1950年代後半のアメリカで、エルヴィス・プレスリーやチャック・ベリー、バディ・ホリーらを中心にして巻き起こったロックンロールの嵐のようなムーヴメントは、海を渡ってイギリスの若者たちを熱狂させた。
ロックンロールやR&B、ブルースなどアメリカの音楽に憧れ、自らもバンドを組んで演奏を始めたイギリスの若者たちが続々とデビューし、彼らは「ブリティッシュ・ビート・バンド」と呼ばれた。
さらに、ロックンロールやブルースのカバーから、オリジナル曲を作るまでにバンドが成長すると、若者らしいリアルな想いを吐露し、新しい世代の価値観を共有する歌詞で同世代から支持を得、ロックンロールから「ロック」へと、より自由なスタイルに発展し、ロックは単なる音楽エンターテインメントの枠を超えるカルチャーへと育っていった。
ここではそんな、ロックの礎を築いた60年代英国のブリティッシュ・ビート・バンドの代表格10組と、それぞれの代表曲を紹介したいと思います。
The Rolling Stones – (I Can’t Get No) Satisfaction
ストーンズにとって最初の全米No.1シングルとなった出世作。この1曲でストーンズは世界的ブレイクを果たした。
歪んだギターリフを繰り返すグルーヴに乗せて、「満足できない!」と周囲の状況に対するフラストレーションを自分の言葉で吐き出す歌に、ロックンロールはリアリティを帯び、より自由な「ロック」に変化して、同世代の共感を得た。
古い世代の価値観に抵抗し、新しい世代の価値観を創造する、ロックの原点となった最重要曲だ。
The Beatles – Help!
チャック・ベリーやバディ・ホリーに憧れてロックンロール・バンドをやっていたはずが、いつのまにか人気絶頂のスーパーアイドルになっていた4人は、「なんか思ってたのと違うんだよなあ。こんなはずじゃなかった」と、自分たちの置かれた状況に違和感を感じていたのだろう。
「助けて! 誰でもいいから!」と歌うジョンの心はもしかするとジュクジュクに病んでいたのかもしれない。
病的な歌詞に、切実なトーンのメロディー、そこにポップなコーラスと軽快なビートに乗せた、なかなか変態チックな曲だと思う。
それまでのビートルズ・ナンバーを一気に超えて、新たなステージに立った傑作だ。
The Who – My Generation
英国パンク・ロックの源流までさかのぼると、ザ・フーのファーストアルバムにたどり着く。そしてこの曲こそが史上初のパンクロック・アンセムと言っても間違いではないと思う。
ザ・フーは既存の社会や大人たちの価値観に抵抗し、若い世代のナマの声を、当時としてはこれ以上ないほどの騒々しさとフィードバック・ノイズとユーモアでそれを表現した。
ただし内容はそう単純ではなく、大嫌いなオトナたちに不満をぶつけて、新しい世代として主張をしたいのだけど、ドモリがひどくてうまく言えない、という歌なのだ。
ザ・フーの描く若者はいつもそうだけど、若者の代弁者のようなヒーローではなく、コミュニケーションがうまくできずに社会に参加することに苦悩する、どこにでもいる若者だ。
この曲を書いたザ・フーのギタリスト、ピート・タウンゼントは当時たったの20歳。
とんでもない才能だ。
大人たちはさぞかしビビっただろう。
まさに「恐るべき子供たち」である。
The Kinks – You Really Got Me
キンクスの3枚目のシングルとして発売され、全英1位、全米7位という大ヒットなった彼らの代表曲。
レイ・デイヴィスがキングスメンの「ルイ・ルイ」を弾いていて思いついたディストーション・ギターのリフだけでほぼ出来ていて、途中でギターソロが入るこの曲は、その後のハード・ロック~ヘヴィ・メタルの元祖と言われたりもする。
歪んだギターの音は、デイヴ・デイヴィスがギターアンプに剃刀で傷をつけてあえてひび割れた音にしたと伝えられている。
キンクスの真価は、この後のコンセプト・アルバムの傑作群でさらに発揮されるが、この曲もまたロック史を変えた偉大な1曲に違いない。
