RCサクセションはリード・ヴォーカル&ギターの忌野清志郎、ギターの破廉ケンチ、ウッドベースの林小和生という中学の同級生3人で結成され、1970年3月にシングル「宝くじは買わない」でデビューした。
彼らの楽器はすべてアコースティック楽器で、当時流行のフォーク・グループのような体裁を取りながらも、オーティス・レディングやサム・クックのような、感情と魂を剥き出しにした激しいソウル・ミュージックを志向しているようなグループだった。そして初期のアルバムはどれも、忌野清志郎の生々しい歌詞と天才的なソングライティングによって、60年代ロックのコンセプト・アルバムのように実験的でもありながら、心に深く突き刺さる名盤となった。
しかしRCはデビューから10年ものあいだ、72年にシングル「僕の好きな先生」がオリコンシングルチャートの70位に顔を出して小ヒットした以外は、まったく売れなかった。彼らが目指した音楽はきっと、早すぎたのだ。
彼らに時代が追いついたのは、70年代も終わる頃だった。
パンク・ムーヴメントに影響された清志郎が髪をおっ立て、ドラァグクイーンのような化粧を施し、ギターの仲井戸麗市、ドラマーの新井田耕造、キーボードのG2を加えてパワーアップし、ついにRCの逆襲が始まった。彼らは、当時まだ日本には存在しなかったスタイルの、本格的なロックバンドの先駆となった。
そしてライブハウスを中心とした活動で注目を浴びると、人気は一気に過熱した。十年も低迷していたのに、火が点いたら一瞬で燃え上がった。社会現象のように様々なメディアに取り上げられ、それは当時のわたしのような地方都市の中学二年生の耳にまで届けられ、心にぶっ刺さって抜けなくなり、あれよあれよという間に彼らは日本を代表するロックバンドとなったのだ。
そんなRCサクセションが、1991年に活動を終えるまでの21年間に残したすべての楽曲の中から、わたしが愛するベスト30曲を選んでみました。
※作曲者にクレジットされている”肝沢幅一”は忌野清志郎の変名。
作詞・作曲:忌野清志郎・林小和生
シングル「トランジスタ・ラジオ」のB面として発表され、アルバム『PLEASE』にも収録された曲。清志郎が愛してやまないオーティス・レディングやサム・クックなどの60年代サザン・ソウルを手本にしたような曲だ。「おまえが好きさ」しか言わない、単純なラヴソングが好きだ、だってほかに「言葉でなにが言える?」と歌う、清志郎のソウル・ミュージックへの愛があふれているようなステキな歌だ。
作詞:忌野清志郎 作曲:仲井戸麗市
83年にシングルのみでリリースされた、アルバム未収録曲。
当時の清志郎は肝臓を悪くし、また近親者の重病も重なり心身ともに最悪の状態だったが、それでも馬車馬のように働かせる事務所に不信感を抱いていたという。
最悪だぜ!女とイチャついてる暇もねえ
Rock Bandのツアーが行くぜ
汚れたステージ衣装で おなじみの曲をやるのさ
意味もなくわめき散らすぜ
と歌うこの歌は、当時の心情を吐露したものだろう。まるでビートルズの「Help!」のように。
作詞・作曲:忌野清志郎
アルバム『OK』の先行シングル。「僕を泣かせたいなら、夜更けに悲しい嘘をつけばいい」なんていう歌詞をあの声で歌われたら、参ってしまう。グッとくる純度高めのラブ・ソングだ。
作詞・作曲:忌野清志郎
RCサクセションのラスト・アルバム『Baby a Go Go』からのシングル。清志郎の声で「大人だろ、勇気を出せよ」と言われたらも、そうだな、と思うしかないのである。子供のときはそれほどでもなかったのに、大人になればなるほど怖がりになって、勇気なんてとっくにどこかに忘れてきている。こんな大人ばかりなら、そりゃあ空も暗くなっていくだろう。
このアルバムの直前に、ドラムの新井田耕造とキーボードのG2がバンドを去り、RCは清志郎、チャボ、林小の3人だけになってしまった。
しかしケガの功名というべきか、アレンジには余計な音も飾りも一切なくなり、人の手によるぬくもりと力強さを感じる、この曲をはじめ、素晴らしいアナログサウンドのアルバムになった。
作詞・作曲:忌野清志郎・仲井戸麗市
オリコンシングルチャート6位と、RCのシングルで最も売れた曲。『ザ・ベストテン』には第8位で最初で最後の出演、『夜のヒットスタジオ』では噛んでいたガムをカメラに向かって吐き出し、クレーム殺到(笑)という話題もファンを喜ばせた。
82年のアルバム『BEAT POPS』にはシングルとは別テイクの、ライヴ・バージョンで収録された。
