カナダのモントリオール出身のレナード・コーエンは、13歳の頃からギターを弾き始めた。1934年生まれ。ボブ・ディランより7歳年上である。
1950年代には地元のカフェでカントリーなどを演奏していたが、60年代になると詩人・小説家としてカナダで知られるようになる。
そして、ボブ・ディランを世に出したことで知られるコロムビア・レコードのプロデューサー、ジョン・ハモンドに見いだされ、1967年、シンガー・ソングライターとして最初のアルバムをリリースした。デビュー当時33歳と、歌手としては遅咲きのレコード・デビューだった。
わたしは20代の頃に彼の初期のベスト盤を手に入れ、その抒情的でありながらどこか乾いた響きの楽曲と、呟くようでもあり、祈りを捧げるようでもある、独特の味わいのあるヴォーカルに魅せられて、何十年ものあいだ繰り返し聴いたものだった。
「カナダのボブ・ディラン」と呼ばれることもあったが、イギリスのポップスやフランスのシャンソンを思わせるようなところもある音楽性は、かつてはイギリスとフランスの植民地であり、現在も英語と仏語の両方が公用語というカナダの文化的立ち位置を表しているようでもある。レコードもイギリスやフランスでよく売れた。
彼はもともとユダヤ教徒であったが、仏教にも深い興味を持ち、62歳のときには僧侶になっている。宗教的・哲学的な内容の歌も多い。
80歳を過ぎても歌い続けたが、2016年に82歳で死去した。彼をリスペクトするアーティストは数多い。
以下はわたしがお薦めする、最初に聴くべきレナード・コーエンの至極の名曲5選です。
Suzanne
1968年1月にリリースされた1stシングルで、フランスではシングル・チャート3位のヒットとなった。
これぞレナード・コーエンと言うべき、素朴だが真摯な感情を伝える、心の深い部分が共鳴するような味わい深い歌だ。
So Long, Marianne
1967年の1stアルバム『レナード・コーエンの唄(Songs of Leonard Cohen)』からのシングルで、フランスでのみ28位に上昇した。
この曲のモデルとなった「マリアンヌ」は、60年代初頭にコーエンが訪れたギリシャの島で出会った実在の女性だ。
彼女は「恋人兼ミューズ(芸術の女神)」と呼ばれたほど、レナード・コーエンに多くの作品を書かせる原動力となったという。
この曲はそんな彼女に別れを告げる内容となっている。
Bird on the Wire
1969年の2ndアルバム『ソングス・フォー・ア・ルーム(Songs from a Room)』からのシングル。
「電線の上の鳥のように、真夜中に大合唱する酔っぱらいたちのように、わたしは自由になる方法を探したんだ」と歌う、詩的でどこか崇高な美しさを感じる、コーエンの代表曲のひとつだ。
Who By Fire
1974年の4thアルバム『ニュー・スキン・フォー・ザ・オールド・セレモニー(New Skin for the Old Ceremony)』収録曲。
ユダヤ教の祈祷文を元に作られた歌なのだそうだ。レナード・コーエンはユダヤ教徒の家庭に育ち、後になぜか禅宗の僧侶になった。
直訳すれば「誰かは火で、誰かは水で、誰かは太陽の下で、誰かは夜中に」と、人の死に方を列挙していく歌だ。「誰かは食べ過ぎて、誰かは飢えて」「誰かは下着姿で」「誰かは鏡の中で」なんていうのもある。聴きながら、ついついおれはどうやって死ぬのかななんて考えてしまったりする。
一緒に歌っている女性は、同じくユダヤ教徒のシンガー・ソングライターで、70年代に日本でも人気を博したジャニス・イアンだ。
Hallelujah
1984年の7枚目のアルバム『哀しみのダンス(Various Positions)』からのシングルで、カナダで17位、フランスで1位と、彼にとって最も売れたシングルとなった。
また、1994年に発表されたジェフ・バックリィ『グレース』に収録されたカバーの名唱は大きな話題となり、さらに広い世代に知られるようになった。
入門用にレナード・コーエンのアルバムを最初に聴くなら、キャリアを総括したベストよりも、わたしも30年以上愛聴した初期のベスト盤『エッセンシャル・レナード・コーエン(Best Of Leonard Cohen)』をやっぱりお薦めしたい。
(Goro)