吉田拓郎、泉谷しげるときたら、次は井上陽水しかいないだろう。
デビューは拓郎が1970年、泉谷は1971年。陽水は二人より早く、アンドレ・カンドレの名前で1969年にデビューするものの成功を得られず、1972年に井上陽水の名前で再デビューした。ちょっと遠回りしたが、しかし結果的には2人を上回る商業的成功を得、4枚目のアルバム『氷の世界』は日本で初めて100万枚を突破したレコードとなり、150万枚という前代未聞のメガヒットとなった。
わたしは若い頃、拓郎、泉谷を聴きながら、もちろん陽水も聴いた。
あの国宝級の声に、ビートルズやボブ・ディランに影響を受けながらも独創的な世界を作り上げた高い音楽性、彼が日本のポップス史上稀にみる、唯一無比の天才であることは誰もが認めるところだ。
その名曲の数々、名盤の数々には圧倒されるばかりだが、しかし彼の音楽には、拓郎・泉谷と決定的に違うことがある。それは、「共感しながら聴く」ということが、ほとんどないことだ。
まず、陽水には自分の心情を吐露するような歌が極端に少ない。最初期の「人生が二度あれば」はたぶんそうだろうが、それ以外となると、「傘がない」はそうなのか、「断絶」はどうだろうか、と考えたりもするが、ほとんどの歌がフィクションらしいものばかりなので、ノンフィクションとは安易に思えないのだ。
わたしにとって井上陽水は、ナゾだらけだ。
最初期の異様な暗さも、なぜそこまで暗い必要があるのかナゾに思えるし、なぜそんななんでもないことを言ってる歌詞にそんな壮大なメロディを付けるのかというナゾがあったり、歳を経ると共に明るくなったもののわけのわからない歌詞はやはりナゾだったり、シリアスな曲調で本気なのか冗談なのかわからないことを歌うナゾだったり、韻ばかり優先したテキトーみたいな歌詞なのになぜか妙に笑えたり、出会いがしらに意味がちょっとだけ発生したりするのも意図したものなのかどうかナゾだったり、とにかくナゾだらけなのだ。
しかしたぶん、きっと彼は最高のユーモアのセンスを兼ね備えたアーティストなのだろうと思う。わたしは常々このブログで「ユーモアのセンスのないアーティストは二流」と断じているが、陽水はその意味で超一流のアーティストなのだ。陽水の音楽は凄い、美しい、そして面白い。
陽水はナゾだらけだが、ナゾだからこそ常識を覆すような音楽が創造されたに違いない。
以下はそんな井上陽水の、わたしが愛するアルバムのベストテンです。
最初期のあの異様に暗い陽水の世界を知ってる世代にはちょっとジャケとタイトルがすでにナゾだが、陽水の代表曲「少年時代」や、『筑紫哲也NEWS23』のエンディングテーマに使われたインパクトのある名曲「最後のニュース」などが収録されている。
オープニングは細野晴臣の編曲でなんだかトーキング・ヘッズみたいな「Pi Po Pa」から始まるし、アレンジャーが曲ごとに違うのでアルバムの統一感はまったく感じられないが、良く言えば「バラエティ豊かな」アルバムとなっている。
ちょうど陽水が出演した日産セフィーロの「みなさん、お元気ですか?」で話題になったCMの後のアルバムであり、「少年時代」の大ヒットの直後ということもあって陽水の3度目ぐらいのブレイク期となり、アルバムはオリコンチャート2位の大ヒットとなった。
70年代最後のアルバムで、ジャケットの明るいイメージ通りの軽快なタイトル曲から始まる、駄曲一切なしの充実したアルバムだ。オリコン3位のヒットとなった。
アレンジは高中正義と星勝が半分ずつ担当していて、競い合うように素晴らしいアレンジが施されている。
シングル・カットされたのは「なぜか上海」。ヒットこそしなかったが、名曲だ。
「蛍の光」から始まる陽水初のカヴァー・アルバムは、その独特の選曲がかなり意表を突いたもので、その意味ではいかにも陽水らしいと言える。
50~60年代のレトロな歌謡曲を中心にした選曲だが、陽水が歌うと、そのアレンジも手伝って異国情緒あふれるモダンなポップスとして聴こえてくるのが新鮮だった。
シングル・カットされた「コーヒー・ルンバ」(19位)「花の首飾り」(13位)も久々のヒットとなり、アルバムはオリコン2位の大ヒットとなった。
吉田拓郎・泉谷しげる・小室等らと設立したフォーライフ・レコードからの最初のリリースとなったアルバム。
アルバムからのシングルは名曲「青空、ひとりきり」(オリコン8位)、「Good, Good-Bye」(同13位)。他にアルバムのタイトル曲や「枕詞」など陽水らしい世界観の充実した曲が並び、アレンジも完成度が高い。
77年に警察の御厄介になったことをきっかけに商業的にも下り坂になっていた陽水にとって、二度目のブレイクとなったのがこのアルバムだった。
