1971年11月、吉田拓郎が独立系レーベルのエレックレコードから大手のCBSソニーへと移籍したのとちょうど入れ替わるようにして、泉谷しげるはエレックレコードからデビューした。
ライヴでは観客を大いに沸かせ、破天荒な歌から、ユーモラスな歌、心情をリアルに告白した歌や極めて詩的な歌まで、毒を吐くやんちゃな面の奥にある温かく豊かな人間性を感じさせる作風で瞬く間に若者の支持を得た。
やがて吉田拓郎や井上陽水と共に、フォークがより幅広い層に聴かれる”ニュー・ミュージック”へと変わっていく時代を支えるスターとなり、1975年にはその2人と共にフォーライフ・レコードを設立する。
70年代後半には「都市」と「時代」をキーワードに、洋楽の物真似でも模造品でもない、”泉谷流ロック”を創造し、日本語ロックの新たな扉を開いた。
しかし、数々の名曲を残し、日本のフォーク/ロック史に大きな影響を与えたにも関わらず、近年ではどうも「春夏秋冬」1曲だけしかない、今は主に俳優をやってるオジサン、と思われているのではないかという強い危惧をわたしは感じている。きわめて微力ながらそんなイメージを少しでも払拭する役に立ちたいという思いから、彼の数々の名曲から、今回は絞りに絞って、たったの50曲だけ紹介してみることにしたのだ。
そんなわけで以下は、15歳のときにラジオから流れてきた泉谷の歌が胸にぶっ刺さって抜けなくなり、以来彼の歌を愛し、聴き続けてきたわたしが選ぶ、泉谷しげるの名曲ベスト50です。
※ジャケット写真は現在流通しているものと違う場合がありますが、すべて発表当初のオリジナル・ジャケットを優先しています。
作詞・作曲:門谷憲二
ライヴ録音の1stアルバム『泉谷しげる登場』のオープニング曲。
書いたのは門谷憲二という、泉谷とはライヴハウスで出会い、共に音楽制作集団《サイクル・ギス》を設立し、代表を務めた人物だ。
サイクル・ギスは芸能マネジメント事務所のようなもので、古井戸やケメなどが在籍していた。泉谷は古井戸の売り込みなどをしているうちに、デモテープに混ざっていた自身の「戦争小唄」がレコード会社に気に入られて偶発的にデビューすることになった、と言っているがホントかな。
作詞:岡本おさみ 作曲:泉谷しげる
名曲と言えるかどうかはわからないが、初期の泉谷の中でもかなり人気の高かった曲だ。初期の泉谷にはこういった「面白ソング」も多かった。
ただ面白いだけではなく、この歌(岡本おさみの作詞だが)のようにちょっとした世の中の不条理や矛盾に切り込み、鋭い切り口を見せるものもあった。
作詞:泉谷しげる 作曲:吉田建
95年のアルバム『追憶のエイトビート』からのシングル・カット。作曲の吉田建はベーシスト、プロデューサーとして知られているが、90年代に『LOVE LOVEあいしてる』や『新堂本兄弟』などへの出演でも知名度を上げた。80年代から泉谷のバックで演奏してきた盟友だ。
作詞・作曲:泉谷しげる
1982~84年のポリドール時代には4枚のアルバムを残したが、この時代特有のニユー・ウェイヴ/テクノ風の実験的なサウンドの時期となった。シングル・カットもされたこの曲は中でもまだシンプルなロックに近い曲だ。
作詞・作曲:泉谷しげる
2ndアルバム『春夏秋冬』収録曲。シンプルだが、人間関係の修羅場や不幸な結末を想像させるような味わい深い歌だ。
88年のアルバム『SELF COVERS』で LOSERと再録している。
作詞・作曲:泉谷しげる
吉田拓郎・井上陽水・小室等と共に設立したフォーライフ・レコードでの最初のスタジオ・アルバムとなった1976年の名盤『家族』収録曲。
兄ちゃんが持ってきた白い粉で妹がママゴトをしたことで、兄ちゃんと「オレ」が警察に捕まったと歌われる、ヤバめのユーモアと同時に哀愁やせつなさも漂う、泉谷にしか歌えないような歌だ。泉谷の面白ソングの中では一番好きだ。
作詞・作曲:泉谷しげる
