ジョイ・ディヴィジョン/ラヴ・ウィル・テア・アス・アパート (1980)

Love Will Tear Us Apart - Wikipedia

【80年代ロックの名曲】
Joy Division
Love Will Tear Us Apart (1980)

ジョイ・ディヴィジョンは1976年に英マンチェスターで結成した、ポスト・パンクの代表的なバンドのひとつだ。

そして、とにかく暗い。

彼らはあの伝説の、セックス・ピストルズのマンチェスター・ライヴの四十数人の観客の中の何人かであり、それをきっかけにバンドを結成したのである。

でもピストルズやバズコックスなんかのようなカラッと明るいパンク・ロックにならなかったのは、やはりフロントマンのイアン・カーティスのキャラのせいなのだろうか。

彼が書く絶望や孤独についての歌詞も暗いし、サウンドもそれに合わせたように、雷雨の夜に古城の地下牢で奏でられているかのような陰鬱な趣である。

わたしはそれほど彼らの音楽に詳しくないのだけれど、彼らの音楽がその後ザ・スミスからレディオヘッドに至るまで、英国ロックのひとつの暗渠みたいな流れをつくっていることはたしかで、リスペクトはしている。

彼らのレコードデビューは78年6月発売のEP盤『An Ideal for Living』だが、その半年後には、すでにNME誌の表紙を飾っている。まだヒット曲も無く、アルバムも出していないにもかかわらずだ。その音楽性やライヴ・パフォーマンスなどに、それだけ注目を集めるインパクトのようなものがあったのだろう。

1979年6月にリリースされた1stアルバム『アンノウン・プレジャーズ』はインディ・チャートで1位を獲り、その後全英ツアー、欧州ツアー、そして矢継ぎ早に2ndアルバムの制作と、突然の成功による過密スケジュールが、もともと精神的に不安定だったイアン・カーティスの心身を蝕んでしまった。そして1980年5月、全米ツアー出発の前日に彼は首を吊ってこの世を去った。23歳だった。

この曲は彼の遺作となったシングルで、全英13位と、キャリア最大のヒットを記録している。

歌われているのは、妻との関係や自身の状況に対する倦怠などで、ベーシストのピーターは「あまりに刺々しく、悪意に満ちていることに衝撃を受けた」と語っている。

しかしこの曲は英国のインディ・シーンでは永く愛されるアンセムとなったようで、2002年のNME誌においては、ビートルズやニルヴァーナの名曲群を抑えて《史上最高のシングル曲》にも選ばれている(おいおい)。

イアン・カーティスを失ったジョイ・ディヴィジョンは、残されたメンバーによって”ニュー・オーダー”と名前を変えて活動を続けた。

ジョイ・ディヴィジョンと変わらぬ陰鬱さは堅持しながら、シンセや電子楽器を目いっぱい多用したエレクトロ・サウンドで人気を博したが、正直、わたしはこのバンドのこともあまりよく知らないので、これからちょっと聴いてみようかなと思う。

(Goro)