なぜか80年代の名機、京セラのSAMURAIを愛用する娘。
4年半ほど前にこのブログで、〈【きょうの余談】さらば、娘よ〉という記事を書いた。
ロックとはなんの関係もない、高校を卒業したわたしの娘が東京の専門学校で写真を学ぶために実家を離れる話を書いた、ただの親バカ記事だ。そのさらに1年半後には、専門学校を卒業して都内のスタジオに就職した、続編記事も書いた。今回はまたその続きである。
娘は高校で写真部に入った。中学時代はバスケをやっていたが、運動部はもうしんどいし、バスケを一緒にやっていた幼なじみの親友に誘われる形で、一緒に写真部に入ることを選んだのだ。
それが意外にも素質があったのか、在学中にいくつかの写真で賞を受賞し、上級生になると写真部の部長も務めた。
やがて進路を決める頃になると、卒業したら東京の専門学校で写真の勉強をしたい、と言い出した。娘からあらたまって相談されたのはそれが初めてのことだった。
もちろんいいよ、と即答した。将来カメラマンになれたら、当時の彼女の推しでライヴにもよく足を運んでいた、ローリング・ドアーズ(仮名)の撮影ができたらいいな、などとそこは子供らしいとも言えるちょっとミーハーで無邪気な夢も語っていたものだ。
実力以上に運が必要そうな夢だけれども、しかし絶対に実現不可能ということもない。
単身東京で夢を追いかけて勉強するなんて、最高の青春ストーリーじゃないか、と思った。わたしにはできなかったことなので、そんな選択をした娘を羨ましく思うぐらいだった。
そして娘は東京で2年間専門学校に通って写真や映像を学び、卒業すると都内の撮影スタジオに就職した。撮影アシスタントとして働き、仕事が終わってもまるで部活のように、そのまま深夜まで残って撮影の勉強をするハードな日々が続いた。給料は手取りで十数万、家賃だけで半分以上なくなってしまう。東京で一人暮らしをするには当然厳しく、わたしの妻が実家の畑で自ら育てた野菜などを、定期的に送っていたほどだ。
そして、都内の撮影スタジオをおよそ2年勤めた娘は、今年の6月末で退職した。
このときもまた久しぶりに改まって相談を受けた。
撮影アシスタントとしてはもう充分に仕事を覚えたので、次はいよいよカメラマンとして身を立てる準備を始めたい。しばらくはバイトで食い繋ぎながら、カメラマンの仕事を探していきたい、と。
もちろん、好きなように、やりたいようにやったらいい、とわたしは即答した。
そして娘はとりあえず7月からカラオケ店でバイトを始めたが、しかしそれも1週間で辞めざるを得なくなった。
娘は退職後から早速、SNSのDMを使って、ローリング・ドアーズ(仮名)の担当カメラマンに熱烈にアプローチしていたのだ。
そして7月の上旬、そのカメラマンから「明日神戸でライヴがあるけど、撮影を手伝える?」といきなり連絡が来たのだ。娘は「行きます!」と即答し、一目散に神戸へ飛んだ。
ちなみにローリング・ドアーズ(仮名)とは、若者なら誰でも知っている日本の超人気バンドである。この記事を書くにあたって娘に許可を得たが「バンド名を出さなければいい」という条件だったので、仮名にしてある。
神戸に飛んで2日間、ライヴの撮影などを手伝うと、次はテレビのでかい音楽特番の宣材写真の撮影だった。カメラマンは突然「撮ってみるか?」と娘に言い、娘は気後れしながらも「はい!」と即答した。
テレビ局の収録スタジオに入ると、高校時代からファンだった、ローリング・ドアーズ(仮名)を目の前にし、ガチガチに緊張しながら撮影を果たした。それでもなかなか良い写真が撮れていた。その夜は家に帰ると、あらためて自分が撮った写真を眺めながら、幸せを噛みしめたと言う。
テレビ局の公式SNSの番宣記事でその写真が使用され、それが娘のカメラマン・デビューということになった。つまり、デビューでいきなり「ローリング・ドアーズ(仮名)を撮りたい」という当初の夢を叶えてしまったのだ。
わたしは唸った。
夢って叶うんだなあ、と思った。
どこの馬の骨ともわからない娘からのDMによくカメラマンさんが真面目に対応してくれたと不思議に思うが、娘によると、メッセージで熱意を丁寧に伝えたこともそうだが、働いていた撮影スタジオが業界ではよく知られ、信用があったようだと言う。
強運もあるだろうけど、学校やスタジオで地道に学び、知識や技術を身につけたからこそ、その強運をしっかり掴むことができたのだろう。
やっぱり人間、地道な努力がいざという時にものを言うのだな。
なんて、今更わたし自身の努力の足りない行き当たりばったりの人生を後悔してみても仕方がないので、これからは娘に夢を見させてもらおう。
それから半月ほどが経ったが、娘は引き続きローリング・ドアーズ(仮名)のツアーに同行し、ライヴやオフショットの撮影、ミュージック・ビデオの制作などにも参加しながら、空いた日には生活費を稼ぐために飲料メーカーの工場でバイトもしている。
バタバタと忙しい毎日を送っているようだが、当分は収入も不安定で、まだこの調子で食べていけるのかどうかすらわからない、明日をも知れぬ身だ。でも、そのチャンスを絶対に逃すな、金に困ったらいつでも言ってこい、と言ってある。
実際のところは、わたしも地獄みたいな工場で肉体労働をする、なけなしの稼ぎしかない身だ。カミさんと共働きとはいえ、たいした金の余裕などあるはずもない。
まあ、いざとなれば兄弟や親戚の家を土下座して回り、久しぶりに借金でもするかなと思っている。
(Goro)