この年、泉谷は松尾和子のアルバム『ラプソディー』の全曲を作詞・作曲して提供しているが、この曲はその中の1曲だ。泉谷本人のバージョンはライヴ盤『王様たちの夜』に収録されている。
男に捨てられ、おまけに車に轢かれて死んだ女性の話を、冷たく切り捨てるように「よくあるどうでもいい話」「ただただバカとしか言いようがなく」と歌う。しかしそれが逆になんとも哀れで、せつなく、心に沁みるのだ。
作詞・作曲:泉谷しげる
名盤『家族』収録曲。「オー・シャンゼリゼ」みたいなイントロから、ずっと泉谷の歌に寄り添うように吹かれる効果的なハーモニカは吉田拓郎によるものだ。
拓郎は当時のラジオでもこの時期の泉谷の充実と成長、特に歌詞のそれを絶賛していたものだった。
作詞・作曲:泉谷しげる
73年の名盤『光と影』収録曲。泉谷らしい人間味にあふれた歌詞で、サラっとした歌い方やメロディ、アコースティックなアレンジがとてもいい。
下の動画は75年のライヴ・バージョンだ。
作詞・作曲:泉谷しげる
77年の問題作『光石の巨人』のラストを飾る曲。フォーライフ最後のアルバムとなったこの作品は全体にフザけているのか真面目なのかよくわからないようなアルバムだ。ロックへ転向しようとサウンドや歌詞を模索しようとしているようにも見えれば、テキトーに作ったようにも見える。未だによくわからないアルバムだが、この曲のようにロックへのとっかかりをつかんだような佳曲もある。
作詞・作曲:泉谷しげる
“泉谷流ロック”を確立させた代表作『’80のバラッド』のラストに収録されたバラード。
アルバムは画期的なサウンドだけでなく、強力な磁場としての「都市」や「時代」のスピード感を、斬新な言葉で表現した歌詞も、泉谷流ロックにふさわしい画期的な創造だった。この曲もどこまでも美しく、永遠を感じさせるほどに詩的だ。
下の動画は88年のLOSERとのセルフ・カバーのバージョンだ。
作詞・作曲:泉谷しげる
76年の名盤『家族』収録曲。泉谷の叩きつけるようなストロークの、パワー全開のアコギがカッコいい。やっぱりアコギはマイクを立てて拾った音のほうが断然いいな。エレアコの内臓マイクで録った音はどうも好きじゃない
作詞:泉谷しげる 作曲:吉田建
93年にシングルとしてリリースされ、直後に発売されたベスト盤『自画自賛』に収録された、オリジナル・アルバム未収録曲。
吉田建作曲・編曲の、ポップな印象の曲だ。詞は「時代」というキーワードで歌い続ける泉谷らしい、やや厳しめの応援ソングとでもいうべきか。
作詞・作曲:泉谷しげる
『’80のバラッド』収録曲。これも泉谷流ロックの初期の成功作のひとつ。8ビートで一度聴いたら憶えられるシンプルなメロディがいい。
作詞・作曲:泉谷しげる
4枚目のアルバム『光と影』収録曲。このあたりは初期フォーク時代の絶頂期で、加藤和彦や高中正義、高橋ユキヒロといったサディスティック・ミカ・バンドのメンバーが参加し、アレンジとサウンドのクオリティが飛躍的に向上した。
当時たびたび発見されて社会問題にもなった、駅のコインロッカーへの「捨て子」の事件に触発されたと思われる、優しさと慈愛に溢れた曲だ。
作詞・作曲:泉谷しげる
77年の『光石の巨人』からのシングル・カット。バンドはストリート・ファイティングメンだ。
真面目なのかふざけているのかわからないようなアルバムだが、サウンドや歌詞、歌い方も含めて、フォークからロックへと移行することを試みた実験作だったのかもしれない。中でもその実験が最もうまくいったのがこの曲だったのだろう。
作詞・作曲:泉谷しげる
1982年~84年のポリドール時代には4枚のアルバムを残した。ニュー・ウェイヴ/テクノ風のサウンドに接近したが、しかし結果的には泉谷らしさや彼の良さが薄れていった時代だったと思う。
ただしこの曲を収録したアルバム『NEWS』は悪くない出来だったと思う。比較的ハードな時事ネタを歌ったアルバムだが、これもまた泉谷流ロックの主題である「都市」「時代」の、その影の部分を浮き上がらせるような作品になっている。
