日本が愛したあの口笛 〜ビリー・ジョエル『ストレンジャー』(1977)【最強ロック名盤500】#243

ストレンジャー(期間生産限定盤)

⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️

【最強ロック名盤500】#243
Billy Joel
“The Stranger” (1977)

ニューヨークで生まれ育ち、高校を中退して音楽の道で生きていこうと決意したビリー・ジョエルにとって、成功までは苦難の連続だった。

1stアルバムはテープの回転速度が通常より速い状態でマスタリングされるという考えられないミスで、別人のような甲高い声のレコードになってリリースされたという。ビリーは激怒し、レコードは当然ながらまったく売れなかった。

L.A.に移住してリリースした2ndからは、無断で半分ほどの長さに縮められた「ピアノ・マン」のシングルがスマッシュ・ヒットしたもののアルバムの売れ行きは伸び悩んだ。

続く3rdの売れ行きはさらに悪かったためL.A.に失望し、故郷のニューヨークに戻って4枚目を録音したが出来が気に入らず、バンドを変えて一から録音しなおしたものの、全米122位と最悪の結果となり、レコード会社は彼との契約を打ち切ろうとしていた。

転機は5作目となる本作のプロデューサーに、フィル・ラモーンを迎えたことだった。ポール・サイモンやボブ・ディランのアルバムを手がけたプロデューサー、エンジニアだった。

当初はビートルズのプロデューサー、ジョージ・マーティンを起用する予定だったが、ビリー自身が高く評価していた彼のライヴ用のバンドをマーティンは使いたがらず、セッション・プレイヤーを使うことを希望したため、折り合いがつかず起用を見送った。ビリーは自身のバンドを使って、ライヴでの荒削りだがエネルギッシュな雰囲気をスタジオ録音で再現することに強くこだわっていたのだ。

最終的にビリーは、当時演奏していたイタリアン・レストランでフィル・ラモーンに会い、その意向を説明した。ラモーンがその意味を理解し賛同したことで、ビリーは彼にプロデュースを任せることにした。

そしてビリーが「最高に楽しかった」と語った、フィル・ラモーンとの共同作業によって生まれた5枚目のアルバム『ストレンジャー』は1977年9月にリリースされ、なんと全米2位という期待を大きく上回る大ヒットとなった。

【オリジナルLP収録曲】

SIDE A

1 ムーヴィン・アウト
2 ストレンジャー
3 素顔のままで
4 イタリアン・レストランで

SIDE B

1 ウィーン
2 若死にするのは善人だけ
3 シーズ・オールウェイズ・ア・ウーマン
4 最初が肝心
5 エヴリバディ・ハズ・ア・ドリーム

アルバムからはA3「素顔のままで」(全米3位)、A1「ムーヴィン・アウト」(同17位)、B3「シーズ・オールウェイズ・ア・ウーマン」(同17位)、B2「若死にするのは善人だけ」(同24位)の4曲のシングル・ヒットが生まれ、アルバムは全世界で1千万枚以上を売る、桁違いのメガヒットとなった。

やはりプロデューサーというものは大事らしい。映画で言うと監督みたいなものだろう。それまでビリーはプロデューサー選びに散々失敗していたので、やっと心から信頼できる人物に出会った思いだったろう。その後ビリーは、続けて5枚のアルバムをフィル・ラモーンと作ることになる。

アメリカではシングル・カットすらされなかった本作のタイトル曲「ストレンジャー」は、日本ではラジカセのCMに使用されるなどしてオリコンチャート2位まで上がり、50万枚を超える大ヒットとなった。

ピアノと口笛で吹かれるあのメロディが、昭和の日本人のわれわれにとって、夜のニューヨークというスタイリッシュな想像上のイメージにうまくハマったのだろうか。それとも「夜と口笛」という昔から日本では禁忌とされていた組合わせへの、甘美な背徳感のようなものを無意識に感じて心動かされていたのだろうか。

ビリー自身も「ストレンジャー」が日本で人気が高いことをよく知っていたようで、日本の公演では必ずセットリストに入れていたということだ。

↓ 全米3位の大ヒットとなったブレイク曲「素顔のままで」。

↓ 日本人に愛され、大ヒットした代表曲「ストレンジャー」。

(Goro)

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