
はじめてのはっぴいえんど【必聴名曲5選】5 HAPPY END Songs to Listen to First
岡林信康の名曲ベストテンの記事でわたしは彼を「日本語ロックの開祖のひとり」と書いたが、それを支えたのがはっぴいえんどだった。 1970年に岡林の2ndアルバム『見る前に跳べ』に参加したはっぴいえんどは、岡林のツアーにも同行し、まるでボブ・ディランとザ・バンドのように、岡林がフォ...
メジャーからマイナーまで、ロックが地上最強だった時代の名曲や名盤をお薦めしたりしなかったりするブログです。(2024年9月『ロックの快楽』より改題)
岡林信康の名曲ベストテンの記事でわたしは彼を「日本語ロックの開祖のひとり」と書いたが、それを支えたのがはっぴいえんどだった。 1970年に岡林の2ndアルバム『見る前に跳べ』に参加したはっぴいえんどは、岡林のツアーにも同行し、まるでボブ・ディランとザ・バンドのように、岡林がフォ...
米テネシー州メンフィス出身のビッグ・スターは、売れなかったバンドだ。 1972年に地元のレーベルからデビューし、2枚のアルバムをリリースし、74年に解散した。完全に名前負けしてしまったバンドだった。 3枚目のアルバムも録音され、プロモーション用の見本盤がプレスされたものの、ど...
岡林信康と言えば、1960年代末から70年代初頭にかけての日本のフォーク・ブームの中心人物であり、象徴である。彼は「フォークの神様」と呼ばれた。 さらに、わたしは彼を日本語ロックの開祖のひとりだと思っている。 ボブ・ディランを手本にして、はっぴいえんどなどに手伝ってもらい...
ポップ・ミュージックから「メロディ」が重視されなくなって久しい、とわたしは思っている。 古い音楽にはだれもが口づさみたくなるようなわかりやすい歌メロがあった。 しかしヒップホップの隆盛や、ロックやポップスのすでに「やりつくした感」やスタイルの変化もあって、いつのまにか新たな「メロディ...
その昔、1980年代後半に、イギリスにレイヴ・カルチャーというムーヴメントがあった。 英北西部の工業都市マンチェスターなどを中心に勃発した、若者たちが人里離れた廃校や巨大な倉庫を借り切って(ときには無断で)、一晩中大音量でアシッド・ハウスなどのダンス・ミュージックを流し、大麻やエクスタ...
ついに来るべき時が来たという感じだ。 21歳のときにオリジナル・メンバーとして参加し、以来59年間、ストーンズのドラマーであり続けたチャーリー・ワッツが、昨日、天国へと旅立ってしまった。 チャーリーのドラムはストーンズの音楽の核みたいなものだ。正直、これでストーンズは長い歴史を終えたのだなと...
1992年、米国勢によるグランジ・ブームが世界を席巻し、英国ロックが停滞し始めた頃に救世主のように登場したのがスウェードだった。 ブレット・アンダーソンの中性的で妖艶なヴォーカルと、バーナード・バトラーのパンチ力と切れ味を備えたギターを中心にしたサウンドは、英国の王道ギター・ロックの待...
およそ1年半前、このブログで〈【きょうの余談】さらば、娘よ〉という、わたしの娘が高校を卒業して愛知県の実家を離れ、東京で専門学校に通うことになった経緯を書いた記事を投稿しました。今回はその続編です。ロックとはなんの関係もない、ただの余談ですので、興味のない方はごめんなさい、スルーして...
歌手になりたかった19歳のマーサ・リーヴスは、日中は他の仕事をしながら、夜はデトロイトのクラブで歌っていた。あるとき、彼女の歌がモータウンのスタッフの目に留まり、彼女に名刺を渡した。 彼女は早速その名刺を持ってオーディションを受けるためにモータウンを訪れたが、曜日を間違えていたためにオ...
【カバーの快楽】 The Who Heat Wave (1966) いやー、クソ暑いな。 わたしの子供時代は30度と聞いたら大変な暑さだと思ってたけれども、今は40度までいってももうあんまり驚かなくなってきてる。えらい時代になったものだ。 こんなときは、この滅多にない暑さがなん...
早熟の天才少女キャロル・キングは1958年、16歳のときに自作の曲でレコード・デビューした。 残念ながらヒットはしなかったが、翌年にクイーンズ・カレッジでジェリー・ゴフィンと出会い、17歳で早熟の出来ちゃった結婚をすると、昼間は秘書の仕事をしながら子育てもしつつ、空いた時間にジ...
【70年代ロックの名曲】 Carole King - I Feel the Earth Move キャロル・キングのソロ2ndアルバム『つづれおり(Tapestry)』は15週連続全米1位というモンスター・セールスを記録した。それまでの、多分に問題意識やメッセージ性が含まれていた60年代のフ...
【60sガールズ・ポップの名曲】 Carole King It Might as Well Rain Until September (1962) 西洋音楽史上初の女性作曲家として知られるのは、1098年にドイツで生まれ、多くの宗教曲を書き、修道院長で教会博士、詩人・言語学者でもある「中世...
1991年にデビューしたブラーの最初の印象は、デーモン・アルバーンのあの顔であり、「やけにハンサムなヴォーカルがいるバンド」というものだった。そしてそのせいでイギリスの新しい時代の顔になることを過度に期待され、背負わされてるような印象もあった。 最初こそ方向性が定まらずに迷走したものの、2...
