仕事で信じられないほどアホなヘマをして、ひとまわり以上も年下の班長に厳しく叱責されながら、まだ還暦にもなってないのに早くも耄碌してきてるのかなどという情けない想いとこの先の漠然とした不安に萎縮したダンゴ虫みたいな気持ちになって工場の勤務を終え、母の家に向かう。
80歳の母は、30年ほども連れ添った再婚相手に半年ほど前に先立たれたまま、昭和の遺物みたいな木造アパートで一人暮らしをしている。その母から昼頃にメールが来ていたのだ。
「朝、起きてから探したけど、お金無いよ。今まで探しても無い。夜中に来てるね。私は静かに暮らしたいから、もう、何もしないで。私、無一文だよ。残ってる年金持ってきてね」
しかし昨日、わたしは母の口座から2万円をおろして、2週間分の生活費として持っていったばかりだった。
母は初期の認知症と診断されている。連れ合いが亡くなって一人暮らしをするようになってからは、病状が急速に進行しているように感じる。半分まともで半分ボケているような感じだ。
まともな会話も普通にできるし、身の回りのことも普通にできているが、記憶障害や被害妄想もひどい。通帳やカード、現金などがなくなり、その度に本人はわたしを含めて4人いる子供達の名のどれかを挙げて、盗んでいった、返せ、と責め立てる。
2か月に一度振り込まれる自分の年金と遺族年金は合わせて20万ほどだが、それをあっという間に使いきってしまう。同じアパートの住人によれば、パチンコ店でよく見かけるそうなので、きっとパチンコでスッてしまうのだろう。しかし本人はパチンコに行ったことすら憶えていないのだ。なんでお金が無くなっているのかわからなくなり、子供たちの誰かが家に忍び込んで盗んだと結論づけるというわけだ。一度は同じアパートに住む老夫婦の奥様を犯人だと思い込み、他の住人も見てる前で「私の金を盗んだだろう。返せ!」と怒鳴りつけ、後日わたしが菓子折りを持ってそのご夫婦のところへ謝罪に行ったこともあった。
年金が振り込まれてもすぐに使い切ってしまうので生活が立ち行かなくなり、電気が止まったりガスが止まったり、家賃が払えなくなったり、その度に子供たちの誰かに泣きついては、金を借りてその場を凌ぐことを繰り返してきた。わたしは頼まれても貸さなかったが、弟や妹は見るに見かねて随分と貸したようだった。もちろん一度も返してもらったことなどない。それどころか逆に母の金を盗んだと責め立てられ、今では彼らは母とは関わらないように連絡も断ち、距離を置いている。下の弟は母との関わりで、心に深いダメージを負った。一人暮らしは無理だから施設に入ることを薦めた上の弟は母に激怒され、絶縁状態だ。誰の世話にもならず、ひとり暮らしを続けると母は頑なに言い張っている。
しかし母もやっとその窮状で考えるに至ったのか「もう耄碌してお金の管理ができないから、わたしに代わって管理してほしい」と、再発行したばかりの通帳やカードをわたしに預けてきた。それが先月のことだ。
昨日わたしが渡したばかりの生活費2万円が無いという母のメールにやりきれない思いで母の家に向かい、到着すると、母は金が見つからない割には上機嫌だ。単純に、話し相手がやって来たのが嬉しいらしい。昨日渡した金を母がタンスの引き出しに入れたのを見ていたので、そこを探してみるが、2万円を入れて渡した銀行の封筒だけがくしゃくしゃに破られて入っていた。
わたしがなおも他の場所を探し続けていると「この家にお金なんかないから、早くお金を持ってきて」と母が言い出す。「昨日持ってきたお金を探してるんだよ」と言うと「そんなの持ってきてないじゃない」と怒ったように言う。昨日、金を受け取ったことはもちろん、わたしが来たことすら憶えていないらしい。わたしが昨日来て金を渡したことを説明しても、わたしが嘘をついてると怒り出し、挙句に「私から盗んだ通帳とカードを返せ!」と激昂する。
それがすべて認知症の症状によるものであることはわかっているつもりだが、話が通じないことの苛立ちとその理不尽な言われようからこっちも冷静でいられなくなってつい怒鳴り返し、口論がヒートアップしていく。これまで何度も繰り返してきたことだった。
