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Paul Simon
“Paul Simon” (1972)
1970年にサイモン&ガーファンクルとしての活動を終えたポール・サイモンが、1972年1月に発表した1stソロ・アルバムだ。
サイモン&ガーファンクルの最後のアルバム『明日に架ける橋』で南米ペルーのフォルクローレ「コンドルは飛んで行く」を取り上げたポール・サイモンが、本作ではさらにそのワールド・ミュージックへの関心を拡大し、大胆に導入してみせた。
【オリジナルLP収録曲】
SIDE A
1 母と子の絆
2 ダンカンの歌
3 いつか別れが
4 お体を大切に
5 休戦記念日
SIDE B
1 僕とフリオと校庭で
2 平和の流れる街
3 パパ・ホーボー
4 ホーボーズ・ブルース
5 パラノイア・ブルース
6 コングラチュレーション
衝撃のオープニング、A1「母と子の絆」は、なんとレゲエである。
世界にレゲエを発信した最初の映画『ハーダー・ゼイ・カム』はまだ公開前だし、ボブ・マーリィもまだメジャー・デビューはしていない時代だ。英米のアーティストでは初の、レゲエを取り入れた作品ということになる。
わたしはこの曲を知るまで、ロック畑でレゲエを最初に取り入れて世界に発信したのはエリック・クラプトンの「アイ・ショット・ザ・シェリフ」のカバーだと思い込んでいて、なんとなく、昔のブログ記事にもそう書い書いたような気もする。
お恥ずかしい限りである。
しかもポール・サイモンのこの曲は、カバーでもなく、オリジナルである。
この曲だけを録音するためにサイモンはジャマイカへ飛び、現地ミュージシャンと録音したという徹底ぶりである。この曲はシングル・カットされ、全米4位、全英5位の大ヒットとなった。
他にも、再びアンデスのフォルクローレを取り入れた「ダンカンの歌」をはじめ、ブラジルの打楽器やラテン音楽の要素、ジャズやカントリー、ブルースなどの要素も聴こえてくる。アルバムは全米4位、全英1位、日本でも1位と世界的なヒットとなった。
ワールド・ミュージックへの接近と融合はその後、ポール・サイモンのライフワークとして大きな商業的成功も得るが、これを「中南米やアフリカの音楽を盗んだ」などと批判する言説があったことには呆れてものが言えない。そんなことを言ったらサイモン&ガーファンクルの音楽スタイルなんて、世界中で盗まれまくっている。
そもそもロックとは、白人のカントリーと黒人のR&Bを融合させて生まれた音楽の「雑種」であるのだ。さらにまた別の地域や人種の音楽を取り入れることの何がいけないのかわからない。
あたりまえだが、ジャマイカのレゲエをロックに取り入れたからと言って、ジャマイカからレゲエがなくなってしまうわけではない。大英博物館に展示されている、世界各地から強奪してきた宝物とは訳が違うのである。音楽は盗んだり、ショーケースに閉じ込めたりできるような代物ではない。
人類が生みだした最も純粋かつ崇高な芸術である「音楽」は、誰が奏でてもいいし、誰が聴いてもいいものだ。世界各地の人類が生み出した音楽を、さらに融合させることで、さらなる新種の音楽が生まれ、人々を楽しませ、人々を繋ぐのである。
ポール・サイモンのまるで少年のような声は、純粋な好奇心に目を輝かせながら、世界各地の音楽を歌い、見事な腕前でアコースティック・ギターの妙技を聴かせてくれる。
わたしにとってはサイモン&ガーファンクルの作品群よりも新鮮な感動を覚え、そしてずっと楽しめるアルバムである。
↓ 全米4位、全英5位の大ヒットとなったレゲエ・ナンバー「母と子の絆」。
↓ 全米22位、全英15位のヒットとなった「僕とフリオと校庭で」。
(Goro)