Tracy Chapman
Fast Car (1988)
米オハイオ州出身のトレイシー・チャップマンが彗星の如く現れ、世界を席巻したのは、1988年だった。
その年の4月に彼女はシングル「ファスト・カー」とアルバム『トレイシー・チャップマン』をリリースしてデビューした。ブレイクのきっかけとなったのはその2ヶ月後のことである。
6月にチャリティー・イベント〈ネルソン・マンデラ生誕70周年記念コンサート〉に出演し、彼女は3曲を披露した。彼女がステージを降りてくると、舞台裏では次の出番のスティーヴィー・ワンダーのキーボードに挿入するフロッピー・ディスクが見つからず、パニックになっていた。
フロッピーを探す間に主催者はトレイシー・チャップマンを再びステージに呼び戻した。彼女は二度目のステージで、「ファスト・カー」を歌った。まるで一編の短編小説を読んだような感動を覚えるこの曲は、テレビ中継もされていたことで、広く注目を集めた。
それをきっかけに「ファスト・カー」は全米チャートの6位、全英チャートの5位まで上昇し、8月にはアルバム『トレイシー・チャップマン』が米・英、カナダ、オーストリア、ドイツなど9カ国で1位を獲得する世界的な大ヒットとなった。
日本でも、洋楽としては破格のヒットとなったのをよく覚えている。シンプルなアコースティック・サウンドの、昔ながらのフォーク・スタイルの楽曲は、シンセサイザーや電気的な加工に飾られた80年代サウンドの終わりを決定づけた印象だった。
そして何よりも注目を集めたのはその歌詞だ。
ろくでなしの父親はアルコール依存で働けず、母親は家出し、一人で働き家計を支えざるを得ない主人公は、恋人と一緒にここから逃げ出し、新しい人生を築くことを夢見る。
自由の象徴とも言える「速い車」に乗って都会へ行き、安い部屋を借りて、二人で働いて努力すれば未来を変えられると信じている。
しかし都会に出ても生活は厳しく、主人公はスーパーのレジ打ちをして働くものの、恋人は仕事が続かず転々とし、酒や遊びに逃げる日々だ。
「速い車」はかつて希望の象徴だったけれども、実はただの現実逃避だったようにも思えてくる。ここから逃げ出したいとまたしても思うようになった主人公は、死ぬまでずっとこんなことが続くのだろうかと、絶望的な閉塞感にとらわれる。
トレイシー・チャップマンは1988年のローリング・ストーン誌のインタビューで「逃避と自由への欲望、そしてそれが裏切られる瞬間を描いている」と語っている。
アメリカの労働者階級・貧困層の現実、夢と挫折を歌った歌詞は、広く世界中で共感を呼んだ。
40年近くが経った現在でも、まったく古臭く思えない歌詞は、今も変わらず共感を得るに違いない。
(Goro)