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The Byrds
“Sweetheart of the Rodeo” (1968)
前作『名うてのバード兄弟』のレコーディング中にザ・バーズはメンバーが相次いで脱退し、1967年10月には、ヴォーカル&ギターのロジャー・マッギンとベースのクリス・ヒルマンの2人だけになってしまっていた。
そして新たなメンバーとして加入したのがヒルマンの従兄弟でドラマーのケヴィン・ケリーと、3ヶ月前にインターナショナル・サブマリン・バンドで1stアルバムを発表したばかりのグラム・パーソンズがキーボード奏者として加入した。
グラム・パーソンズには、伝統的なカントリー・ミュージックと最新のロックを融合させ、若者たちのあいだにカントリーを広めようという音楽的野望があった。そしてもともとバーズの中でもカントリー寄りの曲を書いていたクリス・ヒルマンも彼の野望に同調し、ロジャー・マッギンを説得して、パーソンズ主導でカントリー・ロック・アルバム『ロデオの恋人』を制作することになった。
オリジナル曲はグラム・パーソンズが書いた2曲のみで、他はすべてカバーである。カッコ内はカバー元のアーティストだ。
【オリジナルLP収録曲】
SIDE A
1 ゴーイング・ノーホエア(ボブ・ディラン)
2 私は巡礼(トラディショナル)
3 クリスチャン・ライフ(ルーヴィン・ブラザーズ)
4 涙の涸れるまで(ウィリアム・ベル)
5 思い焦がれて(ルーク・マクダニエル)
6 プリティ・ボーイ・フロイド(ウディ・ガスリー)
SIDE B
1 ヒッコリー・ウィンド
2 100年後の世界
3 ブルー・カナディアン・ロッキー(シンディ・ウォーカー)
4 監獄暮らし(マール・ハガード)
5 なにも送ってこない(ボブ・ディラン)
オリジナル曲のB1とB2を含め、グラム・パーソンズは当初6曲でリード・ヴォーカルを取ったが、最終的にはそのうちの3曲がマッギンとヒルマンのヴォーカルに差し替えられた。
その理由として、パーソンズにはインターナショナル・サブマリン・バンドの所属レコード会社との契約が残っていたこと、さらに新参者に半分以上のリード・ヴォーカルを取らせることをロジャー・マッギンは受け入れ難いと感じていたのだ。結果、パーソンズのリード・ヴォーカルが残ったのはA5、B1、B4である。
紆余曲折の末完成した『ロデオの恋人』は1968年8月にリリースされたが、しかしグラム・パーソンズは発売前にはすでにバーズを脱退していた。
パーソンズはインターナショナル・サブマリン・バンドですでにカントリー・ロックを志向していたが、その1stアルバムはあまり注目を浴びなかったため、本作がカントリーとロックを融合させた最初のカントリー・ロックの名盤として、高く評価されている。
ただし当時は、反体制的であるはずのロックと、極めて保守的なカントリーの融合には賛否両論があった。困惑したロックリスナーも多く、アルバムは全米77位とその時点までのバーズのアルバムの中では最も売れ行きの悪いものになった。
さらに保守的なカントリー・ミュージック界からも、「バーズはカントリー・ミュージックを転覆させようとするヒッピー集団」と見做され、敵意さえ抱かれていたという。
しかしその後の米英のロック・シーンにおけるカントリー・ロックの影響は大きく、グラム・パーソンズはその最大の功労者としてその名を語り継がれることになった。
パーソンズのヴォーカルについては様々な意見もあると思うが、ぜひ優しい気持ちで、これもひとつの「味」だと思って聴いてあげて欲しいと思う。
わたしの好きなB1「ヒッコリー・ウィンド」は、いろいろな樹木のことを歌っている。木のことを歌ったロックナンバーなんてなかなかないので、素敵だと思う。
静かな林や、田舎の並木道を歩きながら聴いてみたい、美しいカントリー・ワルツのバラードだ。せつないような、懐かしいような、樹木の葉をやさしく揺らす、爽やかな風のような名曲である。
↓ ボブ・ディランの原曲をカントリー風にアレンジした、カントリー・ロックの傑作。リード・ヴォーカルはロジャー・マッギン。
↓ グラム・パーソンズのオリジナル曲「ヒッコリー・ウィンド」。リード・ヴォーカルも彼自身だ。
(Goro)