The Rolling Stones
Ruby Tuesday (1967)
「1967年は分岐点だった。縫い目がほころんだ年だった」とキース・リチャーズが自伝で語ったように、実際この年でローリング・ストーンズが終わりを迎えたとしてもおかしくなかったのだ。
この「ルビー・チューズデイ」は、その1967年というストーンズ最悪の年の幕開けに、「夜をぶっとばせ」と両A面という形で発売されたシングルだった。
そして翌月の2月、ミック・ジャガーとキース・リチャーズは早朝に警察に踏み込まれ、薬物所持で逮捕された。さらに5月にはブライアン・ジョーンズも逮捕され、6月にはキースは懲役1年、ミックは懲役3カ月の実刑判決が下り、それぞれ別の刑務所に収監される。
当時のファンたちはそれでもストーンズを応援しようと、この「ルビー・チューズデイ」のリクエストがラジオ局に殺到し、全米1位、全英3位になった。
さらにザ・フーもストーンズを救援するため、「アンダー・マイ・サム」と「ラスト・タイム」をカバーして、実刑判決が出た直後にシングルとして発売した。
しかしその後、腕のいい弁護士が上訴すると、有罪判決が覆り、運良くミックもキースも釈放となったが、これが現代であれば、アーティスト生命は間違いなく絶たれたところである。
当時はまだドラッグに関する知識も法整備もあやふやで、悪い物か良い物かさえ一般の認知度は低く、警察もどう扱っていいものやらよくわからなかった時代だったらしい。なので警察は、ドラッグをこれからどんどん取り締まっていくぞと、世間の悪ガキどもに知らしめるために、知名度のあるロックスターをまずは血祭りにあげてアピールしたというのが真相だったらしい。
なんでビートルズじゃなくてストーンズが標的になったかというと、「ビートルズに手を出すわけにはいかなかった。あいつらはもう女王陛下から勲章を授与されていたからだ」とキースは語っている。
ちなみにこのストーンズらしからぬポップでリリカルな「ルビー・チューズデイ」は、キースが書いた曲だと、ミック・ジャガーが明かしている。
世間では逆だと思われがちだが、若い頃はキースのほうがポップな傾向が強く、一緒にアパートに住んでいた頃はノンストップでビートルズのレコードをかけ続けるのにうんざりしていたと、たぶんキースがあまり公言していないだろうことをミックが暴露している。(NME誌による詳しい記事はこちら)
(Goro)