The Yardbirds – The Train Kept A Rollin
ギターのリフがカッコいい、その後のハード・ロックの原型になったような曲だ。
この曲のオリジナルは1951年のタイニー・ブラッドショウ、56年にメンフィスのジョニー・バーネット・トリオがカバーした。
バーネット盤にはあのリフが入っていないが、そのバーネットのシングルのB面の「ハニー・ハッシュ」に使われているギターリフがあのリフにそっくりなのだ。
ジェフ・ベックがこのシングルをスタジオに持ってきたのがカバーのきっかけだそうだけど、たぶん、このシングルのA面の「トレイン・ケプト・ア・ローリン」をカバーするために、B面の「ハニー・ハッシュ」のリフを使ったのではないかと思われる。
面白いなあ、と思う。
そういう変なことを思いつく人たちは好きだ。
いちばん驚いたのはジョニー・バーネットだろうけど。
Small Faces – What’cha Gonna Do About It
ザ・フーと並ぶモッズ・バンドとして人気を博したスモール・フェイセズは、1965年にオリジナル曲「ホワッチャ・ゴナ・ドゥ・アバウト・イット」でデビューする。
ソロモン・バークの「エヴリバディ・ニーズ・サムバディ・トゥ・ラヴ」を手本にしたこの曲は、いかにもモッズらしい、カッコいい曲だ。
サビの、スティーヴの「ィェーエ!」という絶叫なんて、モッズ中のモッズである。
The Animals – Don’t Let Me Be Misunderstood
60年代のブリティッシュ・ビート・バンドは、白人の若者がいかに黒人のように歌えるかを競い合っていた側面もあった。そういう意味ではミック・ジャガー以上と評価されていたのがこのアニマルズのエリック・バードンだった。
この曲は尾藤イサオが「だーれのせいでもありゃしないぃー、みんな、おいらが悪いのか」と日本語でカバーして、日本でも大ヒットした。
https://www.youtube.com/watch?v=IC6uXVGVnq0
The Searchers – Needles And Pins
わたしのようなパンク沿線の育ちの者にとってはこの曲と言えば真っ先にラモーンズが思い浮かぶが、オリジナルは米国のシンガーソングライター、ジャッキー・デシャノンである。
彼女の歌った「ピンと針」は全米84位と振るわなかったが、英国リヴァプール出身のザ・サーチャーズが翌年にカバーするとこれが全英No.1の大ヒットとなった。
たしかにこのサーチャーズのバージョンのほうがシンプルなサウンドで曲の良さがわかりやすい。バーズよりひと足早く完成にこぎつけたフォーク・ロック・サウンドと言えるかもしれない。
The Spencer Davis Group – Gimme Some Lovin’
TVCMや映画などでもしょっちゅう使われるので、タイトルもアーティストも知らないけど聴いたことはある、という人がきっと多いのではないか。
後にストーンズの名盤を連発するジミー・ミラーによるプロデュースの、重心が低いアレンジで、完成度の高いR&Bであり、ハモンドオルガンを弾きながら歌うスティーヴ・ウィンウッドの、白人とは思えないほどソウルフルな歌声が魅力的だ。
しかもこの当時スティーヴはたったの18歳なのだ。
天才としか言いようがない。
The Zombies – Time Of The Season
この曲は2ndアルバム『オデッセイ・アンド・オラクル』からのシングルカットで、今もゾンビーズの代表曲として知られる、彼らの最大のヒット曲だ。
にもかかわらず、アルバム制作中に起こったバンド内の不和のため、このシングルが発売されたころにはすでにバンドは解散していた。
デビューからわずか4年だ。
その後、ゾンビのように復活するかと思わせたが、復活しなかった。
うーん、もったいない。
選んだ10曲がぶっ続けで聴けるプレイリストを作成しましたので、ご利用ください。
♪プレイリスト⇒【はじめてのブリティッシュ・ビート 名曲10選】はこちら
彼らの音楽が、その後のすべての「ロック」の基本となりました。