
わたしは小学校5年生ぐらいから、テレビやラジオの音楽を積極的に楽しむようになったけれども、貧乏な我が家にはレコード・プレーヤーというものが無かった。先日から沢田研二だ、甲斐バンドだ、柳ジョージだなどと少年時代に聴いたものをいろいろと書いてきたけれども、それらはすべてラジオからエアチェックしたカセットテープで楽しんでいただけで、レコードなど1枚も聴いたことがなかったのだ。中学生にもなると、同級生たちがレコードを貸し借りしているのを横目で見ながら、羨ましくて死にそうな思いをしていたものだ。
ところが中1の3学期に、どういう経緯か今でも知らないけれども、突然わが家にデカいステレオコンポがやってきた。ミニ・コンポじゃない、ちゃんとしたやつで、もちろんレコード・プレーヤーもある。しかも中古でもなく、新品だったはずだ。同居している母の内縁のオッサンがステレオを設置すると、早速母が「レコードを買いに行こう」と言い、わたしは狂喜した。
家から徒歩3分の「弥富銀座通り」という大層な名前の小さな小さな商店街にあったレコード店は、毎日のように外観だけは見ていたが、中に入るのは初めてだった。歓喜と感動で、店内に入った瞬間に深呼吸して、思いきりレコードの匂いを吸い込んだ。
わたしはその当時ラジオで聴いたばかりで、その斬新なテクノ・サウンドに天地がひっくり返るほどの衝撃を受けた、イエロー・マジック・オーケストラのレコードをなにがなんでも手に入れたかった。
運良くYMOのライヴ・アルバム『パブリック・プレッシャー/公的抑圧』が出たばかりで、わたしは迷わずそれを選んだ。初回限定の、ディスクが黒じゃなくて透明のやつだ。母は自分用にシルヴィ・ヴァルタンの『ディスコ・クイーン』というレコードを買った。
ステレオ・コンポで聴くYMOはとてつもなかった。ラジオなんかとは比べ物にならない、リアルで美しい、凄い迫力の音だった。わたしはよだれが出るぐらい感動して、何度も何度も聴いた。
しかし半年ぐらいした頃に、学校から戻ると、ステレオコンポは我が家から消えていた。
わたしはもう中2になって少しカッコつけていたので、ぎゃあぎゃあ騒いだりはしなかったが、自分の部屋で布団にくるまってこっそり泣いた。
ステレオ・コンポはたぶん金に困って売ったようなのだけど、その売り先がよりによってわたしの同級生の家だったので、哀しいうえになんだかめちゃくちゃ恥ずかしかったのを憶えている。
それからすぐに、われわれは引っ越した。
そのころの我が家は、母の内縁のオッサンによって日本人形の製造・販売という細々としたお店をやっていたのだけど、思春期で好きな女の子も友達もいるわたしが「絶対に引っ越しなんて嫌だ」と反抗すると、母親が哀し気な顔でわたしに「連鎖倒産」という言葉を使って説明しようとしたのを憶えている。当時はその意味はわたしにはよく解らなかったけれども。
結局わたしは、たった1枚しかレコードを買ってもらえなかったわけだが、あのステレオコンポで聴いた素晴らしい音の感動が忘れられず、1枚きりのレコードを大切に持ち、いつか自分で働いたお金で、素晴らしい音がするステレオコンポを買うのを夢見ていたものだ。
今から思えば、わたしが中学を卒業してすぐに就職したのも、家を出たかったのと共に、ステレオコンポを手に入れて好きなだけレコードを買って聴きたいという夢というか、欲望が強すぎたのかもしれない。
わたしは地元の小さな家電店で働き出して、早くも2ヶ月目には、給料3ヶ月分ぐらいの高価なステレオコンポをその店でローンを組んで購入した。
(Goro)