1960
いよいよ1960年代に突入、というわけだけれども、神の怒りか悪魔の悪戯か知らないけれども、前年までにほぼ殲滅されてしまったロックンロールは、さらなるトドメをさされる。
4月17日深夜、イギリス・ツアー中のエディ・コクランとジーン・ヴィンセントが乗った車がカーブを曲がり切れず、街路灯に激突した。エディ・コクランが死亡、ジーン・ヴィンセントは重傷を負った。彼らは米国に帰るために空港に向かっていて、雇われた19歳のドライバーは道を間違えた挙句、飛行機の時間に間に合わせるため100km以上の猛スピードで深夜の道を飛ばしていたという。エディ・コクランはまだ21歳だった。
こうなるとロックンロールは呪われた音楽と思わざるを得なくなってくる。
そしてコクランの死亡記事は、本国アメリカでは地方紙に小さな訃報記事が載っただけだったという。それほどすでに米国ではロックンロールの熱が冷めきっていたのだろう。
しかし、イギリスでは大々的に報道されたという。このときすでにロックンロールの人気はアメリカとイギリスで逆転現象が起こっていたのかもしれない。
ロックンロールは消えたが、しかしR&Bやブルースは逆にロックンロールに刺激と影響を受けて、急速に進化し、洗練されていったように感じる。失われたロックンロールの替わりに、この時期のイギリスの若者がブルースやR&Bに走ったのもよくわかる気がする。
前年にミシガン州デトロイトに設立されたモータウン・レコードは「R&Bを黒人だけでなく白人層にも聴いてほしい」というコンセプトのもとに創業され、この年ザ・ミラクルズが最初のブレイク・アーティストとなる。
そして日本では、ロカビリー・ブームの後に、空前のエレキ・ブームが到来する。そのブームの立役者、ヴェンチャーズがこの年デビューし、大ブレイクを果たした。
そんな1960年の名曲10選です。
The Ventures – Walk Don’t Run
ベンチャーズのデビュー・シングルであり、いきなり全米2位の大ヒットとなった彼らの代表曲。インスト・バンド・ブームおよび、サーフ・ミュージック・ブームの先駆けともなった。
その後、日本で彼らは本国を大きく上回る人気を得、彼らの影響で日本のエレキギター人口が激増したと言われている。
1992年の大林宣彦監督の映画『青春デンデケデケデケ』では、当時のベンチャーズに魅入られてバンドを始めた高校生たちの物語が描かれている。
Roy Orbison – Only the Lonely
「ヴェルヴェット・ヴォイス」と呼ばれる唯一無比の美しい声と独特のソングライティングを武器に、ロイ・オービソンは60年代に人気を博した。ブルース・スプリングスティーンやニール・ヤング、J.D.サウザーなど、彼をリスペクトするアーティストは数多い。
この曲はもともとエルヴィス・プレスリーに歌われることを想定して書かれたそうだが、それまでヒットに恵まれなかった彼にとっては大出世作となる、全米2位、全英1位の大ヒットとなった。
The Shirelles – Will You still Love Me Tomorrow
この曲を書いたのが、当時18歳の天才少女、キャロル・キングだ(詞は夫のジェリー・ゴフィン)。彼女の登場で、ガールズ・ポップスのレベルがグイッと上がった気がする。
シュレルズは米ニュージャージー州出身の4人組のコーラスグループで、この曲は全米1位となり、彼女たちの代表曲となった。
The Miracles – Shop Around
スモーキー・ロビンソンがリード・ヴォーカルを務めるザ・ミラクルズは、モータウン・レコードの契約第1号となったコーラス・グループだ。
このシングルが全米2位のミリオンセラーとなり、ミラクルズのブレイク作となった。モータウン・レコードにとっても初めてのミリオンセラー・レコードだった。
その後もスモーキー・ロビンソンはミラクルズの活動のみならず、モータウンの所属アーティストのために曲を書いて大ヒットを連発するなど、八面六臂の活躍でモータウンの屋台骨を支えた。
Sam Cooke – Wonderful World
サム・クックの歌唱と洗練されたソングライティングによって、ソウルのレベルがグイッと上がったのもまた確かだ。
一見、ユーモラスな歌詞のお気楽なラヴソングに聴こえるけど、よく聴けば、当時の公民権運動を背景にした、人種問題にも絡めた奥の深い歌詞であることがわかる。
The Drifters – Save the Last Dance for Me
ザ・ドリフターズは、1953年にデビューしたニューヨークのドゥーワップ・グループだ。この曲は全米1位、全英2位と、彼らにとって最大のヒットとなった。
前年に加入したベン・E・キングがリード・ヴォーカルを取っているが、彼はこの曲の大ヒットの直後に、脱退してしまう。
John Lee Hooker – Boom Boom
ミシシッピ州出身のブルース・マン、ジョン・リー・フッカーは野蛮とクールを併せ持ったようなブルース・マンだ。この曲も、お洒落なところなど微塵も無い、原石みたいにゴツゴツしたブルースながら、どこかロックンロールのスピード感やフィーリングを感じたりもする。
まるでロックンロール・パーティーのように若者たちが踊っているこの映像を見ると、ロックンロールの無い世界にその穴を埋めていたのはこうしたブルースでもあったのだなということがよくわかる。
Lightnin’ Hopkins – Mojo Hand
「モジョ」とは、ブードゥー教の呪術師が作って売ったお守り袋のことだ。女にモテるモジョとか、歌が上手くなるモジョとか、いろいろなモジョがあるらしい。
ライトニン・ホプキンスのギター・プレイがカッコ良すぎるけれど、きっとこれも彼の持っているモジョの効果なのかもしれない。
Howlin’ Wolf – Spoonful
当時すでに50歳のウルフ先生の重量級のヴォーカルと、ユラユラとした巨人の歩みみたいな独特のグルーヴがこの曲を魅力的なものにし、斬り合いのようなギターの空中戦がとどめを刺している。多くのブルース・ロック・バンドがこの曲をカバーしたが、この原曲以上のものは聴いたことがない。圧倒的だ。作者はチェス・レコードの屋台骨を支えた偉大なソングライター、ウィリー・ディクソンだ。
James Brown – Think
JBにとって最初のダンスナンバーのひとつであり、クールなサックスのリフがカッコいい、すでにファンクの萌芽も感じられる曲だ。R&Bチャート7位、全米33位のヒットとなった。
選んだ10曲がぶっ続けで聴けるYouTubeのプレイリストを作成しましたので、ご利用ください。
♪YouTubeプレイリスト⇒ヒストリー・オブ・ロック 1960【ロックンロール滅亡後の世界】Greatest 10 Songs
ぜひお楽しみください。
(by goro)