バッドフィンガー/ウィズアウト・ユー (1970)【’70s Rock Masterpiece】

【70年代ロックの名曲】
Badfinger
Without You (1970)

バッドフィンガーほど不幸なバンドもいないだろう。
いやもう不幸を通り越して、これは悲劇だ。

1968年、ビートルズが設立して話題となったレーベル〈アップル・レコード〉に、ビートルズ以外で初めて所属するアーティストとなり世界的な注目を集めたところまでは彼らが千載一遇の僥倖をつかんだかのように思えたが、しかしデビュー・シングルの「メイビー・トゥモロー」は全米67位、本国イギリスではチャート圏外と、不発に終わる結果となった。ヨーロッパの一部の国となぜか日本ではベスト10に入るヒットとなった。

1stアルバムも完成したものの、アップルレコードが財政危機からの建て直しを計っていた時期であったため、英米でのリリースは見送られ、ドイツ、イタリア、日本のみでの発売となった。

その後「恋の嵐」などがシングルヒットし、セールスが好調に転じると、ニューヨークで知り合ったビジネスマン、スタン・ポリーをマネージャーに迎えたが、彼はバンドをさまざまな契約で縛り、自身の持つ会社に金が流れる仕組みを構築した。一方でアップル・レコードの苦境も改善されず、バンドへの支払いを減額するようになる。

1973年にバンドはアップルからワーナーへ移籍したが、アップルからの妨害を受けたり、さらにはマネージャーの会計管理に重大な問題があるとしてワーナーからも訴訟が起こされ、レコードがすべて店頭から引き上げられるという事態に至った。

混沌とした状況にバンド内の人間関係も悪化し、ついには分裂し、ふたつのバンドがそれぞれバッドフィンガーを名乗って活動したり、さらにメンバー同士が訴訟を起こすまでに発展した。

ビートルズの後継者と期待され、地味ながら良い楽曲を書いてヒットも飛ばし、後には「パワーポップの祖」とも評され、リスペクトされたバンドだったが、内情は混乱を極めたのだ。

そして彼らの一世一代の大名曲となった「ウィズアウト・ユー」が、シングルカットされることもなく、後にニルソンやマライア・キャリーのカバーで特大ヒットとなり、この世界的に有名な曲がバッドフィンガーのオリジナルだということさえほとんどの人が知らないというのもまた、とことん報われない彼ららしい話だ。

この曲を書いたのはギターのピート・ハムと、ベースのトム・エヴァンスだ。

ニルソンのカバーが大ヒットしたにも関わらず、しかしまたしてもマネージャーのスタンがメンバーの承諾なしに作成した不当な契約のせいで、ピートとトムには印税すら入ってこなかった。スタンは著作権料などのロイヤリティーをすべて自身の会社の収入とし、メンバーには安い月給だけを払っていたのだ。

やがてスタンが犯罪組織と繋がりがあることが発覚すると、ワーナーは彼への送金を止めた。金が入らなくなったスタンは、バンドへの給料の支払いをストップした、

そして「ウィズアウト・ユー」の作者のひとりであるピート・ハムは、極貧の状態の中、1975年4月に、スタンに対する恨みを綴った遺書を残して自殺した。27歳だった。

さらにもうひとりの作者トム・エヴァンスは、ピートが自殺したショックから立ち直れずに鬱状態になり、1983年、「ウィズアウト・ユー」の印税の取り分についてメンバーのジョーイ・モランドと電話で激しく言い争った翌朝に、自殺した。36歳だった。

曲を書いた2人ともが若くして自殺するなんて話は他に聞いたこともないけれども、だからと言ってこの曲を「呪われた曲」みたいに言うつもりなどもちろんない。この曲は二人の才能あるソングライター、ピート・ハムとトム・エヴァンスが書いた、ただただ「輝かしい名曲」以外のなにものでもないのである。

ニルソンのバージョンはたしかに素晴らしい。
あるいはマライアのバージョンで知ったという人もきっと多いだろう。
そしてなんと現在までに、200を超えるアーティストがこの曲をカバーしているという。

そんなポップ・スタンダードとなった輝かしい名曲は、実はバッドフィンガーというロックバンドのオリジナル曲なんだと言うことを、少しでも多くの人に知ってもらえたら、嬉しいと思う。

↓  バッドフィンガーのオリジナル。

↓ 全米1位、全英1位など、世界中で大ヒットしたニルソンによるカバー。

↓ 1994年1月にリリースされ、全米3位、全英1位とこちらも世界的ヒットとなったマライア・キャリーによるカバー。

(Goro)