作詞・作曲:泉谷しげる
76年リリースの、聴けば聴くほどに深い味わいのスルメのような名盤『家族』のタイトル曲。「母を裏切りたい父は 酒の肴に息子を選び 家の自慢をするほどに酔い 息子に己を美化するのだ」などと歌われるこの曲の歌詞もまた、聴けば聴くほどに味わい深いものだ。
作詞・作曲:泉谷しげる
74年発表の名盤『黄金狂時代』のラストを締める曲。泉谷がフォークからロックへ移行しようとした時期のアルバムだが、この曲は弾き語りのフォークスタイルで歌われている。
家族の元を離れて夢を追う若者の、思い通りにならない日々の暮らしに疲弊して夢破れそうな心情を歌った歌だ。若い頃は共感に震えた歌だった。泉谷の熱唱も素晴らしい。
作詞・作曲:泉谷しげる
98年のアルバム『私には夢がある』からの先行シングル。当時のJ-POP風ではあるが、胸にジーンとくるようなメロディのポップな曲だ。
作詞・作曲:泉谷しげる
“泉谷流ロック”を確立させたアサイラム・レコード時代の名盤『都会のランナー』収録。前作『’80のバラッド』に続いての加藤和彦プロデュースで、2枚目となるこちらのほうがよりサウンドは完成を遂げている。
キーが高すぎて歌いにくそうだが、あえてそれでOKにしているところがいい。ライヴで歌われることはあまりないようだが、名曲だと思う。
作詞・作曲:泉谷しげる
2008年のアルバム『すべて時代のせいにして』に収録されたが、2002年ごろに忌野清志郎などと組んで活動したバンド、”スパイスマーケット”で歌っている映像が残っているので、そのときに作った歌なのだろう。
泉谷にしてはやけにポップだなという印象だったが、清志郎といっしょに歌っているのを聴くとすごくしっくりくる。リフレインの部分はライヴで観客が大合唱するところだ。
作詞・作曲:泉谷しげる
忌野清志郎が編曲とプロデュースを務めた4曲入りミニ・アルバム『SCAR PEOPLE』収録曲。
当時、80年代ニューウェイヴ/テクノ風の泉谷らしからぬ作風でもがいていたスランプ期から脱出するきっかけとなった曲だ。88年の次作『吠えるバラッド』にも収録された。
作詞・作曲:泉谷しげる
高校を1か月足らずで中退した後、職を転々とした泉谷なので、たぶんその頃のことを歌っているのだろう。
わたしも中学を出てからまったく同じ思いを経験したので、歌詞の一字一句すべてに共感しながら聴き、底辺仕事をしながら気が付けば口ずさんでいたりしたものだ。きっと今の時代の迷える若者たちの心にも響くに違いない。
作詞・作曲:泉谷しげる
アルバム『家族』からのシングル。上昇志向が強く、変わっていく「彼」に対し、今のままで変わりたくない「彼女」が時の流れに乗り遅れ、捨てられる過程を歌った歌。ちょうどこの前年にヒットした「木綿のハンカチーフ」にも似たせつない物語だ。またずいぶんとリアルな、男が足手まといになった女を捨てる残酷描写に泣ける。
作詞・作曲:泉谷しげる・吉田建
94年のアルバム『メッセージ・ソングス』からの先行シングル。泉谷が内面に向き合い、過去を想い、これからを踏み出す、そんな歌詞だ。
「季節」というワードも泉谷の歌詞によく出てくるが、ここでは「季節が命の中で、その力を見せつけている」と歌われる。
ここでの「季節」は自分を否応なく突き動かす変化のようなことを言っているのかもしれない、と解釈しながらわたしは聴く。ついでに、わたしの人生はどんな「季節」に突き動かされてきたのだろう、今はどんな季節だろう、などとついつい考えてしまう。
作詞・作曲:泉谷しげる
「弱いヤクザがチンピラに絡まれ、流行らないドスを振り回しても、駆け付ける警官は慣れた顔で弱いヤクザを軽蔑する」。こんな歌詞は泉谷しか書けないだろうなあ。一見、面白ソングのような歌詞でもあるが、曲のカッコ良さが完全にそれを上回っている。
