当初はイギー自身がプロデュースもミックスも務めたが、バランスや音質をほとんど考慮しておらず、このままではレコード化できないと判断したコロムビアは、デヴィッド・ボウイにあらためてプロデュースとミックスを依頼し、イギーもそれに同意した。
ボウイはイギーから「これをなんとかしてくれ」と24トラックのテープを渡されたものの、それはヴォーカルに1トラック、リードギターに1トラック、バンドに1トラックと3トラックしか使われていないものだったという。
ボウイは「これはどうにもならない」と判断し、ヴォーカルやリードギターを上げたり下げたりしただけで、このやけに聴きにくいが、心の奥底の凶暴性を刺激し目覚めさせるような激ヤバなレコードが、1973年2月にリリースされた。
【オリジナルLP収録曲】
SIDE A
1 サーチ・アンド・デストロイ
2 ギミー・デンジャー
3 ユア・プリティ・フェイス・イズ・ゴーイング・トゥ・ヘル
4 ペネトレーション
SIDE B
1 ロー・パワー
2 アイ・ニード・サムバディ
3 シェイク・アピール
4 デス・トリップ
現在ではパンク・ロックの源流であり、ストゥージズの最高傑作とも評価されることも多い本作はしかし、以前の2作よりもさらに売れず、全米アルバムチャート183位、3週間でランク外へと消えた。
その後1年ほどツアーを続けたもののセールスにはつながらず、また前払いした多額の金をバンドがドラッグに使い切ってしまったことに激怒したコロムビアは彼らを見放し、契約を打ち切った。
そしてザ・ストゥージズは1974年2月に正式に解散し、イギー・ポップは薬物中毒に陥り、2年後に再びデヴィッド・ボウイに救いの手を差し伸べられるまで、ロサンゼルスの精神病棟に入院し、リハビリを行うことになる。
↓ オープニングを飾る「おれは世界から忘れられた男。たったひとりで、サーチ&デストロイを実行するんだ」と歌う激ヤバな代表曲。
↓ コロムビアからの「A面とB面に1曲ずつバラードを入れること」という謎の指示に従って作られた曲。たぷんコロムビアが期待したバラードではないと思うが、後に人気曲のひとつとなった。
(Goro)