『ブラック・アンド・ブルー』(1976)
The Rolling Stones
『ブラック・アンド・ブルー』のレコーディングは1974年12月に始まった。そして始まってすぐに、何があったかはわからないが、ミック・テイラーが脱退を宣言した。
その後1976年初頭までの1年と少しをかけて、後任のギタリストを探しながら、オーディションを兼ねるようにして本作のレコーディングは進められた。
参加したギタリストは、ジェフ・ベック、ロリー・ギャラガー、ハーヴェイ・マンデル、ウェイン・パーキンス、そしてロン・ウッドだった。これを音楽メディアは「グレート・ギタリスト・ハント」と呼んで、ストーンズの新ギタリストを予想するなど、リスナーの興味を大いに煽った。
はじめストーンズのメンバーたちは、ミック・テイラーのような美しいソロも弾ける達者なウェイン・パーキンスを気に入っていたが、最終的にはロン・ウッドに決まった。それについてキースは以下のように語っている。
いざとなったら演奏うんぬんじゃない。とどのつまりは、ロニーがイギリス人だったからだ。まあ、今ならそんな考え方はしないかもしれないが、ストーンズはイギリスのバンドだ。当時の俺たちはみんな、バンドの国民性を維持すべきだって感じてた。ツアーに出て「これ聴いたことあるか?」って話になったとき、同じバックグラウンドがあったほうが何かと具合がいいからな。
(中略)ロニーはバンドにとっておあつらえ向きの接着剤だった。さわやかな新風を吹き込んでくれた。俺たちはあいつの才能も知っていたし、ギターの腕が確かなのも知ってたが、大きな決め手になったのは、とにかく音楽に対するひたむきな姿勢と、みんなとうまくやれる能力だった。(『ライフ』キース・リチャーズ著 棚橋志行訳)
最終的には、ロニーの人間性で選ばれたということなのだろう。まるでアマチュアバンドみたいな決め方だが、それがストーンズだということだろう。
ストーンズのメンバーとプライベートでも親交のあったジャーナリスト、ビル・ジャーマン著『アンダー・ゼア・サム』を読んでよくわかったが、ロニーには根っからの末っ子気質というか、後輩気質みたいなところがある。いつでも「先輩ファースト」なのだ。
ニューヨークの彼の家にはレコーディング・スタジオがあり、そこにはミックやキースやテイラー、ロッド・スチュワートやボブ・ディラン、ジョージ・ハリスンにデヴィッド・ボウイなど、様々なミュージシャンたちが遊びに来てはプライベートなセッションを楽しんでいたという。
近所に住んでいたミックなどは、自分のソロ・アルバムのための新曲を思いついたからと言って突然訪ねてきて、ロニーにドラムを叩かせ、デモ・トラックを録音したりもしている。そんなときロニーは、自分用のアルバムの録音の途中であろうが、彼のもうひとつの才能である絵画の制作に没頭していようが、すべて後回しにして協力するのだ。これは相手がキースであっても同様だ。まるで近所の怖い先輩たちに勝手に家を溜まり場にされた後輩みたいな、いつでも彼は先輩ファーストなのだ。
性格も明るく天真爛漫、社交的で、誰からも愛される男だ。そして古いブルースの知識も豊富だった。もともとジェフ・ベックがストーンズにロニーを推薦したらしいが、ストーンズが求めるのは高度なテクニックの持ち主などではなく、彼のような人物だとわかっていたに違いない。
本アルバムは8曲という、ストーンズのアルバムで最も少ない曲数だが、収録時間は40分と当時のLPとしては充分な分量だし、何しろ1曲1曲が濃厚で芳醇。それぞれ性格もまったく違うので、物足りなさなど微塵も感じない。しっかりお腹いっぱいになる。
内容は、それまでのアルバムからガラリと雰囲気が変わった。ブラック・ミュージックが基本なのはデビュー以来変わりないが、当時のコンテンポラリーなブラック・ミュージックに挑戦した、ファンクやレゲエ、AOR風のバラードからジャズ風のナンバーまである「大人のストーンズ」といった趣である。
SIDE A
- ホット・スタッフ – Hot Stuff
- ハンド・オブ・フェイト – Hand of Fate
- チェリー・オー・ベイビー – Cherry Oh Baby (エリック・ドナルドソンのカバー)
- メモリー・モーテル – Memory Motel
SIDE B
- ヘイ・ネグリータ – Hey Negrita
- メロディー – Melody
- 愚か者の涙 – Fool to Cry
- クレイジー・ママ – Crazy Mama
ギタリストは、A1とA4がハーヴィ・マンデル、A2とB3がウェイン・パーキンス、A3とB1がロン・ウッドだ。ジェフ・ベックとロリー・ギャラガーも録音には参加したということだが、本作には収録されなかった。
アルバムはストーンズ製ファンク・ロック「ホット・スタッフ」で幕を開ける。わたしはまだファンクなんて言葉も知らなかった頃に聴いて、この曲のカッコ良さにシビれたものだった。
今考えても、この時代にファンクをやっている白人のロック・バンドなんていただろうか? ミクスチャー・ロックの先駆とも言える、画期的な名曲だ。ビルのファンキーなベースやハーヴィ・マンデル(元キャンド・ヒート)のワウワウギターもカッコいい。
「チェリー・オー・ベイビー」はジャマイカのレゲエ・ミュージシャン、エリック・ドナルドソンの1971年のヒット曲のカバーだ。ストーンズにとって初めての本格的なレゲエ・ナンバーの秋_区となった。
オリジナルの「ヘイ・ネグリータ」は、レゲエとファンクとラテンをごた混ぜにしたような、新しいリズム感とサウンドによる野性の香り漂う傑作だ。ラテン系のいたいけな少女・ネグリータを頭から喰らおうとしているかのような、ミックの涎を垂らした野獣のようなパワフルなヴォーカルが恐怖だ。
「メモリー・モーテル」は心に沁みるバラードだ。大好きな曲だ。キースがリード・ヴォーカルを取る部分がまたいい。
ニッキー・ホプキンスによるピアノとシンセの二役が効果的な「愚か者の涙」もまた泣けるバラードだ。「夜中じゅう仕事をして帰ってきて、幼い娘を膝の上に抱いて泣く男。
その娘が「どうして泣くの? 私にはわかんない。泣くなんてバカよ」と言う。
その男は街に女を作っていて、その女にもやはり同じことを言われる。「あんた、泣くなんて、馬鹿よ。なんで泣くの? わからないわ」
そんな「愚か者」を歌った歌だ。彼が泣く理由は語られていないが、たぶん、女房に逃げられたのではないか。
「クレイジー・ママ」はやや遅めのテンポ感が絶妙で、米国南部の砂埃と訛りのきつい陽灼けした男たちの汗の匂いが漂うようだ。キースのギターもカッコいいし、ミックの下品極まりないヴォーカルも最高だ。
アルバムからのシングルは、英国が「愚か者の涙/クレイジー・ママ」(全英6位)、米国が「愚か者の涙/ホット・スタッフ」(全米10位)だった。
アルバムは前作同様全英2位、全米1位のヒットとなった。
(Goro)