【きょうの余談】G-大将がわたしを”沼”に引き摺り込んだ

クリント・イーストウッド、中でも高い人気を誇る出演作10選

前回のクリント・イーストウッドの記事にコメントをいただいた”G-大将”は、わたしの古い友人で、自ら経営する飲食店”GANJA”の大将だ。わたしが17歳のときに飲食店のバイト先で知り合った、2つ年上の先輩だった。もうかれこれ40年にもなろうかという付き合いだ。

彼のコメントに返信を書いていたらなんだか長くなってきたので、ええい、いっそ本文にしてしまえ、というわけで【きょうの余談】という何を書いてもいい便利なシステムを利用して、この超ローカルで超個人的な記事を書くことにした。

ああ見えて意外に照れ屋さんの大将はきっと嫌がるに違いないが、しかしまあこれまでのわたしの数々の生意気な狼藉も、ちょこざいな言動も、アンビリーバブルな忘恩も、すべて顔を少しだけ引き攣らせながら笑って受け流してくれた彼のことだ。きっとこれも許してくれるに違いない。そうやってわたしは彼の大きな度量に甘えながら生きてきたのだった。

そもそもわたしにとって、ローリング・ストーンズもクリント・イーストウッドも、大将によって引っ張り込まれた「沼」だったのだ。

その沼にわたしは、もう40年近くも首まで浸かったままというわけなので、わたしの人生において大将は最も影響を及ぼしたひとり、と言えるだろう。間違いなく。

17歳にしてすでに独りで暮らしていたわたしの虚室に彼がローリング・ストーンズのレコードを持ち込むことがなかったら、今頃こんなブログを書いていたかどうかもわからない。
二人してあっという間にストーンズに夢中になり、二人で手分けしてレコードを買い集め、貸し借りしながら聴き進めていったものだった。わたしはそれがきっかけでロック全般を聴くようになり、大将もローリング・ストーンズを最愛のロックバンドとして今も聴き続けている。

 

わたしが最初に買ったストーンズのレコード

そしてまた彼は、一度見ただけの映画を信じられないほど細部まで記憶できるという特殊能力の持ち主で、わたしにクリント・イーストウッドの映画の細かい演出の素晴らしさなどをよく語ってくれたものだった。

わたしはちょうど映画館に勤め始めたこともあって、大将の影響でわたしもイーストウッド映画はすべて見るようになり、彼と映画について語り合いながら、その面白さ深さもだんだんと理解できるようになっていったのだった。

映画の展開の中で、いま主人公が拳銃を何発撃っていて、あと何発弾が残っているかを数えながら映画を観ていると大将が言うのに最初は驚いたものだが、その後多くの映画を見るにつれ、たしかにそういうところを疎かにする作り手の映画はだいたいろくなものではないし、特にイーストウッドのようなこだわりの強い作り手の映画に対しては完全に正しい見方であると気づいたものだった。

また、読書が唯一の趣味だった当時のわたしが金がなくて本が買えないとみると、ボストンバッグいっぱいに西村寿行や大藪春彦などの文庫本を詰め込んで貸してくれたりもした。なんの見返りもあるはずがないのにとことん面倒見の良い彼は、わたしがひとりでは絶対に行けないような専門料理店に連れて行ってくれたり、車を夜中じゅう運転して海に連れて行ってくれたこともあった。

当時のわたしの、金もなく友達もなく夢も希望もない、貧乏と孤独の絶頂期に、大将の週に一度の家庭訪問による食と文化の差し入れや、この世のすべての幸福な人々に対する妬み僻み嫉みで硬化していくわたしの心を、音楽や映画の話やくだらない冗談と笑いで解きほぐしてくれる彼のケアがなければ、どうなっていたものかわからない。孤独のあまり孤独死していたかもしれない。憤りのあまり憤死していたかもしれないし、憎しみのあまり悶死していたかもしれない。だとしたらまさに命の恩人だ。

大将が自分の店を持ち、わたしも生活が安定してくると、だんだんと深い付き合いはなくなり、今度はわたしが定期的に彼の店を訪れ、カウンターを挟んで数時間もダベりながら飲み続けるという関係が何年も続いた。最近はわたしも歳を重ねて出不精にも拍車がかかり、段々と店を訪ねる間隔も開いていくようになったが。

昨年、わたしの娘が二十歳の誕生日を迎えると、わたしは娘を連れて大将の店を訪ねた。わたしは娘が生まれたときから、娘が二十歳になったら最初に飲みに連れていく店は大将の店、”GANJA”と決めていたからだ。

十年一日のごとくローリング・ストーンズが流れている店内で初めて娘と飲む酒と大将の料理の味はまさに格別だった。

娘と”GANJA”にて、実際の写真

わたしは17歳、大将が19歳だった最初の出会いから38年後に、彼の店のカウンターに並んで座っているわたしと娘を感慨深げに眺めながら、「これは嬉しいなあ。店を続けててよかった」とやけににしみじみとしたことを言い、その顔にはまるで太い筆ででっかく”感無量”と書かれているようでもあった。親の事情で少年時代は転々と住所を変えたせいで幼なじみの友人などもいないわたしにとっては、いつの間にか最も古い友人はG-大将になっていたことをあらためてそのとき思い出したりもした。

ごくたまににしかコメントはくれないが、大将がこのブログをいつも読んでくれていることは知っている。

ブログを開設して今年で15年目だが、いよいよ大将最愛のローリング・ストーンズのシリーズをガッツリやるとなれば、当然大将がいつもよりも楽しみにして読んでくれることを意識せずにはいられない。
だから普段の記事よりずいぶんと気合が入っているのがわかるかもしれない。大将に読まれても恥ずかしくないものを書き、今度はわたしが大将を楽しませたいという気持ちがこもっているはずだからだ。ささやかではあるけれども、わたしから大将への、せめてもの恩返しだ。

昨日の記事でクリント・イーストウッド作品を製作順に全部見直すつもりと書いたが、さすがにその個々の作品の感想までこのブログに書いていくことは考えていない。

それはまた大将の店に足を運んで、飲みながら夜中まで語り合う話題としてとっておくつもりだ。

(Goro)