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Ramones
“Rocket to Russia” (1977)
とにかくレコードが売れなくて悩んでいたラモーンズに一筋の光明が差した。
1977年5月にリリースしたシングル「シーナはパンクロッカー」が、全米81位と、ラモーンズにとって初めてとなる、全米シングルチャート入りを果たしたのだ。全英チャートでも22位の好成績を収めた。
全米81位のシングルなんて、人気アーティストであれば失敗の部類に入る成績なのだけれども、ラモーンズにとっては初めて「チャート入り」という結果を残した重要な一歩だったのだ。
バンドを信じ、支援していたサイアー・レコードはこれに気をよくしたのか、本作のために1stアルバムの5倍にあたる3万ドルの制作費を与えたという。ちょうどこの頃、ニューヨークでもロンドンでもパンク・バンドが続々とデビューし、大きな盛り上がりを見せていたこともあり、勝負をかけたのだろう。
バンドは1時間150ドルのスタジオ代を無駄に使わないよう素早く仕事を進め、ほとんどの曲の録音を1テイクで済ませたという。
前作から10ヶ月という短めのインターバルで1977年11月に本作はリリースされた。
【オリジナルLP収録曲】
SIDE A
1 クレティン・ホップ
2 ロッカウェイ・ビーチ
3 ヒア・トゥデイ、ゴーン・トゥモロウ
4 ロケット・ラヴ
5 アイ・ドント・ケア
6 シーナはパンク・ロッカー
7 ハッピー・ファミリー
SIDE B
1 ティーンエイジ・ロボトミー
2 ドゥ・ユー・ウォナ・ダンス(ボビー・フリーマンのカバー)
3 アイ・ウォナ・ビー・ウェル
4 アイ・キャント・ギヴ・ユー・エニシング
5 ラモーナ
6 サーフィン・バード(ザ・トラッシュメンのカバー)
7 ホワイ・イズ・イット・オールウェイズ・ディス・ウェイ
アルバムからは3枚のシングルが生まれた。A6「シーナはパンク・ロッカー」が全米81位、A2「ロッカウェイ・ビーチ」は全米66位と、ラモーンズの全キャリアにおけるシングル最高位を獲得した。そして、ボビー・フリーマンのオリジナルで、ビーチ・ボーイズのカバーでも有名なB2「ドゥ・ユー・ウォナ・ダンス」も全米86位まで上昇した。
曲のタイトルやカバー曲でもわかるように、本作はラモーンズの原点とも言える、60年代のサーフィン&ホット・ロッドやバブルガム・ポップの影響がこれまでにも増して色濃い作風となっている。
どの楽曲も、シンプルでポップであることと同時にラウドでスピード感あふれるロックンロールは、ユーモラスな歌詞と共に、ラモーンズの神髄が聴けるアルバムであり、彼らの代表作となった。
本作は全米アルバムチャートの49位まで上昇した。バンドはもっと上を期待していたためガッカリしたようで、「セックス・ピストルズのせいだ」と憤ったという。
これは複数の評論家も指摘していることだが、ピストルズの反社会的な言動や安全ピンやカミソリなどの危険なイメージは、パンク・ロック全体の印象を極めて悪くし、ラジオはパンク・ロックを流すことをやめるようになっていったと言う。ラモーンズは、この大事なときにとんだとばっちりだと憤ったわけだ。
まあ、しかし前作が148位止まりだったことを思えば、奇跡の大躍進だ。
そして、ラモーンズの全キャリアにおいて、全米チャート入りを果たしたシングルは、本作からシングル・カットされた上記の3曲のみであった。
↓ 初めての全米チャート入りを果たしたシングル「シーナはパンクロッカー」。ジョーイ・ラモーンの作であり、彼が優れたソングライターであることを証明した。
↓ 全米66位と、彼らのシングルチャート成績の最高位となった「ロッカウェイ・ビーチ」。こちらはベーシストのディー・ディー・ラモーンの作だ。
(Goro)