シンディ・ローパーが1983年にド派手な原色の衣装とヘリウムガスを吸ったような声の、オシャレなのかカワイイのかおバカなのかわからないような強烈なキャラクターでデビューしたとき、実はすでに彼女は30歳だった。 ニューヨークのブルックリンに住み、職を転々としながら、一度バンドでデビューした...
パンク・ムーヴメント真っただ中の1977年の英国にデビューしたポリスは、パンクを終わらせた元凶のひとつだったのではないかとわたしは睨んでいる。もちろん本人たちにそんな意識はなかっただろうけども。 すでに巨大産業化していたロックを、一瞬で色あせた過去のものにして若者たちの支持を得たパンク...
わたしがキッスを知ったのは、小学校高学年ぐらいのことだ。 まだ洋楽なんてまったく興味もなかった頃、転校して来たばかりのちょっとマセた同級生の家に遊びにいったときに彼がLPレコードを見せてくれたのだ。たしか、『地獄の狂獣 キッス・ライヴ(Alive)』だったと思う。 レコードを聴かせて...
【カバーの快楽】 Linda Ronstadt The Tracks of My Tears (1975) 原曲はスモーキー・ロビンソン&ミラクルズが1965年にリリースし、全米16位となったヒット曲だ。彼らの代表曲であり、わたしはミラクルズではこの曲がいちばん好きだ。 20...
【50年代ロックの名曲】 Bill Haley & His Comets Rip It Up (1956) ソングライターのロバート・ブラックウェルとジョン・マラスカルコによって書かれた曲で、オリジナルはリトル・リチャードだ。シングルとして1956年6月にリリースされ、全米17位の...
【50年代ロックの名曲】 Bill Haley and His Comets Crazy Man, Crazy (1953) ビル・ヘイリーとマーシャル・ライトル(コメッツのベーシスト)によって書かれた曲で、これが世界初のロックンロール・ナンバーと言われている。 あの「ロック・アラウ...
1968年7月、その2カ月前にバッファロー・スプリングフィールドを解散したスティーヴン・スティルスと、前年にバーズを脱退していたデヴィッド・クロスビー、そしてブリティッシュ・ビート・バンド、ホリーズのメンバーであるグラハム・ナッシュがジョニ・ミッチェルの家で出会った。 スティルス作の「...
【70年代ロックの名曲】 Crosby Stills Nash & Young Woodstock (1970) バッファロー・スプリングフィールド解散後にスティーヴン・スティルスが、元バーズのデヴィッド・クロスビー、元ホリーズのグラハム・ナッシュと結成したのがクロスビー、スティル...
【70年代パンクの名曲】 Television Venus (1977) N.Y.パンクの最高傑作のひとつ『マーキー・ムーン』からもう1曲。 この曲は歌メロもいいけれども、トム・ヴァーレインのシャリ~ンという現実感のない響きのギターと、リチャード・ロイドの艶めかしい響きのギタ...
60年代に世界中の若者たちを熱狂させた新しい音楽「ロック」は、70年代に入ると巨万の富を産む一大産業として軌道に乗り、ちゃっかり資本主義社会の経済システムに組み込まれ、カウンター・カルチャーとしては完全に死に体となっていた。 そんなロック・シーンを激震させたのが新しい世代の若者...
【N.Y.パンクの名曲】 Patti Smith Group Ask the Angels (1976) 2ndアルバム『ラジオ・エチオピア(Radio Ethiopia)』のオープニング・トラック。 1st『ホーセス』のプロデューサーは元ヴェルヴェッツのジョン・ケイルだったが、この...
【70年代ロックの名曲】 Lou Reed Perfect Day (1972) ルー・リードの名盤2ndアルバム『トランスフォーマー(Transformer)』収録曲。 アルバムは、デヴィッド・ボウイとミック・ロンソンがプロデュースを務め、ルー・リードの中でも特に聴きやすく、充実し...
まさかレッチリがこんな世界的成功を収めるビッグ・バンドになるとは夢にも思わなかった。 わたしが彼らのことを知ったのは1980年代後半で、メンバーが全裸で股間に靴下だけをぶらさげてライヴをする奇天烈なバンドとしてだった。わたしは写真を見て爆笑し、好感は持ったものの、コミック・バンドの類か...
【70年代ロックの名曲】 Leon Russell Lady Blue (1975) 75年のアルバム『ウィル・オ・ザ・ウィスプ(Will O' the Wisp)』からのシングルで、全米14位のヒットとなった。 レオン・ラッセル作でも他人が歌ってヒットした曲は多いが、レオン・ラッセ...
【70年代ロックの名曲】 Leon Russell Hummingbird (1970) 米オクラホマ出身のレオン・ラッセルは、十代の頃からナイトクラブなどでピアノを弾き、ロサンゼルスで活動した20歳の頃にはすでに腕利きのスタジオ・ミュージシャンとしてその界隈では有名人だったらしい。 ...
【カバーの快楽】 Carpenters This Masquerade (1973) 1973年5月発表の、カーペンターズの5枚目のアルバム『ナウ・アンド・ゼン(Now&Then)』収録曲。「イエスタデイ・ワンス・モア」「シング」なども収録され、全米2位、全英2位、そして日本ではオリコン1...