作詞・作曲:泉谷しげる
2nd『春夏秋冬』収録の、初期の名曲。「呪われた人たちの身の置き所がない」という歌詞には震え上がったものだ。わたしのことかと思ったからだ。それはもうこの歌の歌詞全部がそうだったけれども。
作詞・作曲:泉谷しげる
初期フォーク時代の中ではあまり目立たない3rdアルバム『地球はお祭り騒ぎ』に収録された名曲。「遠い国へ逃げ、過去から逃げるほど僕の人生は重くない」などと歌う内省的な歌詞が素晴らしい。「そばで親父が笑う。カラカラ、カラカラ、笑う」というところもなんだかグッとくるな。
作詞・作曲:泉谷しげる
フォーライフ設立後初めてリリースされたシングル。カントリー風の素晴らしいアレンジの演奏はラストショーだ。
これをリリースして少し経った頃、吉田拓郎のラジオ番組にゲスト出演した泉谷がこの曲をあまり気に入っていないと話していたのは興味深かった。理由は「自分の弱いところが出ちゃってる歌だから」というものだったが、わたしは「そこがいいのに!」と思う。泉谷が何と言おうが名曲である。
作詞・作曲:泉谷しげる
『’80のバラッド』に収録された名曲のひとつで、なんとなく当時の角川映画の主題歌を彷彿とさせるような、ドラマチックな曲調だ。ピアノの美しいメロディーのイントロも印象的だ。
作詞・作曲:泉谷しげる
ライヴでは終盤のハイライトとなった、初期の泉谷の代表曲。反体制というよりは、当時の日本の「戦争を知らない新世代」と「戦争を知ってる旧世代」の断絶を歌った歌と言えるだろう。当時の若者にとって日の丸の「国旗」というのは古くてカッコ悪い日本の象徴のようなものだったのだ。なので当時は攻撃的でカッコいい曲だったのだが、さすがに50年も経つとその歌詞も古くなってしまった。
今や日の丸の国旗は、場合によっては顔にペイントされたりもするなど、特に若者には当たり前のように愛されている。時代は変わったのだ。
下の動画は1973年の中野サンプラザでのライヴ盤『サブ・トータル』に収録されたバージョンだ。
作詞・作曲:泉谷しげる
名盤『光と影』収録曲。これがなんと日本初のレゲエナンバーとも言われている。編曲は加藤和彦で、演奏はサディスティック・ミカ・バンドだ。当時、泉谷はレゲエなんて聴いたこともなく、「こんなの歌えねーよ」などと文句を垂れていたそうだ。
作詞・作曲:泉谷しげる
『都会のランナー』のオープニング・トラック。これ1曲聴いただけでこれが前作『’80のバラッド』の続編的なアルバムで、泉谷のヴォーカルは前作を上回る好調さだということがわかる。加藤和彦のフォーク・ロック風のアレンジもさすがだ。
88年の『SELF COVERS』ではLOSERとのヘヴィなサウンドの新アレンジも聴ける。わたしはオリジナルのほうが好きだが。
作詞・作曲:泉谷しげる
加藤和彦のプロデュースとサディスティック・ミカ・バンドの演奏に牽引されるように泉谷がロックのほうへと足を踏み出したアルバム『光と影』のオープニング・トラック。
この1曲を聴いただけでそれまでの3枚のアルバムとはアレンジも演奏もクオリティがまったく違うことに気づく。泉谷のソングライティングもヴォーカルも絶好調だ。
作詞・作曲:泉谷しげる
泉谷のロック志向を決定的にしたアルバム『黄金狂時代』収録曲。虚妄に満ちたテレビ業界を痛烈に批判した内容だ。バックの素晴らしい演奏は、ドラマーのジョニー吉長率いるイエローというバンドだ。
アルバムにはロック系の曲とフォーク系の曲が混在しているが、圧倒的にロック系のほうが名曲ぞろいだ。これもそのうちの1曲。
作詞・作曲:泉谷しげる
ラストショーによる素晴らしいアレンジと演奏だ。カントリーミュージックガチ勢の徳武弘文のギターと村上律のペダル・スティールが印象的な、カントリー・ロックスタイルのアレンジだ。
男女の別れの詩でありながら、ラヴソングらしい甘ったるさや気色悪さのない、泉谷らしい歌詞も秀逸だ。
