1985
英国のチャリティー・プロジェクト〈バンド・エイド〉が前年暮れにリリースして記録的なヒットとなった「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス?」に触発されて、米国でもハリー・ベラフォンテの呼びかけで同様のチャリティー・プロジェクト〈U.S.A.フォー・アフリカ〉が立ち上げられた。
1月に開催されたアメリカン・ミュージック・アワード終了後の深夜に、45名のスーパースターたちが一堂に会した。
ライオネル・リッチーとマイケル・ジャクソンによって書かれた「ウィー・アー・ザ・ワールド」が録音され、アフリカの飢餓救済のためのチャリティー・シングルとして3月にリリースされた。
そして5月には史上最大規模のライヴ・イベントとなる《ライヴ・エイド》が開催された。
《ライヴ・エイド》は、イギリスのウェンブリー・スタジアムとアメリカのJFKスタジアムで同時に開催され、衛星二元中継で世界80か国以上に生中継され、英米のありとあらゆるスーパースターたちが出演した。
《ライヴ・エイド》が集めた募金額は当時の円レート換算で280億円とされ、「ウィー・アー・ザ・ワールド」の売り上げによる募金額は160億円とされている。
物凄い金額が集まったものだ。チャリティー・イベントとしては大成功と言えるだろう。
ただし残念ながら、アフリカの飢餓はその後も続いている。現在に至っても。
だからと言ってチャリティー・プロジェクトの参加者たちがそれを背負う必要ももちろんない。
彼らはただのエンターテイナーであり、歴史に残る一大エンターテインメントで世界中の人たちを楽しませたのだから、それで充分だ。あとは政治家たちに任せたらいい。
そんなチャリティー・イベントが目立ったこの年の、それにはまったく関わらなかったアーティストたちも含めての10組10曲です。
U.S.A. for Africa – We Are The World
米国版アフリカ飢餓救済チャリティー企画として録音されたシングル。45名のスーパースターたちが集まった豪華なミュージック・ビデオは、MTV時代ならではの大成功を収めた。
世界各国でチャート1位になり(日本では小泉今日子に勝てず2位だった)1,000万枚近くを売り上げ、1980年代で最も売れたレコードとなった。
David Bowie & Mick Jagger – Dancing In The Streets
英国と米国の2つのスタジアムを衛星で中継しながら同時に開催する前代未聞のビッグ・イベント〈ライヴ・エイド〉の一環としてリリースされた豪華コラボのチャリティー・シングル。全英1位、全米7位の大ヒットとなった。
イベントではロンドンのウェンブリー・スタジアムにいるボウイと、米フィラデルフィアのJFKスタジアムにいるミックを衛星中継でつないで同時に歌うという企画が用意されていたのだけれど、どうしても0.5秒のズレが起こるということで実現せず、PVを流してお茶を濁したそうだ。
Huey Lewis & The News – Power of Love
この年の大ヒット映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の主題歌に使用され、全米1位を獲得した、ヒューイ・ルイスの代表曲。
映画の中で、主人公のマーティのバンドがこの曲を学校の舞台で演奏し、特別出演のヒューイ・ルイスが演じる教師に「音が大きすぎる」と止められるシーンがある。
Dire Straits – Money for Nothing
MTVの恩恵で大金持ちとなったスターたちを批判した内容の歌詞だが、皮肉にも凝ったPVがMTVでヘビロテされ、全米1位、全英4位の大ヒットとなり、自らも大金持ちスターの仲間入りを果たした。
批判するぐらいならこんな凝ったPV作らないか、MTVでの放映を断固拒否するぐらいの気概が欲しかったな。
The Pogues – Dirty Old Town
ポーグスはロンドンで結成された、もともとはパンク・バンドだった。しかし、ケルト音楽の要素や民俗楽器を持ち込むうちに音楽性が変わり、ケルティック・パンクと呼ばれるようになった。
アル中のフロントマン、シェーン・マッガワンのクズすぎるキャラクターが印象的で、写真や映像を見るたびに「歯ァ直せよぉ」と思ったものだ。
この曲はエルヴィス・コステロがプロデュースした2ndアルバム『ラム酒、愛、そして鞭の響き(Rum Sodomy & the Lash)』からのシングルで、アイルランドのチャートに彼らが初めて登場した(27位)出世作。
Tears for Fears – Shout
イギリスのシンセ・ポップ・デュオ、ティアーズ・フォー・フィアーズの2ndアルバム『シャウト(Songs From The Big Chair)』からのシングルで、全米1位、全英2位の大ヒットとなった。
このアルバムからヒットを連発し、世界的な成功を収めた
Scritti Politti – Perfect Way
当時の英国シンセ・ポップの中でもその最高峰と思われるのがこのスクリッティ・ポリッティの名盤2nd『キューピッド&サイケ85』だ。
当時最新鋭のデジタル・シンセを使って創造されたサウンドは、ちょうど今年リマスター版として再発されたが、昨日録音されたものと言われても信じてしまうほどのまったく色褪せない素晴らしい音だ。
実は彼らは1977年に結成したアナーキスト集団であり、デビュー当時から実験的なサウンドを追求した結果、こういう境地へたどり着いたらしい。
この曲は全米11位と唯一のアメリカでのヒット曲だが、マイルス・デイヴィスがいたく気に入り、彼が翌年に発表した『TUTU』というアルバムの中でカバーしている。これまたどえらいシンセ・ポップの傑作だ。
Robert Palmer – Addicted To Love
全米1位、全英5位となった、ロバート・パーマー最大のヒット曲。MVの無表情美女バンドがクールでユーモラスでインパクト絶大だ。
これもMTV時代だからこその大ヒットだろう。音だけだったらここまでの大ヒットにはならなかったように思う。わたしもこのMVを知らなければ選んでいなかっただろう、たぶん。
Prefab Sprout – When Love Breaks Down
天才ソングライター、パディ・マクアルーンを中心に結成されたイギリスのバンド。名盤2nd『スティーヴ・マックイーン』からのシングルで、彼らの代表曲のひとつだ。
当時のネオアコ風の曲調に幻想的な美しさのコーラスと、トーマス・ドルビーによる80年代風の加工が施されたサウンドが独特の音空間を創出している。病みつきになるアルバムだ。
Hüsker Dü – Makes No Sense At All
米ミネソタ州のバンド、ハスカー・ドゥは、ハード・コア風の轟音ギターにポップなメロディーを組み合わせた、その後の米オルタナティヴ・ロックの方向性に先鞭を付けたバンドだった。
この曲は4thアルバム『フリップ・ユア・ウィグ(Flip Your Wig)』からのシングルで、英インディ・チャートで2位まで上昇した曲。
作者のボブ・モールド自身もこの曲がいちばん気に入ってるらしく「ミサイルが落下するまであと7分しか残されていないことを知った場合に演奏する曲」と語っているほどだ。
選んだ10曲がぶっ続けで聴けるYouTubeのプレイリストを作成しましたので、ご利用ください。
♪YouTubeプレイリスト⇒ ヒストリー・オブ・ロック 1985【ウィー・アー・ザ・ワールド】Greatest 10 Songs
ぜひお楽しみください。
(by goro)