スタジオアルバムも、ライヴ盤も、ベスト盤も、ブートレッグ・シリーズも、ディランのアルバムをひと通り全部聴いたところで、わたしが愛するディランの名曲、ベスト30を選んでみようと思う。
でもそうやって全部聴いて、あらためて奇を衒うことなく素直に率直に選んだ結果は、そのままベスト盤にできるぐらいの、万人にお薦めできるような王道の選曲になったなあと思います。
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Lay Lady Lay
69年発表のアルバム『ナッシュヴィル・スカイライン』は、ジョニー・キャッシュとの共演も収録した本格的なカントリー・アルバムということ、そしてディランのツヤツヤのキレイな歌声も話題になった。この曲はアルバムからのシングルカットで、全米7位、全英5位のヒットとなった。
My Back Pages
64年発表の4thアルバム『アナザー・サイド・オブ・ボブ・ディラン』収録曲。それまで政治や社会問題に対するプロテスト・ソングを多く歌ってきた自身を省みて「まるで白か黒かの判断しかできない頭の固い年寄りのようだった」、そこから離れた今は「あの頃より今の方がずっと若い」と歌い、プロテスト・ソングからの決別を歌った曲。まあ、プロテスト・ソングを歌ったのもやめたのも、多分に付き合っていた彼女の影響が大きかったのではないかとわたしは睨んでいるけれども。
Stuck Inside of Mobile with the Memphis Blues Again
66年発表の名盤『ブロンド・オン・ブロンド(Blonde On Blonde)』収録曲。初めてカントリーの聖地ナッシュヴィルで録音したこのアルバムをディラン自身「音が黄金のように輝いている」と評した。まさにそれを強く感じるような曲だ。どこがどうとはうまく言えないけれども。
Make You Feel My Love
ダニエル・ラノワがプロデュースした97年の名盤『タイム・アウト・オブ・マインド(Time Out of Mind)』収録の美しいバラード。2008年にはアデルがデビュー・アルバム『19』でカバーし、シングル・カットされて全英4位のヒットとなっている。90年代ディランの最高の1曲と言っても過言ではないだろう。
I Want You
66年発表の名盤『ブロンド・オン・ブロンド(Blonde on Blonde)』からのシングル。全米20位、全英16位のヒットとなった。軽快でキャッチーな、親しみやすいナンバーだ。
Desolation Row
65年発表の名盤『追憶のハイウェイ61(Highway 61 Revisited)』のラストに配された11分を超える大曲。次から次に言葉が生まれて、空想の世界がどんどん膨らんでいくような、圧倒的な歌詞だが、意味はわからない。まあ意味なんて重要じゃないのだろう。ディランの歌詞の中でも代表作のように扱われがちだが、シンプルなメロディと、アコギ2本だけにしては表現力豊かなアレンジも素晴らしい。吉田拓郎のデビュー曲「イメージの詩」はこの曲を大いにお手本にしている。
Positively 4th Street
オリジナル・アルバム未収録で、65年にシングルとして発表された曲。全米7位、全英8位のヒットとなった。ちょうどディランがフォークからロックへと転向した頃で、旧来のフォーク命のファンや同業者からの批判に対する激辛の罵倒みたいな内容の歌詞である。
Is Your Love in Vain?
