ジーザス&メリー・チェインは、ジム・リード(vo)とウィリアム・リード(g)の兄弟を中心に、1984年に英スコットランドで結成された。初代のドラマーは後にプライマル・スクリームを結成するボビー・ギレスピーだった。
彼らをリアルタイムで追いかけたわれわれの世代は、彼らを「ジザメリ」と呼んだけれども、今はどうなのか知らない。
まあなにしろ、彼らはカッコ良かった。
音楽的な中身の濃さよりも、「カッコ良さ」が上回っていた。
いや、そう言うと語弊があるけれど。
まず、バンド名がカッコ良い。それに曲のタイトルやアルバムのタイトルもまた、なんだかよくわからないけれども、カッコ良かった。
『サイコ・キャンディ』とか。
『ハニーズ・デッド』とか。
「アイ・ヘイト・ロックンロール」とか。
きっと深い意味はないのだろうけど。
まあ、カッコいいとも言えるし、ダサカッコいいとも言えるかもしれないけれども、ダサカッコいいというのはロケンロールがそもそもそういうものなので、きわめてロケンロール的センスに溢れたアーティストだと言えると思う。デビュー・シングルの「アップサイド・ダウン」なんかはロケンロールと前衛アートの融合みたいなものだ。
ロケンロールを素材にしたアートのような作風という意味で、彼らはイギリスのヴェルヴェット・アンダーグラウンドのようでもある。ノイジーでダークな雰囲気もそうだけど、歌い方もルー・リードみたいだし。そう言えば、綴りはちょっと違うが、彼らもジムとウィリアムのリード(Reid)兄弟なのだ。
ぶっちゃけ歌も上手くないし、独創的なソングライターとは言えないかもしれない。
しかし、ジーザス&メリー・チェインの登場はロックシーンにおける核実験ほどの衝撃波を生み、それが90年代初頭の奇跡のロック大復活への起爆剤となったのだった。
そんなジーザス&メリー・チェインの、わたしが愛する名曲ベストテンを選んでみました。
I Hate Rock ‘n’ Roll (1995)
1995年5月に発表されたシングル。98年のアルバム『マンキ』にも収録された。
トレードマークのノイズギターも元気に復活し、「I love rock ‘n’ roll」「I hate rock ‘n’ roll」「Rock ‘n’ roll hates me」などと歌われる。
彼らにとって「ロックンロール」とは、近づいたと思えばまた離れていってしまう、なんともツンデレな、永遠の憧れだったのかもしれない。
Blues from a Gun (1989)
3rdアルバム『オートマチック』からのシングルで、全英32位、米オルタナティヴ・チャートでは1位を獲得した、ジザメリの出世作。
当時は誰もやらなくなっていたようなバリバリにカッコつけたロケンロールを、あの(たぶん)人見知りで根暗な兄弟が堂々とやり始めたのはショックであると同時に新鮮でもあった。
1989年、なんだかロック・シーンが熱くなってきたなあ、という頃だ。
Sometimes Always (1994)
90年代前半のロック大復活のお祭り騒ぎにも疲労の色が見え始めた頃、その中心的存在だったジザメリは一息つくかのように、94年の5thアルバム『ストーンド&ディスローンド』では轟音ギターを封印して、アコースティックな響きや女子とのデュエットもある、抒情的でリラックスした印象のアルバムとなった。
このシングルは、当時ウィリアム・リードの彼女だったホープ・サンドヴァルとのデュエットとなっている。全英22位まで上昇した。
Some Candy Talking (1986)
1stアルバムの発表から8ヶ月後にリリースされたEPのタイトル曲。このEPには3種あって、それぞれ3曲入り、4曲入り、7曲入りと収録曲数が違っている。
タイトルが麻薬を示唆しているという誤解からこの曲はラジオではほとんど流れなかったが、それでも全英13位まで上昇した。
まさに、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドを彷彿とさせる曲だ。
Darklands (1987)
初期メンバーでベーシストのダグラス・ハートとドラマーのボビー・ギレスピーが脱退し、ジムとウィリアムのリード兄弟だけになってしまった、1987年発表の2ndアルバム『ダークランズ』のタイトル曲。ベースは2人が手分けして弾き、ドラムは全曲ドラムマシンを使用している。
