1994
1994年のロック・シーンは、これまた大豊作の年となった。英国でも米国でも、様々なスタイルで様々な個性が花開いた、百花繚乱というべきロックシーンだった。
しかしそんな折も折に、とてつもない悲報がわれわれを襲った。
あの日のことは今でも忘れられない。
1994年4月5日のことだ。
わたしが昼頃に起き出して当時勤めていた映画館の仕事に行く用意をしていると、TVのニュースで「アメリカのロックグループ、ニルヴァーナのカート・コバーンさんが死去しました。27歳でした。死因は自殺とみられています」と伝えられた。
わたしはそれまで聞いたどんなウソよりも信じがたい気持ちで、口をぽかんとあけてしばらく座り込んだままだった。きっと表情というものが完全に抜け落ちた、阿呆みたいな顔をしていたにちがいない。
悲しいというより、なんだか虚しくなった。
ロックシーンをひっくり返すほどの素晴らしく強烈な音楽を創造し、世界中のロックファンに愛された男が、なぜ自らその才能と栄光と人生を叩き壊してゴミ箱に突っ込んでしまったのか。
そのあまりの意味のわからなさは、それまでこの世の中で輝いているように見えていたもののすべてが、一瞬にして色あせ、つまらないものだらけになってしまったような気分だった。
もちろん、それでもわたしの人生は続いたが、今から思えば、ロックに対する熱心な興味やのめり込むような興奮は、この年を境にだんだんと失われていった気がする。
そんな、新たなムーヴメントのきっかけともなった大豊作と、大きな悲劇が同時に起こった1994年の10組10曲です。
Nirvana – All Apologies
前年にMTVで放映された、アンプラグド・シリーズに出演したときのライヴ盤。カートの死後、初めて発売されたニルヴァーナのアルバムとなり、全米1位、全英1位のほか、世界中で大ヒットした。
わたしが最初にカートの死を知ったお昼のTVニュースには、このライヴのこの曲の映像が使われていた。
Oasis – Supersonic
カート・コバーン死去の、その6日後にリリースされたのがこのオアシスのデビュー・シングルだった。
偶然にはちがいないが、しかしグランジが終わってブリット・ポップが始まった、ロック史の転換点となった瞬間だった。
今から思えば、突然空位になったロックの玉座に、早速次の王位継承者が座ったかのようだった。ずいぶんと行儀の悪い後継者ではあったけれども。
Blur – Girls and Boys
そのオアシスとは対照的に、育ちも行儀も良さそうだったブラーの名盤3rd『パークライフ』からのシングルで、全英5位のヒットとなった。
ブラーとオアシスは互いに相手を口汚く罵り、その対立関係を音楽マスコミは煽り立てて格好のネタにした。
わたしは一応両方聴いていたが、その割合はオアシスが9、ブラーが1ぐらいだったな。
Primal Scream – Rocks
メンフィス録音の4thアルバム『ギヴ・アウト・バット・ドント・ギヴ・アップ』からのシングルで、彼らのそれまでのキャリアで最もヒットしたシングルとなった。
アルバムごとにコンセプトも音楽性もガラリと変える彼らだったが、このアルバムでは1970年頃のローリング・ストーンズのような、南部アメリカの土の匂いがするような猥雑なロケンロールがコンセプトとなっているようだ。アルバムも全英2位と、過去最高位を記録した。
The Cranberries – Zombie
アイルランドのバンド、クランベリーズの2ndアルバム『ノー・ニード・トゥ・アーギュ』からのシングル。全英14位、米オルタナチャートで1位を獲得し、彼らにとって最も売れた代表曲となった。
最初に聴いたときはこの圧倒的に個性的な女性ヴォーカル、ドロレス・オリオーダンの歌声に度肝を抜かれたものだ。
ロック史上、最高の女性ヴォーカルの一人だ。
Green Day – Basket Case
カリフォルニア州出身のパンク・バンド、グリーン・デイのメジャー・デビュー作となった3rd『ドゥーキー』からのシングル。
キレと疾走感が凄い演奏とキャッチーなメロディの充実した内容の名盤で、アルバムは全米2位の大ヒットとなり、現在までに1,500万枚を売り上げている。
彼らの大ブレイクで、その後彼らを模したような(でも全然格が違う)ポップ・パンクが雨後のタケノコのように次々と現れることになる。
Weezer – Buddy Holly
L.A.出身のウィーザーの1st『ウィーザー』からのシングルで、米オルタナチャート2位のヒットとなった。
ポップなメロディーと歪んだギターの組み合わせがテリヤキバーガーみたいにわかりやすい美味さの新世代パワー・ポップだ。もちろんわたしの大好物である。
ジャケットのいかにもロックスターらしからぬ、さえない見た目の4人の快進撃は実に痛快だった。
The Jon Spencer Blues Explosion – Bellbottoms
N.Y.出身で、低音域をブーストしたギターとリードギター、ドラムという3人編成のバンドの出世作となった3rdアルバム『オレンジ』のオープニング・トラック。
どこがブルースなのかはわからないが、アヴァンギャルドでありながらキレの良い演奏とグルーヴは。類を見ない新しいロックンロールの衝撃の誕生だった。
Nine Inch Nails – March Of The Pigs
米オハイオ州出身のインダストリアル・ロックバンド、ナイン・インチ・ネイルズの2ndアルバム『ザ・ダウンワード・スパイラル』からの最初のシングル・カットだ。
わたしはインダストリアル・ロックというと、なんだか拷問用の機械で身体を切り刻まれるような、恐ろしい機械音と絶叫を想像してしまうのであまり聴かなかったが、このPVがめちゃくちゃカッコ良くて気に入り、アルバムを買ったものだった。
よく聴けば機械音や絶叫だけでなく、美しいメロディも聴こえてくるが、それでもやはり狂気のアルバムだった。
The Stone Roses – Love Spreads
そして、この激動の年の最後に大きな話題となったのが、ストーン・ローゼスの5年半ぶりとなる2ndアルバム『セカンド・カミング』のリリースだった。全英4位、全米47位となった。
前所属レーベルとの裁判が泥沼状態となり、新作も出せずライヴもできない状況から、晴れて解放されたのだ。
われわれはこの日を待ち望んできたが、しかしすでに遅きに失した感も否めなかった。
アルバムはそれなりに新たな展開を見せ、良い曲もあり、完成度も高かったが、賛否両論の評価だった。わたしも悪くないアルバムだと思ったが、前作のように夢中になったり興奮したりするわけではなかった。やはり5年半は長かったのだ。ロック・シーンはすでに、次の、その次へと移行していた。
翌年にはバンドの核とも言えるドラムのレニが脱退し、さらにギターのジョンも脱退した。2人が抜けたライヴは酷評され、結局96年10月に解散が正式に発表され、ストーン・ローゼスの歴史に幕が下ろされた。
しかし遺したアルバムこそ2枚だけだが、ブリティッシュ・ロックを復活させ、90年代ロック革命への導火線に火を放った彼らの功績は偉大なものだった。
まさにこのとき、市営住宅に暮らしながらストーン・ローゼスを聴いて音楽に目覚めたギャラガー兄弟たちが、オアシスを率いて英国ロックの天下を獲ろうとしていたのだ。
選んだ10曲がぶっ続けで聴けるYouTubeのプレイリストを作成しましたので、ご利用ください。
♪YouTubeプレイリスト⇒ ヒストリー・オブ・ロック 1994【最悪の報せ】Greatest 10 Songs
ぜひお楽しみください。
(by goro)