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Cheap Trick
“Cheap Trick at Budokan” (1978)
米イリノイ州ロックフォードで結成されたチープ・トリックは、1977年にアルバム『チープ・トリック』でデビューするも、その結果は全米チャート207位と、まったくと言っていいほど売れなかった。
しかし7ヶ月後にリリースされた2nd『蒼ざめたハイウェイ』からシングル・カットされた「甘い罠」がなぜか日本で火が点き、アルバムもヒットした。
それからわずか半年後には来日し、世界ではもちろん、本国アメリカでもまったく売れていない無名バンドが、日本武道館で2日間の公演を行うという前代未聞の椿事となったのである。
そのときの公演をライヴ録音し、1978年10月に日本のみで限定的に発売されたのが本作『チープ・トリックat武道館』だった。
【オリジナルLP収録曲】
SIDE A
1 ハロー・ゼア
2 カモン、カモン
3 ルックアウト
4 ビッグ・アイズ
5 ニード・ユア・ラヴ
SIDE B
1 エイント・ザット・ア・シェイム
2 甘い罠
3 サレンダー
4 グッドナイト
5 今夜は帰さない
ちょっと洋楽のライヴ盤では聴いたことがない、いかにも昭和の日本の女の子たちといった感じの黄色い歓声が凄い。わたしが子供の頃、テレビの公開収録の歌番組などでよく聞いたアイドルたちへの声援とまったく同じものだ。
録音状態はやや残響過多で決して最高の状態ではないけれども、ファンの熱気に包まれた熱い会場の雰囲気がそのまま伝わってくるようでもある。
A面はやや冗長な曲もあったりするものの、ニュー・オーリンズR&Bのハード・ロック・バージョンから始まるB面は、最後までテンションMAXの大盛り上がりで、何度聴いても胸が熱くなる。
当時のチープ・トリックは、ハード・ロック調の重厚なサウンドを前面に出しながらも、その楽曲にはひねりの効いたポップスやユーモラスな味付けがされている、一種独特の個性を持ったバンドだった。ただ「カッコいい」だけじゃなく、日本人が好む「カワイイ♡」要素もあったことが日本で人気に火がついた要因のひとつではなかったかとわたしは考える。
日本だけの限定盤だったこのライヴ・アルバムはしかし、ボストンのラジオ局をはじめとするDJたちが気に入って、繰り返しオンエアされた。
それを知った米国のEPICレコードは急遽プロモ用にこのライヴ盤のダイジェスト『From Tokyo To You』を全米中のラジオ局にばら撒くとさらに大きな反響があった。通常のレコードの2倍もする値段にもかかわらず、日本からの輸入盤が爆発的に売れ始め、3万枚という、輸入盤としては異例のセールスとなった。
そして翌1979年の2月に正式に『at BUDOKAN』のタイトルで米国でも発売されると、無名のバンドのライヴ盤が、あっという間に全米4位まで上昇する大ヒットとなったのだ。
きっと米国のリスナーも、楽曲の良さだけではなく、この会場の熱い雰囲気に圧倒されたに違いない。そして本作のヒットがきっかけとなって、チープ・トリックは世界的な人気を獲得していった。
バンドのギタリスト、リック・ニールセンは次のように語っている。
「日本はチープ・トリックが最初にビッグになった場所なんだ──アメリカよりも先にね。日本のファンはものすごく熱狂的で情熱的で、まるで自分たちがビートルズになったみたいな気分だったよ」(ローリング・ストーン・ジャパン誌インタビュー 2008年)。
2019年、本作は「文化的、歴史的に重要であり、かつ非常に魅力的である」として、米国議会図書館により米国国家録音登録簿への保存対象に選ばれた。
議会図書館は公式プレスリリースで、「日本市場での成功に加え、『チープ・トリック at武道館』は、母国におけるバンドの成功の証であり、ディスコやソフト・ロックに代わる騒々しく歓迎される選択肢であり、ロックンロールの決定的なカムバックとなった」という、およそお役人の言葉とは思えないほどなんともよくわかってらっしゃる、素晴らしいコメントを発表している。
それにしても、だ。
こんな素晴らしいバンドを、世界で一番最初に熱烈に支持したニッポンの少年少女たちには、心からの敬意と賛辞を送りたい。
↓ 彼らの2枚目のシングルとして1977年に発売された「甘い罠」は米国ではチャート圏外と、まったく売れなかったが、本作からあらためてシングル・カットされたこのライヴ・バージョンは全米7位の大ヒットとなった。
↓ チープ・トリックの代表曲であり、パワー・ポップの傑作でもある「サレンダー」。
(Goro)