2人ぼっちになって、色んな意味で寂寥感が凄い「闇の国」だ。メランコリックなメロディのこの曲は、未だにわたしの脳内でなぜか結構な頻度で再生されてしまう。そんな時は大抵、わたしの心の闇の国で何かが起こっている時だ。
Sidewalking (1988)
2ndアルバム『ダークランズ』と3rdアルバム『オートマチック』の間に発表されたシングル。全英30位。
タイトルから、やっぱりルー・リードの「ワイルドサイドを歩け」を連想してしまう。これもよく口づさんでしまうな。もちろん、道を歩いているときに。
ダークで耽美的な作風から、ストレートなロケンロールの作風へと方向転換していった頃の作品だ。
Reverence (1992)
90年代初頭のロック大復活祭の真っただ中でジザメリが発表した、4thアルバム『ハニーズ・デッド』からの先行シングル。全英10位まで上昇するヒットとなった。
当時のあのお祭り騒ぎのそもそもの火付け役とも言えるジザメリは果たしてどんなものを出して来るのかという期待にしっかりと答えた、これまでの集大成のような完成度の高いアルバムだった。特にこの曲は、轟音ギターとダンス・グルーヴが見事に融合した、時代を象徴するような1曲となった。
Just Like Honey (1985)
1stアルバム『サイコ・キャンディ』のオープニングを飾る曲。
それまでのシングルのようなフィードバック・ノイズの洪水はなくなり、イントロはロネッツの「ビー・マイ・ベイビー」風のドラムで始まる。ディストーション・ギターで耽美的なバラードを歌うというアンバランスな組み合わせが特徴的で、その後のシューゲイザーたちの手本となった。
PVでは、ボビー・ギレスピーがつまらなそうに、いかにも辞めたそうに、ドラムを叩いているのが印象的だ。
Head On (1989)
3rdアルバム『オートマチック』からの第2弾シングル。米オルタナチャートの2位まで上昇するヒットとなった。ジザメリの最もキャッチーなロケンロールであり、彼らの代表曲のひとつだ。
下のPVではベーシストとドラマーが演出として映っているけれども、実際の録音はどちらもドラムマシンを使用した打ち込みである。
Upside Down (1984)
英国ロック史における、「アナーキー・イン・ザ・UK」以来の衝撃的なデビュー・シングル。
キュイイイーーーーーーンンンピピーーーーキィィィィィキキキキキキーーーガーーーーーーーーーーーーー
最初から最後までエレキギターの耳をつんざくようなフィードバック・ノイズの嵐。その向こうにドラムがかすかにポコポコと聴こえ、ジム・リードの歌声らしきものがかろうじて聴こえてくる。まるでエレキギターを初めてアンプにつなげたものの、どのつまみを調節していいかわからず、盛大なノイズを放射しながらそのまま演奏しているような曲だった。
これがビッグ・バンだった。
この曲がジーザス&メリー・チェインの始まりであり、轟音ギター・ロックの始まりであり、90年代ロックの始まりでもあったのだ。
ジーザス&メリー・チェインのアルバムを入門用に1枚選ぶとしたら、『21シングル』が最適だ。これ1枚でジザメリの大体の感じは掴める。
コメント
1992年の来日、クラブチッタ川崎で4日間の公演がありましたが、友人たちと毎日行きました。皆勤賞です。
もう30数年前の話ですので詳細は覚えていないのですが(年度も忘れていましたが、その時買ったTシャツの背中にプリントされていました)、ボーカルの音がややくぐもっていた以外は、フィードバックノイズも思っていたほどではなく、とっても聴きやすい、また盛り上がったよいライブだった記憶があります。荒れなかったし。
それよりもリード兄弟が笑顔で聴衆に応対していた方が衝撃的で、それだけはハッキリと覚えています。
最近も、再評価の波もあるのか案外精力的に活動している様子で、何だか元気そうで嬉しいです。
おー、わたしはジザメリは観たことないので羨ましいです!
しかも4日連続とは、相当お好きだったんですね!
92年と言ったら『ハニーズ・デッド』の頃なので彼らのピークの時代ですね。
聴きやすかった、とは意外です。耳をつんざくフィードバック・ノイズのイメージでしたからね。
写真や映像でもほぼ笑顔なんて見たことないリード兄弟ですが、実はフレンドリーでいいやつらだったんですね笑