しかもこの日は母は実力行使に出て、自分のキャッシュカードを奪い返そうと、わたしにつかみかかり、わたしのスマホケースを奪って、革のケースを引きちぎりながら、クレジットカードや免許証や従業員証などを抜き出しては投げ捨てる。わたしはこんなこともあろうかと、母のキャッシュカードは車の中に置いてきていたが。
わたしがスマホケースを奪い返そうとするとついにはわたしを叩き始めた。子供の頃、毎日のようにそうされたことを思い出す。大人になったら仕返ししてやると誓った頃もあったが、今の彼女はあまりに非力で、哀れだ。こんな相手では仕返しする気にもなれない。
ボロボロにされたスマホケースを取り返し、畳の上に投げ捨てられたカード類を拾い集めて、わたしは退散した。自宅に着いてから、毎日母とのやりとりなどを報告したり相談し合ったりしている兄弟4人のグループLINEに今日のことを報告した。
そして一夜明けて今日、昼頃にまた母からメールが来た。
「朝から何も食べてない。昨日のこと謝るから、お金持ってきて。お願いします」。
休日の昼なので、ラーメンでも食べに行こうとしていたわたしは、少し考えた後に、母の家に向かった。
母の残金が120円しかないのはわかっていたので、さてどうしたもんかと昨夜から考えていたのだ。
追加で金を渡せばもちろん次の年金振り込みまでの生活費が足りなくなるから、結局はわたしか兄弟の誰かに頼んで金を借りなければならなくなるだろう。
それで済めばまだいいが、たとえ今日また1万円を渡したところで、パチンコだか何だかでなくなり、また明日も同じように「金がない。持ってきてくれ」とメールが来る可能性だって大いにあり得る。どうしたらいいかわからない。
でもわたしがとりあえず1万円を母の口座から下ろして母の家に向かうことにしたのは、金を渡したら、彼女がまずどこへ行くのかを知りたいと思ったからだった。
家を訪ねると母は「昨日は暴力を振るって申し訳ありませんでした」と深々と頭を下げて謝った。
わたしは母の部屋にあったA4サイズの紙に今日の日付と「2週間分の生活費1万円を受け取りました」とマジックで書き、裸の1万円札と一緒に母に持たせ、写真を撮った。また「もらっていない」と言い出したときに一応見せるためだ。2週間で1万円では足りないかもしれないが、とりあえずその場では母も文句は言わない。
母の部屋を出ると、アパートの向かいにある銀行の駐車場に車を駐めて、母が出かけるのを待った。アパートを見張りながら、兄弟のグループLINEにこれまでのことを報告する。
銀行の駐車場でニルヴァーナの『ブリーチ』を聴きながら、かれこれ1時間以上も待っていた。貴重な休日の時間を、ラーメンすら食べに行けずにおれは何をしてるんだろうと情けない気持ちになってくる。カート・コバーンが「ネガティヴ・クリープ」を絶叫している。”おれは弱虫のキモいやつ”という歌詞に心がざわつく。
やがて母が自転車で出かけていくのが見えた。
車で後を追ったが、信号待ちで見失ってしまった。素人の尾行なんてうまくはいかないものだ。
近くのスーパーにあたりをつけて行ってみると、母の自転車があった。店の中へ入ってみると、食料品コーナーで買い物をしている母の姿があった。
とりあえずパチンコ店直行ではなかったのでひと安心だった。スーパーで買い物をする母の写真を兄弟LINEにあげて、ようやくラーメンを食べに行く。
しばらくすると、兄弟からグループLINEに次々にメッセージが入ってきた。
上の弟から「本当に感謝します。尊敬するよ」、下の弟から「同感!凄いと思う!」、妹から「ありがとうございました」と、昨日からのわたしの健闘を讃えてくれる。彼らからのそんな声援がわたしの唯一のモチベーションだ。
しかしいつまでもこんなふうに母の、どう考えても無理がある一人暮らしを支えているわけにもいかないだろう。どうにかしなければいけないのは兄弟全員がわかっているのだ。
母との本当の闘いはこれからだ。
(Goro)