作詞・作曲:泉谷しげる
都市に蠢く人々を歌った泉谷流ロックの最初期の名曲。この世界観が後の『’80のバラッド』の世界観へと繋がっていったのだろう。
『黄金狂時代』収録のオリジナル版の演奏はラストショーだが、『オールナイト・ライヴ』でのBANANAによる激しいロック・バージョンもまた素晴らしい。
作詞・作曲:泉谷しげる
仲井戸麗市、下山淳、吉田建、村上ポンタ秀一という豪華メンバーが集結して話題となったアルバム『吠えるバラッド』のオープニング・トラック。バンドはLOSERと名付けられ、91年までライヴやレコーディングで泉谷と共に活動することになる。
80年代の前半の泉谷はニュー・ウェイヴやテクノなど、流行に寄せたような彼らしくない作品が続いてどうにも迷走しているように見えたし、このときはすでにもう4年もアルバムを作っていなかった。LOSERのメンバーたちは、そんな泉谷にもう一度ロックに立ち返らせようと集結したアベンジャーズのように思えたものだ。
わたしも、泉谷が帰ってきた!しかも過去最高にパワフルなバンドじゃねーか、と喜び勇んで早速ライヴに駆け付けたものだった。
作詞・作曲:泉谷しげる
泉谷が書いたラヴソングの中でも最高傑作のひとつだとわたしは思っている。
ここでも都市が描かれ、泉谷流ロックのラヴソング版を見事に作り上げた。
ビルよたそがれて 街のツラをしてるがいい
おまえは味方だぜ 壊れるまで俺の街
夜がアスファルトを塗りつぶし
俺の好きな女がシャレを言う今夜に限ってついてないと言う
俺と会うと得意になって 泣き言ばかり
そのくせ俺との夜を断る 俺の女
わたしは、甘ったるくて気色の悪いラヴソングが大嫌いなのだが、こんなラヴソングなら大好きだ。
『オールナイト・ライヴ』での、サックスが活躍するアレンジはさらに良い。
作詞・作曲:泉谷しげる
泉谷復活の突破口となり、新たな時代の代表曲となったのがこのシングルだった。泉谷のキャラクターそのままの歌詞で、まるで彼のテーマソングのようだ。以降のライヴではアンコールの最後に歌われる定番曲となった。
翌年の『吠えるバラッド』には、シングルとは別バージョンで収録されている。
作詞・作曲:泉谷しげる
『’90sバラッド』からのシングル。ジーンズのBIG JOHNのCMに使われ、自ら上半身裸のジーンズ姿で出演もした。
「時代する都市よ…」と始まる、いきなりこのロック詩人の最重要キーワードである「時代」と「都市」が使われるこの曲は、泉谷流ロックの最終進化形態のようであり、LOSERとの最高傑作だと思う。
歌詞にはアーサー・C・クラークのSF小説のタイトル『幼年期の終わり』も出てくる、宇宙規模の時空を歌うようなスケールの大きな曲だ。
作詞・作曲:泉谷しげる
3rd『地球はお祭り騒ぎ』の冒頭を飾る名曲。泉谷はラヴソングはそんなに多くないほうだが、これはこの偉大な詩人によって書かれた究極のラヴソングだと思う。いや泉谷だけでなく、わたしが聴いたことのあるすべてのラヴソングの中での究極の1曲だと思う。
作詞・作曲:泉谷しげる
歌詞もメロディもそれまでのフォーク時代の泉谷とはずいぶん違うが、よくこんなカッコいい曲が書けたなとあらためて感心する。
彼のロックナンバーの柱のひとつとなり、ライヴの定番となった重要曲だ。これをライヴ会場で聴くと血が滾るように熱くなる。
下の動画は89年の愛知勤労会館のライヴだが、ここに22歳のわたしはいた
作詞・作曲:泉谷しげる
実を言うとわたしが泉谷しげるを聴き始めるきっかけとなった曲だ。
わたしが15歳でわけもわからず家を出て、逃げ出したりクビにされたりと職と住処を転々としながら、明日のメシにも困るような生活をしていた頃、ラジオからこの曲が偶然流れてきて、わたしの胸にとんでもない勢いでぶっ刺さってきたのだ。
なんでもやります ぜいたくは言いません
頭を下げ 詫びを入れ
すがる気持ちで仕事をもらい
