⭐️⭐️⭐️
Sinead O’Connor
I Do Not Want What I Haven’t Got (1990)
情念はロックだ。
とわたしは日頃から思っていて、感情を剥き出しにし、情念を放出し、身を削るようにして歌う女性歌手に魂を揺さぶられ、心を掴まれるのである。
もちろん、一緒に生活するとなると大変な試練となるだろうが、歌を聴くだけなら、それはわたしの心のどこかで普段は眠っているような感情を呼び覚ましてくれる。
アイルランド出身のシニード・オコナーもそんな歌手のひとりだ。
1990年3月に発表された2ndアルバム『蒼い囁き』からシングル・カットされたプリンスのカバー「愛の哀しみ」が全米1位をはじめ、世界中のチャートで1位を獲得する大ヒットとなると、それに引っ張られる形で本作も同様に各国のチャートの1位を独占、700万枚を売り上げた。
【オリジナルCD収録曲】
1 フィール・ソー・ディファレント
2 永遠の人に捧げる歌
3 スリー・ベイビーズ
4 エンペラーズ・ニュー・クローズ
5 ブラック・ボーイズ・オン・モペッズ
6 愛の哀しみ
7 ジャンプ・イン・ザ・リバー
8 絶望
9 別離
10 蒼い囁き
波乱の人生を送った彼女の、この輝きにあふれた名唱は忘れ難い。
育った家庭のカトリックの厳格な生活に反発し、両親の離別や、母による暴力と虐待、その母の事故死、窃盗を繰り返して鑑別所に入るなど、すさんだ少女時代を過ごした彼女には、言いたいことが山ほどあり、感情は常に爆発寸前だったに違いない。わたしはそんな彼女に共感と親近感を覚える。
デビューの直前にレコード会社の重役から「もっと女性らしさを」と求められると、それに反発してスキンヘッドにし、それが彼女のトレードマークとなった。そしてデビューしてからも内に燃え上がる炎を抑えきれずに過激な言動を重ねた。
しかし、さすがに生放送のTVカメラの前でローマ法王の写真を破り捨てたのはマズかった。
カトリック教会の複数の神父による児童への性的虐待とその組織的な隠蔽事件に対する抗議だったが、その心情にはまったく共感するものの、やり方は上手くなかった。本来なら人々がカトリック教会へ向けるべき怒りと憎悪を、自分の方へ向けることになってしまった。
直後に出演したボブ・ディランのトリビュート・コンサートでは、観客の激しいブーイングを浴び、予定していた曲ではなくボブ・マーリィの「War」を、アカペラで絶叫するように歌った。そのときの映像が残されているが、ステージのミュージシャンたちの誰も彼女を助けようともしない、世界中に背を向けられたような孤独な姿はあまりに痛々しかった。
トラブルメーカーの印象がつきまとったまま、やがて彼女は表舞台から姿を消した。
その後は4度の結婚と離婚、不倫関係、大麻依存、精神疾患、自殺未遂など、波乱の人生を経て、1999年にはカトリック系の新興宗教団体の「女性司祭」となった。
さらには2018年にイスラム教に改宗し、「シュハダ・サダカット」と改名する。
そして2022年、長男のシェーンが17歳で自殺すると心身を病み、翌年2023年7月23日に自宅のアパートで死亡しているのを発見された。死因は「慢性閉塞性肺疾患と気管支喘息の悪化と軽度の下気道感染症」で、享年56歳だった。
葬儀にはアイルランドのヒギンズ大統領も参列し、数千人がシニードを悼むプラカードや弔辞を携えて参列したという。
↓ 世界的なヒットとなった「愛の哀しみ」。プリンス直轄のファンク・バンド、ザ・ファミリーのためにプリンスが提供した曲だった。PVの最後のほうで、自然に頬を伝う涙が衝撃的だった。何度聴いても、何度見ても感動する。
↓ シングル・カットされた「エンペラーズ・ニュー・クローズ」。
(Goro)

