A) 19回目の神経衰弱
B) アズ・ティアーズ・ゴー・バイ
B) As Tears Go By
The Rolling Stones Single 1966.02
1966年2月にリリースされた英国9枚目のシングル。全英2位、全米2位のヒットとなった。
「19回目の神経衰弱」は当時のUSツアーのハードな日々を愚痴っている歌らしい。スピード感のあるシャッフル・ビートの、スタイリッシュなロックンロールだ。愚痴っていながらも音楽的な工夫が見られるし、ジャガー/リチャーズのソングライティングはますます冴えてきている感じだ。
何十年も前から聴いているのに、意外と飽きない。昔より今のほうが好きになっているかもしれない。エンディングのビル・ワイマンのグリッサンドも素敵だ。彼のこういう目立つプレイはめずらしいので、なんだか嬉しい。
B面の「アズ・ティアーズ・ゴー・バイ」はジャガー/リチャーズが最初に書いた曲のひとつだ。
バンドがデビューしたての頃のミックとキースは、自分たちで曲を書くという発想などまったくなかったという。しかしマネージャーのアンドリュー・オールダムは、このまま使用料を払いながらブルースのカバーをしているだけでは儲からないし、バンドにも未来はないと考えていた。
オリジナル曲の必要性を感じ、ミックとキースをキッチンに閉じ込めて「曲が書き上がるまで出てくるな」と言った。しかもブルースはダメ、パロディやコピーじゃなく、独自のものを書け、ということだった。そしてできあがったのが「アズ・ティアーズ・ゴー・バイ」だった
この曲についてキースは1990年のインタビューでこう語っている。
台所から出てきた時には”アズ・ティアーズ・ゴー・バイ”ができてたんだ。この曲は、マリアンヌ・フェイスフルに譲ったわけなんだけど、これがまたすんげぇヒットしちまった。ミックと俺にしてみれば、もう最低な曲で、レコードとして出されるってだけで穴にも入りたかったから(笑)、ヒットしたことは結構、励みになったねえ。(『CUT』1990年5月号)
ミックとキースは、こんなのは恥ずかしくてとてもバンドには聴かせられないと思ったが、アンドリューは逆に「これは売れる」と思い、友人の妻だったマリアンヌ・フェイスフルに歌わせることにしたという。
そして1964年6月にマリアンヌ・フェイスフルのデビュー曲としてリリースされ、見事全英9位、全米6位の大ヒットとなった。ミックとキースが初めて大金を手にしたのもこの曲の印税だった。積まれた札束を目の前にして二人は驚愕し、同時に「音楽ってチョロいな」とも感じ、俄然創作意欲も爆上がりしたらしい。
ちなみにデビュー当時すでに結婚していたマリアンヌ・フェイスフルはちょうどこの頃に離婚し、ミックの恋人となった。
ストーンズの録音はセルフカバーということになる。ミックのヴォーカルとキースのアコギに弦楽四重奏を加えた、ビートルズの「イエスタディ」を思わせるアレンジだ。
キースが謙遜なのかどうか「最低な曲」呼ばわりしたこの曲は、ブルース・バンドを自認していた初期のストーンズには確かに合わないけれども、しかし独特の哀愁があってこれはこれで名曲だと思う。
当初はバンドに聴かせることさえ恥ずかしがったこの曲を、あらためてシングルのB面に収録したのは、ストーンズがブルース/R&Bだけでなく、ポップな方でもいけるという自信がついてきたからかな。
ストーンズが60年代にリリースしたシングルはこの『シングル・コレクション:ザ・ロンドン・イヤーズ』で、年代順にA面・B面ともすべて聴くことができる。ストーンズ・ファン必携のアルバムだ。
(Goro)