The Cure
Lovesong (1989)
数年前から売れ始めた若手漫才師ぺこぱのツッコミ担当、松陰寺太勇をテレビで見かけるたびに、あのボサボサの髪や化粧、ずんぐりした体型、ナルシスト・キャラなどから、ついロバート・スミスを思い出してしまう。
それでついついキュアーを聴き返して、独特のメランコリックな雰囲気や、バラエティーに富んだ音作り、聴き飽きない奥の深さに、あらためて惚れ直したりする。
この「ラヴソング」は1989年のアルバム『ディスインテグレーション(Disintegration)』からのシングルで、全英18位はいつも通りの定位置ぐらいだったけど、なぜかアメリカで爆発的に売れ、全米2位の大ヒットとなった。
アルバムは、前作の『キス・ミー、キス・ミー、キス・ミー』から一転して、あまりの暗さ、陰鬱さににレコード会社は「商業的な自殺だ」として改良を望んだが、ロバスミは無視してそのまま発売させると、世界で300万枚を売る大ヒットとなり、アメリカでも大ブレイクしたのだった。
「ラヴソング」はキュアーにとって唯一の全米トップテン入りしたシングルとなり、彼らの代表曲として米国人には知られている。
ちょっと艶っぽい感じと、メロディアスなアレンジが印象に残る、たしかに良い曲だけれど、それまでのキュアーの数々の名曲に目もくれなかったアメリカ人が、急にこれを気に入った理由はよくわからない。ちょっとしたオリエンタル・テイストみたいなものが気に入られたのだろうか。
誰よりもキュアーのメンバーたちがいちばん驚いたに違いない。
どう聴いてもアメリカで売れそうなタイプじゃないもんなあ。
89年の8月にはすでにニュージャージー州のジャイアンツ・スタジアム(最大収容人数8万人)でコンサートを行い、成功を収めている。よほど盛り上がったのか、アンコールを10曲も演っている。
そしてこの次のアルバム、92年の『ウィッシュ』では、なんと全米1位という快挙を遂げてしまう。
あの暗い暗いキュアーが、アメリカで愛される時代がやってきたのである。
よくわからないなあ、アメリカ人て。
(Goro)