Queen
Radio GaGa (1984)
わたしは「ボヘミアン・ラプソディ」など、いくつかの変態的な歌は面白いと思ってはいたものの、青春期をパンクの沿線で育ってしまったせいで、クイーンがいる路線は少し遠く、あまりよく知らずに来たのだった。
この有名な曲も、映画『ボヘミアン・ラプソディ』で初めて知ったほどだ。
映画のラスト、ライヴ・エイドの場面で「ボヘミアン」に次いで歌われる、異様に力強く何かを訴えるこの曲が妙に記憶に残り、帰って調べてみると、その歌詞にもまた惹かれるものがあった。
幼い頃、ラジオから流れてくる音楽やニュースが日常の一部だったことを回想しながら「ラジオは、想像力をかき立て、世界とつながる手段だった」と歌う。
しかしテレビが普及し、ラジオの役割は薄れ、今や音楽もスターも「見る」もので、「聴く」ものではなくなってしまった、時代は変わってしまった、と歎く。
ラジオにはテレビにはない「魂」や「想像力」が宿っていたことを強調し、ラジオはただの機械ではない、人々の感情や記憶に強く影響を与えた存在だと歌う。
ドラマーのロジャー・テイラーが書いた曲で、全英2位、全米16位のヒットとなった。
なにしろ40年も前の曲なので、言ってることが古すぎて若者には伝わらないかもしれない。
しかし、わたしはよくわかる。わたしも少年時代には、テレビなんかよりラジオに夢中になったものだった。
まあそれには、当時の貧乏な我が家にはテレビが一台しかなく、しかもそれは当時一緒に暮らしていた、わたしの母親と内縁関係にあった職人男が常に鎮座する仕事部屋だったという理由もあった。わたしはできるだけ彼の視界に入りたくなかったのだ。
AMからFMまで、音楽番組を毎週欠かさず聴き、チャート番組はその順位までノートに書き写したものだった。歌謡曲はもちろん、洋楽に出会ったのもやはりラジオだった。
しかし、あれほど夢中になっていたラジオも、いつのまにか聴かなくなっていた。働き始めるとすぐにオーディオ・セットを買い、音楽はラジオではなく、レコードで聴くようになり、やがてCDに替わった。
そして今やCDの時代も終わって、音楽もネット配信で聴く時代だ。自分の好きなものを選んで聴いたり、YouTubeで検索すれば動画でも見ることができる、あの頃には考えられなかった、夢のような時代だ。わたしも大いに活用している。
好きじゃないアーティストや、苦手なジャンルを聴くことなく、好きな曲、好きなアーティスト、好きなジャンルだけをあたりまえのように選んで聴くことが出来る。
ラジオはそうはいかなかった。
聴きたい音楽が流れるまで、延々と未知の音楽や苦手な音楽が流れてくるのを我慢しながら、聴いていなければならなかった。
でも、そうやって我慢して聴いていたものが、いつのまにかその良さを理解できたり、あるいは年月と共にこちらの好みが変化して、好きになっていることに気づいたりしたものだ。
年を取ると食べ物の好みが変わるように、若い頃は好きではなかったものが、年を取って好きになったり、その逆もあったりする。
ラジオから流れてくる、歌謡曲や演歌から、テクノやヘヴィ・メタルまで、なんでも耳に入って来ざるを得ない、ああいう音楽の聴き方が思春期の頃にできたことが今ではなにより貴重な、幸福な体験だったと思う。
それとたぶん、わたしが音楽を映像で楽しむということがほとんどなく、耳だけで聴く音楽の楽しみ方が今も変わらないのは、やっぱりラジオとレコードで育ったせいなんだろうなあ、と思う。
(Goro)