作詞・作曲:G忌麗
単純明快なホンキートンク・ロックンロールの曲調も、自虐的なユーモアも含めた歌詞も、自分たちを漫画みたいにカリカチュアしたようなナンバーで、少年少女たちのファンへのサービス精神で作られたかのような曲だ。ライヴの最後に歌われることが多かった人気曲だ。
作詞・作曲:忌野清志郎
強烈にわがままな歌詞が最高な、84年のアルバム『FEEL SO BAD』のオープニング・トラック。
だって俺は自由、自由、自由
短いこの人生で いちばん大事なもの
それは自由、自由、自由
と歌う歌だ。全面的に共感する。自由がないなら死んだほうがマシだ。
作詞:忌野清志郎 作曲:林小和生・肝沢幅一
2nd『楽しい夕に』収録。1stの外へ向けた攻撃性やアピールは影を潜め、都会の隅っこで誰にも気に留められることもなくひっそりと生きている絶望的に孤独な青年の独白のような凄いアルバムだが、この曲もまた、片想いの女性と文通をしているらしい青年の、自分と彼女の手紙の温度差が気になって気が狂いそうになっている心情を切々と歌った歌だ。
作詞・作曲:G忌麗
81年のアルバム『BLUE』に収録された、ソウルとロックンロールと日本語が見事に融合したRCサクセションならではのナンバーだ。こんなふうに歌えるソウルシンガーも清志郎以外にいないだろう。
作詞・作曲:忌野清志郎
「たまらん坂」とは東京都の国立市と国分寺市の境に実在する坂だ。
清志郎は少年時代を国分寺市で育ち、デビューしてからも歌詞の通りにたまらん坂の途中にあるアパートに住んでいたため、RCファンの聖地にもなった。RCのバラードの中でも最も美しいもののひとつだ。
作詞:忌野清志郎 作曲:肝沢幅一
『シングル・マン』収録曲。親しみやすいメロディで軽快に始まったと思ったら、どんどん予想外のシリアスな展開になっていく。まるで、お花の咲いた牧場を駆け回っていたら、いつのまにか暗い森に迷い込んで、獣が泣く声やナゾの怖い音に包囲されたような、そんな曲だ。
でも最後は無事に怖い森から脱出し、
誰もやさしくなんかない
君と同じさ、いやらしいのさ
誰もやさしくなんかない
だからせめて汚いマネはやめようじゃないか
と、これから大人として生きていくうえでとても重要なメッセージを受け取るのである。
作詞・作曲:忌野清志郎
破廉ケンチが病気で脱退し、清志郎と林子の2人になっていたRCに、ギターの仲井戸麗市(チャボ)、ドラムの新井田耕造、キーボードのG2が加入し、5人編成のロックバンドに生まれ変わって初めて録音したシングル「雨上がりの夜空に」のB面に収録された曲。
たとえ世間から誤解されようが悪く思われようが、君が僕のことをちゃんとわかってくれてるんだからそれだけで充分、といったような歌詞だ。
RCを解散した後に、久しぶりにステージで共演したチャボと清志郎が二人でこの曲を演ったときは、まるで彼ら二人のことを歌っているみたいで感動的だったな。
作詞・作曲:忌野清志郎
当時中二のわたしは、こんな労働者のストライキソングみたいな歌なんて聴いたことがなかったので驚いたものだ。RCサクセションにはホントにビックリさせられることばっかりだったのだ。
大人になったわたしも会社員として長いこと働いたが、それにしても年々、若者たちがわたしたちの若い頃とは比べ物にならないぐらい賢く、理性的で、ものわかりのいい大人になっていくのには驚かされたものだ。若いうちなんてこの歌の主人公のように、もっとものわかりが悪く、空気を読まず、言いたい放題で構やしないのにと思う。
大人の言うことは疑え。大人は嘘をついてる。本当の気持ちとは違うことを言っている。
というのは大人になったわたしが確信したことだ。
作詞・作曲:忌野清志郎
80年のシングル「ボスしけてるぜ」のB面に収録され、ライヴのアンコールで定番となった曲。初めて聴いたときは中学生だったので、いったいなにがそんなにキモちEのか、バカな頭で妄想を巡らせたものだ。RCの定番曲の中では最もスピードのある、中学生でも楽しめるロックンロール・ナンバーだ。
作詞:忌野清志郎 作曲:肝沢幅一
RCサクセションにとって初めてのヒット曲。と言ってもオリコンシングルチャート70位という小ヒットだが、当時のフォークソングなんて一部の若者だけが聴いていたアングラな世界の音楽なので、それでも充分なヒット曲と言えたのだ。