今度こそ真面目にやるんだ
それ以来しばらくは、お金が入ると泉谷のレコードを少しずつ買って、泉谷の歌声だけを毎日毎日くりかえし聴き続けたものだった。
作詞・作曲:泉谷しげる
言わずと知れた泉谷しげるの最も有名な曲。ただ一度だけ出たNHK紅白歌合戦でも歌った曲で(あれはあんまり良くなかったけど)、泉谷しげると言えばこの曲という代表曲だ。
いろんなバージョンがあるけれども、わたしはやはり下の動画の、2ndアルバム『春夏秋冬』に収録されたオリジナル・バージョンがダントツで好きだ。加藤和彦によるこのアレンジと泉谷の歌声に、歌詞の通りの切実さや焦燥感が強く感じられる。
作詞・作曲:泉谷しげる
『都会のランナー』の白眉とも言えるロックナンバーだ。年老いたセールスマンが仕事と家庭の両方で苦しみ自殺するアーサー・ミラー原作の舞台劇『セールスマンの死』からインスパイアされたであろう歌詞は、都市の片隅で誰にも知られず孤独に生き、孤独に死んでゆく男を歌っている。「セールスマン」というのは男の職業でもあるだろうが、都市の中ではすべての人々が「自分を売り捌く」一種のセールスマンのようでもあるとも受け取れる。
下の音源はLOSERとの再録で、複雑なビートのこのバージョンはあんまり好きではなく、加藤和彦のプロデュースでBANANAによるオリジナルのほうが圧倒的に良いが、オリジナルの音源が見つからないので仕方がない。
作詞・作曲:泉谷しげる
『’80のバラッド』からのシングルで、泉谷流ロックを確立した代表曲のひとつ。
フォーク時代の泉谷とは、歌詞もメロディも歌い方もまったく違う、新たなスタイルの創造だった。それは洋楽ロックの真似事でも模造品でもない、独自のスタイルを構築した、新たな日本のロックの誕生だったと言える。それをわたしは”泉谷流ロック”と呼んでいる。
エイジ 青い奴らが手引する
赤い街のゴミになる気かよ
エイジ 遠い窓の外に映る
カードをくわえたまま
生まれたならず者デトロイト・ポーカーを知ってるだろう?
奴の頭の中を指す 数が揃わねえ
エイジ 女の気持ちがわからねえのに
サ店のテーブルを 蹴とばすならず者
それにしても、これよりもカッコいい日本語ロックの歌詞ってどれだけあるだろう、といつも聴くたびに思う。
作詞・作曲:泉谷しげる
都会で暮らすことの「底無し」の疲弊や孤独をテーマにした、泉谷流ロックの最初の一発と言える記念碑的な名曲だ。
それにしてもイエローの演奏が素晴らしい。よくこのカッコいいイントロ思いついてくれたなあ。完璧な曲だ。
作詞・作曲:泉谷しげる
以前から何度も書いてはいるが、日本語で歌われたあらゆるロックの中でも、わたしが一番愛してやまないのがこの曲だ。これぞ泉谷流ロックの最高傑作であり、象徴と言える代表曲だ。
とてつもない数の人間たちが蠢く「都市」は、しかし誰にとっても安住の地や魂のふるさとにはなり得ないような、冷やかさとよそよそしさと疎外感に満ちている。でも泉谷はそんな都市から逆にエネルギーを獲得し、強く激しく生き、時代の変化すら追い抜くようなスピードで走り抜けようとする。
そんな生き様を彼は、われわれのような哀れな翼なき野郎どもへ、メッセージとして送ってくれているようでもあるのだ。
以上、泉谷しげるの【名曲ベスト50】でした。
わたしが社会のド底辺で迷走しながら、いったいどこへ行くのか、なにをどうしたらいいのか、果たして生き続けられるのか、まったくわからないままおろおろしていた十代の頃に、「翼なき野郎ども」や「春のからっ風」を始めとする泉谷しげるの名曲の数々ににどれだけ励まされたことか。どれだけ救われたことか。
素晴らしい編曲とプロデュースで泉谷を支えた加藤和彦、イエロー、ラストショー、BANANA、LOSERといった素晴らしいバンドたち、そしてわたしの心にぶっ刺さった名曲の数々をこの世に産み落としたロック詩人・泉谷しげるに、永遠の感謝を捧げよう。
(Goro)