〈フォーク・ロック〉は、1965年にアメリカで生まれた。
当時のアメリカでは、ボブ・ディランを中心にフォーク・ブームが巻き起こっていて、そして世界的にはイギリスのザ・ビートルズが一大旋風を巻き起こしていた。
そしてロサンゼルスのバンド、ザ・バーズがボブ・ディランの曲をビートルズ風のコーラスやバンドアレンジでカバーし、フォークとロックを融合させた。
その最初の果実が「ミスター・タンブリンマン」で、全米1位の大ヒットとなり、〈フォーク・ロック〉の華々しい誕生となった。
そしてボブ・ディランによる「ライク・ア・ローリング・ストーン」という決定打が続き、”ブリティッシュ・インヴェンション”(イギリスの侵略)に対抗する、アメリカからの反撃の狼煙となった。
フォーク風のメロディとアコースティック風の風通しの良いバンドサウンドやコーラス、そして文学的あるいは哲学的だったりもする、これまでのポップ・ソングにはなかった歌詞の世界が特長のフォーク・ロックは、フォロワーを次々と生んで60年代後半のアメリカに流行し、その後のアメリカン・ロックの礎となった。
そんな60年代米国のフォーク・ロックの代表的アーティストの代表曲、10組10曲を選んでみました。(以下はリリース順)
ミスター・タンブリンマン(1965)
The Byrds – Mr. Tambourine Man
フォーク・ロックがその後のアメリカン・ロックの礎となるほどに人気を博し、多くのアーティストが影響を受けたのは、この曲のあまりに美しいサウンドやコーラスのせいだろうとわたしは思う。ロック・シーンに新たな扉を開いた、アメリカン・ロック史上の最重要曲だ。
ライク・ア・ローリング・ストーン(1965)
Bob Dylan – Like a Rolling Stone
自分の曲である「ミスター・タンブリンマン」をバーズがあまりに素晴らしくアレンジしたことでディランに火が点いたのかもしれない。その2か月後にリリースされた新曲がこの名曲だ。
自他共に認めるディランの最高傑作であり、”ロックンロール”から”ロック”へと、新たな歴史が始まった瞬間だった。
悲しきベイブ(1965)
The Turtles – It Ain’t Me Babe
タートルズもまたバーズと同郷のロサンゼルス出身で、バーズと同様にこのディランの名曲のカバーでデビューして、全米8位の大ヒットとなった。
柳の下の2匹目のどじょうを狙ったんじゃないかと言われたら、グウの音も出ないかもしれない。でも成功したということは、需要があったわけなので、まあいいんじゃないだろうか。
魔法を信じるかい?(1965)
The Lovin’ Spoonful – Do You Believe in Magic?
ラヴィン・スプーンフルはニューヨーク出身のバンドだ。この曲は彼らのデビュー曲で、中心メンバーのジョン・セバスチャンが書いたオリジナル曲だ。全米9位のヒットとなった。
どちらかというとフォークよりややブリティッシュ・ビートの影響のほうが濃いバンドだが、当時は西のバーズ、東のラヴィン・スプーンフルと言われるほど、人気を二分した存在だったようだ。
サウンド・オブ・サイレンス (1965)
Simon & Garfunkel – The Sound of Silence
もともとは1964年10月発表の彼らの1stアルバム『水曜の朝、午前3時』に収められていた曲で、そのときはヴォーカルとアコギだけのバージョンだった。
しかしその後、ラジオで流れたのをきっかけに学生たちの間で評判になると、それを知ったプロデューサーのトム・ウィルソンが、バックトラックを録音し、新たなバンド入りバージョンのシングルとして翌1965年9月にリリースした。
何も聞かされていなかった作者のポール・サイモンは激怒したが、結果的にシングルは全米1位の大ヒット、翌年には日本でもオリコンチャート1位になるほどのヒットとなり、67年には映画『卒業』で使用され、さらに世界的に知られるようになった。
夢のカリフォルニア(1965)
The Mamas & Papas – California Dreamin’
もともとロサンゼルス出身の彼らが、いろいろと複雑な男女関係の事情の末(気になる方は過去記事を参照)、ニューヨークに移り住んだ。その地の冬の寒さに凍えながら、懐かしいカリフォルニアを夢見ているという切ない歌だ。日本でも人気の高い、広く知られた名曲だ。
フォー・ホワット・イッツ・ワース(1966)
Buffalo Springfield – For What It’s Worth
ニール・ヤングとスティーヴン・スティルスが在籍した伝説的なスーパー・グループ。ブリティッシュ・ビートの影響も濃く、社会問題を歌ったり、実験的なサウンドの作品もあったが、その核にはカントリーやブルースといったルーツ・ミュージックがある個性的なバンドだった。この曲は彼らの最初のヒット曲で、全米7位となった。
アローン・アゲイン・オア (1967)
Love – Alone Again Or
米カリフォルニア州ロサンゼルスのバンド、ラヴの3rdアルバム『フォーエヴァー・チェンジス』のオープニングを飾る曲。商業的には失敗に終わったが、独創的なサウンドが素晴らしい。
アコースティックギターを中心にしたアンプラグドみたいなバンドに、ストリングスとブラスを加えて、スケールの大きな音空間を創り出している。今聴いても新鮮なほど、爽快でスリリングで美しい、まるでフォーク・ロックの究極の完成形といった感じだ。
青い瞳のジュディ (1969)
Crosby, Stills & Nash – Suite; Judy Blue Eyes
元ザ・バーズのクロスビー、元バッファロー・スプリングフィールドのスティルス、元ホリーズのナッシュの3人が組んで発表したデビュー・アルバム『クロスビー、スティルス&ナッシュ』は全米6位の大ヒットとなった。
彼らの声の相性の良さは驚くべきもので、美しく透んだコーラスとアコースティック主体のやわらかいサウンドがよく合った。結成から3カ月も経たないうちに、あのウッドストック・フェスティヴァルにも出演し、観客に熱狂的に迎えられた。
ホワイト・バード (1969)
It’s a Beautiful Day – White Bird
イッツ・ア・ビューティフル・デイは、”サマー・オブ・ラヴ”の真っ只中だったサンフランシスコで結成されたバンドだ。
「ホワイト・バード」は彼らの2枚目のシングルとしてリリースされたが、全米118位と奮わなかった。しかしこの曲が収録された彼らの1stアルバムは、後にフォーク・ロックとサイケデリックの要素を持つ個性的な傑作として、カルト的な支持を得、「ホワイト・バード」は彼らの代表曲として知られるようになった。
(by goro)