清志郎の高校時代の実在の恩師、美術部顧問の小林先生のことを歌った曲だ。小林先生はこの歌の通りの人らしく、勉強をあまりしないでバンド活動に熱中していた清志郎にも理解を示し、清志郎を心配する母親を説得したこともあったそうだ。
清志郎はこの曲の入った1stアルバム『初期のRCサクセション』が出来上がったときに、小林先生のもとに自ら持参したということだ。
作詞・作曲:RCサクセション
ニュー・ウェイヴ風のパワフルで特徴的なドラムで始まり、引きずるようなギターが絡んでくるカッコいいイントロが印象的なロックンロール・ナンバーだ。当時のライヴではオープニングの「よォーこそ」の次に演奏されることが多かった。
「役立たずの神様、ハードロックが大好き」なんて歌詞もホント、イカしたもんだ。
作詞:林小和生 作曲:肝沢幅一
林小和生の詞がなにしろ素晴らしい。これほど絶望的なまでに孤独な歌を聴いたことがない。
「このごろは誰も口をきいてくれないから、僕はさみしくて気が狂いそう」なのに最後は「夏が終わってゴキブリが死んだら、もっといい友達に会えるかもしれない」とそれでも前向きなのにはなんだか胸が締め付けられる思いだ。
肝沢幅一(清志郎)の曲も絶品だし、リード・ヴォーカルをとった破廉ケンチのせつない歌声も素晴らしいし、清志郎のコーラスが途中で入ってくるところがまた大好きだ。
作詞・作曲:忌野清志郎
RCがロックバンドとして再スタートするときに手本にしたのはローリング・ストーンズだったそうだが、この曲なんかもまたストーンズを思わせる曲だ。
昔は、ロック好きでも洋楽派と邦楽派に分かれていたものだが、このRCはどっちからも好かれためずらしいバンドだったと思う。
英語をほとんど使わない歌詞でありながら洋楽の影響の濃いサウンドで、しかも唯一無比の個性を持ったバンドだったからだろう。
作詞・作曲:忌野清志郎
70年代の10年間はまさに清志郎にとって、なにをやっても報われない苦難の連続の日々だったのだろう。その頃のRCの歌は、怒りは諦めに変わり、哀しみはやりきれなさに変わり、涙も涸れて、疲れ果てているように感じる。そしてそんな日々から心が剥き出しになった、聴いてるほうまで気持ちがヒリヒリとするような名曲が生まれた。この曲もそんな曲のひとつだ。
最終電車でこの街についた
背中丸めて帰り道
何も変わっちゃいないことに気が付いて
坂の途中で立ち止まる
という歌詞を聴くたびに、彼の感じていたそのときの絶望が、心にぶっ刺さってくるのだ。
作詞・作曲:忌野清志郎
ノスタルジックでキャッチーなメロディで始まり、聴き惚れていると、後半は「僕は悪くない、僕はそれほど悪くない、僕はちっとも悪くない」と、気がふれたような悲痛な叫びが延々と繰り返されて呆気にとられる。
ディストーションギターもパワフルなドラムもないけれども、なんだかニルヴァーナの曲を聴いているような気分になるのだ。1972年でこれは凄い。早すぎる。だから売れなかったのだろうけれども。
https://www.youtube.com/watch?v=eMKHDdmM0KE
作詞・作曲:忌野清志郎
RCがロックバンドとして再スタートを切ったアルバム『RHAPSODY』に収録された抒情的でせつない名バラード。
清志郎がイメージした新生RCはローリング・ストーンズを手本にしていて、清志郎が仲井戸をRCに誘ったときにストーンズの「Angie」をBGMにして電話したという有名な逸話もあるぐらいだ。この「エンジェル」は明らかにその「Angie」を意識したものだろう。
作詞・作曲:忌野清志郎
清志郎が最も影響を受けているソウルシンガー、オーティス・レディングの「リスペクト」あたりを意識したような曲だ。ずっとこんな曲を自分のバンドでやりたかったであろう清志郎の、ようやく夢が叶った渾身のソウルナンバーではないかと想像する。
曲のエンディングではオーティスの名曲「ドック・オブ・ベイ」の一節も出てくる、まさにオーティスに捧げられたナンバーだ。
作詞・作曲:忌野清志郎
メンバー紹介の曲を「名曲」に挙げるのもどうかと思うが、しかしこの曲こそRCを大ブレイクさせた名盤『RHAPSODY』の顔となった最高のオープニングナンバーだし、わたしは当時中二で、こんな面白いバンドがいるんだ、と最初に興奮したのもこの曲だった。
当時RCがライヴハウスから人気に火が付いたのも、このオープニングナンバーのおかげもあったのではないかと想像する。噂につられて初めてRCのライヴを観に行ってみて、オープニングがいきなりこれだったなら、一瞬で好きになったに違いないのだ。