78年のアルバム『ストリート・リーガル(Street Legal)』からのシングル。ディランにはめずらしいほどポップな曲調のバラードで、親しみやすい感動的なメロディの名曲だ。ディランは辛口ソングももちろんいいけど、たまに見せるこんな甘口ソングもまた魅力的なのだ。
Oh, Sister
76年発表の名盤『欲望(Desire)』収録曲。スカーレット・リヴェラによるむせ返るような情感に満ちたジプシー・ヴァイオリンが素晴らしい。一緒に歌っている女性はこのアルバムをきっかけにブレイクした、エミルー・ハリスだ。彼女の声とディランの声とリヴェラのヴァイオリンが絡む瞬間は、下品な喩えで申し訳ないが、まるで3Pみたいなエロティックなものを感じる。
A Hard Rain’s a-Gonna Fall
63年発表の2ndアルバム『フリーホイーリン・ボブ・ディラン(The Freewheelin’ Bob Dylan)』収録曲。ディランによれば、1962年に第三次世界大戦を引き起こす寸前までいったキューバ危機のときに、「もうこの先の人生長くないな」と悲観しながら書いた曲だという。初期の代表曲。
Changing of the Guards
78年のアルバム『ストリート・リーガル(Street Legal)』のオープニング・ナンバー。アルバムは女性コーラスの導入、サックスの導入、曲調もそれまでになかったほどポップであり、ディランの転換期となった作品だ。それでもこの曲が象徴するようにディランらしさは失われていない。どこまでもディランである。わたしはこれを聴くと一日中このメロディが頭の中でグルグル回り続けてしまったものだ。中毒性の強い曲だ。
Don’t Think Twice, It’s All Right
63年発表の2ndアルバム『フリーホイーリン・ボブ・ディラン(The Freewheelin’ Bob Dylan)』収録曲。一聴すると小粒で地味に聴こえるが、よく聴くと豊かなメロディに溢れていることに気づく。同年にピーター・ポール&マリーがカバーして全米7位のヒットとなった。その後も多くのアーティストが競ってカバーした初期の代表曲のひとつだ。
The Times They Are a-Changin’
64年発表の3rdアルバム『時代は変わる(The Times They Are a-Changin)』のタイトル曲。親の世代の考えはもう古い、時代は変わったんだと批判する、当時の戦後生まれの若者たちの勢いとある意味傲慢さを象徴するようなメッセージ・ソングの代表曲。今となってはそういう考えはあんまり共感できないけど、当時はリアリティのある歌詞だっただろうし、曲も良い。そして時代は今も変わり続けている。
One More Cup of Coffee
76年発表の名盤『欲望(Desire)』収録曲。エキゾチックな雰囲気と抒情的なメロディ、情念が滴り落ちるようなフィドルも絡んで、胸を掴まれる名曲だ。日本ではシングル・カットもされてヒットした。なんとなく当時の歌謡曲のような濃厚な情感の趣が日本人にウケたのだろう。
One of Us Must Know (Sooner or Later)
66年発表の名盤『ブロンド・オン・ブロンド(Blonde on Blonde)』からの第1弾シングルとなった曲。しかし全米119位、全英33位となぜか売れなかったせいか、その後のベスト盤などには一切収録されていない。でも最初にシングルカットしたのも納得の名曲だ。なんで売れなかったのか全然わからない。
Chimes of Freedom
64年発表の4thアルバム『アナザー・サイド・オブ・ボブ・ディラン(Another Side of Bob Dylan)』収録曲。虐げられ、不当な扱いを受け、苦しみ、悲しむ、すべての人のために自由の鐘は鳴らされる、と歌う名曲。直接的なメッセージ・ソングではなく、強烈なイメージの言葉で感動が喚起される素晴らしい歌詞だ。
It Ain’t Me Babe
64年発表の4thアルバム『アナザー・サイド・オブ・ボブ・ディラン(Another Side of Bob Dylan)』収録曲。当時の恋人スーズ・ロトロに別れを告げた曲だ。タートルズが65年にデビュー・シングルとしてカバーし、全米8位のヒットとなった。当時はプロテスト・ソングがディランのイメージだったので「アナザー・サイド…」というタイトルになっているが、むしろ本来のボブ・ディランに戻ったのだ。
It’s All Over Now, Baby Blue
65年発表の名盤『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム(Bringing It All Back Home)』のラストを飾る曲。「これで終わりだ、荷物をまとめてとっとと出て行ってくれ」と歌う、男女の別れの曲だ。これもまた多くのカバーを生んだ曲だ。こういう弾き語りの曲はアレンジ心をそそるんだろうな。
Love Minus Zero/No Limit
65年発表の名盤『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム(Bringing It All Back Home)』収録曲。歌詞はよく意味が解らないけど、最初の妻サラに向けて書いたラヴ・ソングなんだそうだ。このアルバムはディランに初めてバンドがついたことで有名だが、この曲のポップな感じもまたそれまでになかった、ディランの新しい音楽の広がりを感じさせるものだった。
Knockin’ on Heaven’s Door
サム・ペキンパー監督の西部劇『ビリー・ザ・キッド/21才の生涯』のサウンドトラックとして制作されたアルバム『ビリー・ザ・キッド(Pat Garrett & Billy the Kid)』に収録されたディランの代表曲としても知られる名曲。アルバムは大半がインストながら、アコースティック・サウンドが素晴らしい名盤だ。