1974
ウォーターゲート事件でニクソン大統領が失脚し、ユリ・ゲラーの超能力に日本中が吃驚したこの年、ジャマイカの音楽”レゲエ”が世界に知れ渡った。
1962年までイギリスの植民地だったジャマイカだったが、70年代に生まれたこのレゲエという独特なビートを持つ音楽に、今度はイギリスの若者たちが魅了され、ミュージシャンたちは競ってカバーした。
このレゲエという、肉体的で野性味あふれるアグレッシヴな音楽への若者たちの傾倒は、あまりに複雑化し、アート化し、晦渋に成熟し過ぎた、大英帝国ロックに対する反動のようにも見て取れる。
アメリカではカントリー・ロックのヒーローがまたしても若くして逝ってしまったが、サザン・ロックの雄が大ヒットを放ち、ウエストコーストの歌姫が人気を博した。
以下はそんな1974年を象徴する10曲です。
Eric Clapton – I Shot the Sheriff
「オレは保安官を撃った」という衝撃的なタイトルのこの曲は、ジャマイカ史上最も有名な人物となる、ボブ・マーリィが前年に発表した彼の代表曲だ。
エリック・クラプトンによるカバーは、彼にとって初の全米1位の大ヒットとなり、”レゲエ”とボブ・マーリィの名を一気に世界に知らしめることとなった。
Bob Marley & The Wailers – No Woman No Cry
そのボブ・マーリィがこの年リリースした名盤『ナッティ・ドレッド』に収録された、彼の代表曲。優しく、そして力強い、感動的なレゲエ・バラードの名曲だ。
Queen – Killer Queen
クイーンの3rdアルバム『シアー・ハート・アタック』からのシングルで、彼らにとっては初めてのシングル・ヒットとなった出世作。フレディ・マーキュリーの作で、彼らしい斬新かつユニークで、一度聴いたら忘れられないチャーミングなポップソングだ。
Bad Company – Can’t Get Enough
元フリーのポール・ロジャースとサイモン・カーク(ドラム)を中心に元キング・クリムゾンのベーシストと、元モット・ザ・フープルのギタリストが集結したスーパー・グループ、バッド・カンパニーの代表曲。アメリカン・ロックの影響が濃い骨太のロックで世界的なヒットとなった1stアルバム(全米1位、全英3位)からのシングルで、こちらも全米5位の大ヒットとなった。
UFO – Rock Bottom
UFOはロンドン出身のハード・ロック・バンドだ。名盤3rd『現象』は、ドイツのバンド、スコーピオンズのギタリストだったマイケル・シェンカーが正式に加入した最初のアルバムで、彼の独特のギター・プレイを前面に出したアルバムだ。彼の弾くギターはずっとクネクネウネウネしているのが色っぽいというか変態っぽいというかなんというか、面白いのだ。
Brinsley Schwarz – (What’s So Funny ‘Bout) Peace, Love, and Understanding
1970年にデビューしたイギリスのバンド、ブリンズリー・シュウォーツは、ニック・ロウを中心としたバンドで、パブ・ロックの元祖として知られる。
元々はレイドバックしたカントリー系の音楽を得意とし、”イギリスのザ・バンド”の異名を持つバンドだったが、売れないこともあってか、最後のアルバムで方向転換したのがこの曲。ニック・ロウらしいポップ・センスを発揮して、ブリンズリーでは最も知られる曲となり、またパワー・ポップ・ファンにも愛される名曲となった。
Bachman Turner Overdrive – You Ain’t Seen Nothing Yet
「アメリカン・ウーマン」が有名なカナダのバンド、ゲス・フーのランディ・バックマンが脱退して結成したのがこのBTOだ。
3rdアルバム『驚異のロックン・ロール・マシーン ノット・フラジャイル』が全米1位、シングルカットされたこの「恋のめまい」も全米1位、全英2位と世界を席巻した。カントリー・ロックとハード・ロックを融合させたような爽快なサウンドだ。
Lynyrd Skynyrd – Sweet Home Alabama
サザン・ロックの代表格、レーナード・スキナードの大ヒット曲。ニール・ヤングが「アラバマ」という歌でかの地の人種問題を偏見の強い批判を展開したことに対しての、ニール・ヤングの実名まで歌詞に盛り込んだアンサー・ソングだった。その後ニール・ヤングは自分が間違っていたと猛省している。
Linda Ronstadt – You’re No Good
現在公開中の伝記映画のポスターでは”ウエストコーストの永遠の歌姫”と称され、日本でも人気の高かったリンダ・ロンシュタットの初の全米ナンバーワンヒット。
一切オリジナル曲を歌わず、カバーしか歌わないというめずらしいスタンスの歌手だったが、力強い歌唱と独特のグルーヴ感を持つ彼女のヴォーカルは、当時数少ない、本物のロックが歌える女性シンガーだった。
Gram Parsons – Return of the Grievous Angel
前年に26歳(27歳まであとひと月半だったが)で急逝したグラム・パーソンズは、まるでカントリー・ロックをこの世界に普及させるために送り込まれた天からの使いのようだった。その試みはまんまと成功すると、彼はまた空へと帰っていった。
この曲は彼の死後にリリースされた最後のアルバム『グリーヴァス・エンジェル』のタイトル曲。一緒に歌っているのは、グラムに見出され、恋人でもあった歌手、エミルー・ハリスだ。
選んだ10曲がぶっ続けで聴けるYouTubeのプレイリストを作成しましたので、ご利用ください。
♪YouTubeプレイリスト⇒ ヒストリー・オブ・ロック 1974【ジャマイカからの熱い風】Greatest 10 Songs
ぜひお楽しみください。
(by goro)