清志郎の自己紹介の後で「ガガガガガカ、ガッタ、ガッタ…」と歌う、新井田耕造のドラムとシンクロするところなんていつ聴いてもシビれる。
作詞・作曲:忌野清志郎
清志郎の歌詞の中でもその特異さ、面白さで上位に来る曲だ。それにまた見事な曲を付けたものだと感心する。これが歌えるのは清志郎以外にはいないだろう。
この曲を収録した『PLEASE』はわたしが初めて聴いたRCのLPだったが、この曲のわけのわからないインパクトは凄まじいものだった。
作詞:忌野清志郎 作曲:肝沢幅一
世にも美しいメロディーで始まった瞬間、RC史上最高のバラードかと耳が釘付けになるが、サビの「嘘ばっかり、嘘ばっかり、嘘、嘘、嘘、…」と繰り返される悲痛な絶叫にどんどん胸が締め付けられていく。
アルバム『シングル・マン』の最後から二番目の曲だが、しかしこれの後にさらに信じられないほど感動的なバラードが続くので悶え死にしそうになる。
作詞:忌野清志郎 作曲:肝沢幅一
一緒に仕事をして来たスタッフの、突然の死について歌った名曲。
その訃報があまりに信じ難く、受け入れ難かった感情の乱れと悲しみが、痛切な言葉で書かれた歌詞に心が震える。
ライヴ・アルバム『the TEARS OF a CLOWN』での清志郎の慟哭も忘れ難い。
作詞・作曲:忌野清志郎
わたしが一番好きなRCのアルバム『RHAPSODY』のタイトル曲。
実体験なのかどうか清志郎の歌詞によく出てくる、困難な環境にあってもお互いの気持ちだけを唯一の支えにして生きているような、孤独な恋人たちの美しいラブソングだ。
清志郎のせつない歌唱も最高だが、生活向上委員会のホーンもまた素晴らしい。いつ聴いてもグッと来る曲だ。
作詞・作曲:忌野清志郎・仲井戸麗市
80年代の幕開けと共にロックバンドとして再スタートを切った、新生RCサクセションの第一弾として発表されたこのシングルが彼らの出世作となり、代表曲となった。
当時の清志郎の車、日産サニー・クーペが実際に調子が悪かったらしく、それに女性を想起させるダブルミーニングに仕上げた歌詞は、当時中学生で盛りのついたわれわれをザワつかせたものだった。
曲はイギリスのバンド、モット・ザ・フープルの”Drivin’ Sister”を手本にしていると思われる。
作詞・作曲:忌野清志郎、G. 1,238,471
当時中二の、わたしのトランジスタ・ラジオがこのナンバーをキャッチしてしまったのだ。それ以来、ロック中二病に冒されて、今に至る。
この歌が伝えようとしている「うまく言えない、こんな気持ち」に中二のわたしが共感して、それ以来ずっと「こんな気持ち」を忘れないまま現在に至ってしまい、こんなブログを書いているのだと思う。
あのとき、わたしの中でなにかのスイッチが入った気がしたが、それはもしかすると、成長停止スイッチだったのかもしれない。
14才で、わたしは成長停止スイッチをカチッとONにしてしまったのだ。そしてこれをOFFにする方法を見つけられないまま、わたしは今日まで生きてみました。
作詞・作曲:忌野清志郎&みかん
あまりに美しく、あまりにせつなく、あまりに感動的な、永遠に聴き継がれるべき極上のバラードであり、ソウルシンガー忌野清志郎が遺した最高傑作だ。
この曲は事務所とのトラブルで仕事を干され、やることもないときに、事務所には内緒でレコーディングされたものだった。要するに、誰からも頼まれていないのに書き、リリースする予定もないのに録音した、純粋に内からあふれ出したような音楽だった。
あまりに何度も聴きすぎたせいか、この歌詞に書かれた光景、市営グラウンドの駐車場、夜露に包まれた車の窓ガラス、車の中で手をつなぎ毛布にくるまっている若い男女、カー・ラジオのランプだけが光っているせつなくも美しい光景が、今ではまるで自分が実際に経験したことのように、わたしの心に刻み込まれてしまっている。
エンディングの鳥肌の立つようなサックスは、生活向上委員会のドクトル梅津によるものだ。ちなみにベスト盤などではこの大事な部分を切っているシングル・バージョンで収録しているものもあるので、ぜひオリジナル・アルバムの『シングル・マン』で聴いてほしいと切に願う。
以上、RCサクセション【名曲ベスト30】でした。
RCサクセションのベスト盤を聴いてみたいという方には、2015年にリリースされた『KING OF BEST』がお薦めです。
RCサクセションのオリジナル・アルバムが聴いてみたいという方はこちらもどうぞ。
RCサクセション【名盤ベストテン】
(Goro)