陽水のバックバンドを務めていた安全地帯がデビューすると、陽水が詞を提供した「ワインレッドの心」「恋の予感」が大ヒット、そして中森明菜に提供した「飾りじゃないのよ涙は」もオリコン1位の大ヒットと勢いに乗っていた時期で、それらを含んだセルフカバー・アルバムとしてリリースされた。
1曲だけ提供曲ではない新曲「いっそセレナーデ」がシングルカットされ、オリコン4位の大ヒットとなった。
アルバムは150万枚を売る『氷の世界』以来のミリオンセラーとなり、オリコン年間チャートの1位も獲得した。
オリコン13位と、大ヒットとはいかなかったが、80年代の陽水の最高傑作だ。
先行シングルとしてリリースされた「リバーサイド・ホテル」は当初54位と振るわなかったものの、6年後に田村正和主演のTVドラマ『ニューヨーク恋物語』の主題歌に使われると再発され、11位まで上がるヒットとなり、陽水の代表曲のひとつとして広く知られるようになった。
シングル・カットされた「とまどうペリカン」「愛されてばかりいると」も良い曲だが、沢田研二への提供曲「背中まで45分」「チャイニーズ・フード」のセルフカバーも収録されている。全体に陽水らしい謎めいた世界ではあるが、どこかエレガントな大人のムードが漂う。他にも宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」を引用した「ワカンナイ」や「カナリア」など佳曲が収録されている。
陽水はアンドレ・カンドレという名前で69年にデビューしていたが成功せず、井上陽水として72年にこのアルバムで再デビューした。
年を経るにつれて陽水は自身の心情を吐露するような歌がほとんどなくなっていくが、「人生が二度あれば」をはじめとして、このアルバムだけは心情に沿った曲が多い印象だ。その意味で生々しい素の陽水が聴ける貴重なアルバムと言える。
フォーク調の暗い曲も多いが「感謝しらずの女」「限りない欲望」「ハトが泣いてる」のような素晴らしいポップセンスにあふれた曲もあり、当時のフォークの枠に収まらないスケールを感じさせる。
当時の若者の心情を象徴するような「傘がない」が話題となり、陽水の名は広く知られることになった。
陽水の4枚目のスタジオ・アルバムで、ポリドール時代の最後を飾ったロサンゼル録音の作品。オリコン1位、80万枚以上を売り上げる大ヒットとなった。
陽水お得意の大げさなパニックもので、激しいアレンジがカッコいい「夕立」、歌詞がいかにも陽水らしい脱力するようなユーモアに溢れたブラスロック風の「御免」、どこかビートルズを思い起こさせる「Happy Birthday」「ロンドン急行」など海外録音らしいアレンジも特長の充実した名盤だ。
「月が笑う」「太陽の町」「眠りにさそわれて」などもいかにも陽水らしく、ドリーミィなアレンジが素晴らしい。
最初期の陽水らしい、暗い暗い世界観が魅力的な2ndアルバムだ。
「冷たい部屋の世界地図」「あどけない君のしぐさ」「夜のバス」「夏まつり」「紙飛行機」「たいくつ」など、歌詞の内容に見合わないほどの壮大な暗さが逆に淫靡で変態的な魅力を感じる。まあこれは人それぞれだろうけれども。
アルバムからは1曲もシングル・カットされなかったが、陽水としてはエポック・メイキングな「東へ西へ」はその狂った歌詞がも印象的で、初期の代表曲となった。
大げさな歌詞のパニックもの「かんかん照り」や、抒情性とポップが融合されたような「能古島の片想い」のような隠れた名曲も収録された名盤だ。
ロンドンでレコーディングされた、初の海外録音作品。それまでの陽水作品を覆っていた暗い翳が晴れたかのような、陽水のポップセンスが炸裂した名盤。
先行シングルとしてリリースされていた「心もよう」のオリコン7位となる大ヒットの追い風も受け、アルバムはオリコン1位、日本のレコード史上初のミリオンセラー・アルバムとなり、150万枚を超える記録的なヒットとなった。忌野清志郎との共作「帰れない二人」「待ちぼうけ」も収録している。
それまでにない斬新な音楽性で、クオリティが高く、ある意味マニアックでもあるアルバムが当時のどんな商業的なレコードよりも売れたという事実は、日本のポップスにとって幸福な時代だったということを偲ばせるものだろう。
以上、井上陽水の名盤ベストテンでした。
やっぱり初期の陽水はそれまでなかったような音楽だったこともあって衝撃的でもあり、思い入れが強く、どうしてもその時代のものに偏ってしまったのは申し訳ない。
しかし21世紀以降のアルバムや奥田民生との共作などを聴いても、新たな試みや展開を感じさせ、さすが天才と唸らされる曲も見つかる。全キャリアの作品を聴く価値のある希少なアーティストだと思う。
次回は井上陽水【名曲ベスト40】を予定しています。乞うご期待。