1992
前年に巻き起こった英米同時多発ロック革命のお祭り騒ぎはこの1992年もまだ、続いていた。
かつてオルタナティヴ・ロックと言われたものたちが完全にロックシーンのど真ん中で大賑わいを見せ、もはやオルタナもメインストリームも、区別のしようもなかった。
ただ、MTV用に見栄えを重視したカッコつけロックや、電子楽器を駆使したピコピコロックとは違う、見た目は汚らしいけど、熱くて、クソやかましくて、バカっぽくて、刺激的で、ひたむきで、挑戦的で、リアルなロックが還ってきたのは間違いなかった。
それとちょっと女子ロックが多くなってきたのもまた良いことだった。それが、かわいらしさや色気を武器にした女子ではまったくないところがまたよかった。
世の中はバブル崩壊の影響でますます深刻な状況だったが、26歳のわたしは相変わらずこのお祭り騒ぎに浮かれたままだった。まるで、社会の圏外で生きているみたいだった。オルタナ・ブームのおかげで、たいして売れてもいないのに来日するバンドも多く、この年がわたしが人生でいちばんライヴを観に行っていた年でもあった。
そんなお祭りの第二夜みたいな楽しい1992年は、まだまだ余裕で20曲でも選べるけれども、まああまり特別編ばかりでもいけないので、ここでは凝縮、精選した10組10曲を選んでみることにした。
Manic Street Preachers – Motorcycle Emptiness
マニックスの記念すべき1stアルバム『ジェネレーション・テロリスト』からのシングル。全英17位のヒットとなった。
ビッグマウスで破天荒な生意気クソガキバンドとして登場したマニックスだったけれども、実際はそのビッグマウスも破天荒も担当していない、いちばん地味な見た目のジェームス=ディーン・ブラッドフィールドが曲を書き、歌い、リードギターも弾くという、孤軍奮闘バンドであり、彼にはちゃんと音楽の才能があったのだ。というギャップをこの曲で知ったなあ。
Suede – Metal Mickey
この年、衝撃的なデビューを飾ったスウェードの2ndシングル。全英17位のヒットとなった。
マンチェスター・ムーヴメントとシューゲイザーが下火になりかけた頃に登場したのが彼らだった。
英国名物グラム・ロックのような華とわかりやすさを纏い、いかがわしさを滴らせ、当時のインディー・シーンの中では頭ひとつ抜けた完成度に驚かされたものだ。
そして彼らの登場によって、後にやってくるムーヴメント〈ブリット・ポップ〉の扉もひっそりと開かれたのだ。
Radiohead – Creep
レディオヘッドの、これまた衝撃のデビュー・シングル。全英7位のヒットとなった。
「僕はただのキモい、クズみたいなやつだ。完璧なカラダ、完璧な精神がほしい。いてもいなくてもいいような、どうでもいい存在なんかでいたくない」という歌詞に、まさに当時のクズみたいなわたしは深く共感して聴いていた。当時のわたしの心のサウンドトラックみたいな歌だった。そして、この歌が世界中で支持されたことにもなんだか勇気をもらった気がした。なんだ、いるじゃないか、わたしと同じやつらが世界中に、と。
The Cure – Friday I’m In Love
この年リリースされたキュアーの通算9枚目のアルバム『ウィッシュ』は、ロック・シーンが様変わりし、キュアーなんて時代遅れの80年代の遺物かななどと思って聴いてみたら、とんでもなかった。
ちゃんと時代に共鳴した、充実した内容であり、間違いなく彼らの最高傑作だった。全英1位、全米2位と、セールス的にも過去最高となった。
この曲はアルバムからのシングル。彼らにしては信じられないほど明るい曲調で、全英6位のヒットとなり、こちらも30万枚を超す過去最高のセールスとなった。
The Charlatans – Weirdo
シャーラタンズは英ウエスト・ミッドランズ出身なのだが、マンチェスター・ムーヴメントに乗っかって登場し、ちゃっかり商業的成功を収めた、したたかなグループだった印象がある。
この曲は2ndアルバム『ビトウィーン・10th&11th』からのシングルで、全英19位、米オルタナチャートで1位のヒットとなった。
歌メロの印象はあんまり無いが、ハモンド・オルガンのリフとベースラインは超カッコいい。彼らは基本ダンス要素強めの、ヴォーカルの入ったインスト・バンドみたいな印象だった。
しかしこの後やってくる、ブリット・ポップのムーヴメントにも彼らはやはりしたたかに、しっかりと乗っかって、またしても商業的成功を収めるのである。
PJ Harvey – Dress
イギリスのシンガー・ソングライター、PJハーヴェイの1stアルバム『ドライ』は、カート・コバーンが好きなアルバムに挙げたことで突如として注目を浴びた。
この曲は彼女の1stシングルで、独特のビートと、ダークでエキセントリックでありながらキャッチーでもあるその音楽性に、新たな天才の出現を感じたものだった。
Curve – Fait Accompli
英ロンドン出身のカーヴは、ヴォーカルのトニ・ハリディとそれ以外の全部の楽器とプログラミングを担当するディーン・ガルシアの2人組だ。
ダンス・ビートと轟音ギター、そして女性ヴォーカルと、当時英国で流行していたすべての要素にゴスのエッセンスも加えて創り上げた、いかにも人工的な”流行歌”だが、なかなか見事な出来栄えだった。
この曲は1stアルバム『ドッペルゲンガー』からのシングルで、全英22位と、彼らの出世作となった。
それにしてもこのPV、いつ見てもカッコいいな。
Sugar – Helpless
90年代を席巻したオルタナティヴ・ロックの「轟音ギター+ポップなメロディ」という基本理念の源流は、米ミネソタ州のバンド、ハスカー・ドゥだった。そのハスカー・ドゥのフロントマン、ボブ・モールドが新たに結成したバンドが、このシュガーだった。ついにレジェンドが登場!と当時は歓迎されたものだった。
ハスカー・ドゥ時代よりもよりそのグループ名の通り、甘めで聴きやすくなった1stアルバム『コッパー・ブルー』は全英10位のヒットとなり(なぜか本国アメリカでは売れなかったが)、英NME誌のアルバム・オブ・ザ・イヤーにも選ばれた。
Pavement – Summer Babe
米カリフォルニア出身の5人組、ペイヴメントは、グランジ・ロックのさらに下を行くような完成度の低いヘロヘロな感じが、逆に新鮮だった。
ハイ・ファイの逆の「ロー・ファイ」と呼ばれ、ここでまた新ジャンルが生まれたのだ。世の中なにがウケるかわからないものだ。
この曲は1stアルバム『スランテッド・アンド・アンチェインテッド』の冒頭を飾る曲だ。今聴いても、最高だ。
R.E.M. – Man On The Moon
R.E.M.の8枚目のアルバム『オートマチック・フォー・ザ・ピープル』は彼らにしてはずいぶんと暗い印象があるが、しかし間違いなく彼らの最高傑作である。なにか精神の深淵を覗き込むような怖さと感動が両立した、複雑な快感を得ることができる。
アルバムは全米2位、全英1位の大ヒットとなった。
この曲はアルバムからのシングルで、アンディ・カウフマンという実在の破天荒な芸人について言及している。
後に彼の生涯を描いたジム・キャリー主演の映画『マン・オン・ザ・ムーン』の主題歌にもなった。
選んだ10曲がぶっ続けで聴けるYouTubeのプレイリストを作成しましたので、ご利用ください。
♪YouTubeプレイリスト⇒ ヒストリー・オブ・ロック 1992【祭りはつづく】Greatest 10 Songs
ぜひお楽しみください。
(by goro)